六百六十六 結人編 「僕が痛感したこと」
四月二十八日。土曜日。今日は何だかいい感じの天気だったから、鈴虫寺の近くの喫茶店に行くことにした。歩くと暑いくらいだったけど、でも何だか気持ちがいい。こうやって歩くのも大事なんだなって思う。
「鷲崎さんの様子はどうですか?」
喫茶店で紅茶とケーキを頂きながら、絵里奈がそう訊いてきた。しょっちゅうビデオ通話で話をしてるとは言っても、やっぱり直で会って顔を見て話をするのとは違うって、こうして絵里奈や玲那と会うたびに実感するし、そういう意味でも絵里奈が気にするのは当然なんだろうな。
「うん。落ち着いてる感じかな。表情を見ても不安にならないし」
「そうですか。それは良かった」
と、ホッと胸を撫で下ろす絵里奈の姿に、僕も安心感を覚える。ここで鷲崎さんのことを心配してくれる彼女だから僕は好きでいられるんだなっていうのも改めて染み入ってくる。
正直、鷲崎さんのことを邪推するような人だと、一緒にはいられないかな。そういう感覚を否定するわけじゃないけど、僕とは合わない。もし、僕と絵里奈の立場が逆転しても、そういう意味での心配は僕はしないと思う。こういうのもほとんどの人には理解してもらえないのは分かってる。そこで不安になってしまう人もいて当然だとは思ってる。だけど僕は、『絵里奈という人』が好きなんだ。彼女がどう考え、どう感じ、どう判断するのかっていうの全部含めて彼女のことを好きになった。だから、僕が鷲崎さんのことを見捨てられないように絵里奈が誰かのことを見捨てられなくても、僕はそれを理由に彼女のことを嫌いにはなれないっていう予感がある。
もっとも、だからって鷲崎さんとどうこうなろうっていうつもりもないけどさ。僕がそういう人間だって分かるから絵里奈も好きになってくれたんだし。
人としておかしい部分があるからこそ好きになってもらえるとか、何度考えても皮肉だな。
そしてそれは、結人くんに対しても当てはまる気がする。
彼は、決して万人が思う『良い子』じゃない。粗雑で、乱暴で、礼儀知らずで、不遜で、横柄で、反抗的だ。それは疑いようもない。
でもそれは、彼の周囲の大人が作ったものであることもまた、忘れちゃいけないと思うんだ。その事実を棚に上げて彼をいくら責めたって、問題は拗れるばかりという実感しかない。だってそれは、僕自身の経験に基づいた実感だから。一方的に都合や価値観を押し付けてくるだけの人を尊敬も信頼もできないから。
事実は事実として受け止めることもできない人を信じるとかできないから。
子供がどんな人間になるかは、間違いなく大人の影響だよ。悪童が出来上がるのは、大人の中にある後ろ暗い部分が投影されるからなんだ。
沙奈子を育ててみたからこそ、僕はそれを痛感したんだ。
人間は誰しも『自分が悪い』『自分が間違ってた』っていうことを認めたくない傾向があると思う。けれど、それができないと成長もないって思うんだよね。




