六百七 織姫編 「駄目な家族。大切にしたい家族」
僕と沙奈子と絵里奈の三人でお風呂に入って、三人でぎゅっと抱き締め合って、僕たちは自分たちが家族なんだっていうのを確かめてた。それが嬉しかった。
もちろん、家族でいることが常に正しいなんて言うつもりはないよ。僕たちの周りには、『駄目な家族』の事例があまりにも多すぎるし、家族だからっていうのに拘り過ぎると逆に取り返しのつかないことになったりもするんだっていうのを実際に見た。
玲那の事件が、まさにそれだと思う。
あの子は、『実の母親が亡くなった』っていうことに拘ってしまったから、あんなことになってしまったという面も確かにあるはずなんだ。血の繋がった家族というものに縛られたことで、行っちゃいけないところに行ってしまったんだ。関わっちゃいけない人に関わってしまったんだ。
あそこで、亡くなったのが実の母親だからってことに敢えて拘らなければ、たとえ『薄情者』とか『親不孝者』とか言われたって切り捨ててしまえてれば、その後の事件はなかったかもしれない。
そんな『たられば』でやり直せるわけもないけど、事件を回避できる可能性があったという事実は、無視するべきじゃないって思うんだ。
『昔のことに囚われすぎ』とか言う人もいる。『昔のことなんか忘れて未来を見ろ』とか言う人もいる。でもそんなの、死ぬまで忘れることのできない目に遭ったことがないから言える無責任な綺麗事でしかないんじゃないかな。
玲那が事件を起こした時にも言ってたのがいる。
『事件を起こすような奴はどうせ改心も更生もしないから死刑にするべきだ』
って。
それって、何年経とうが許すべきじゃないってことだよね?。だったら、『昔のことに囚われすぎ』とかいうのはおかしいよね?。ましてや、加害者が本当に改心も更生もしてなかったのなら。
玲那の実の父親のように。
だから玲那は自分を抑えることができなかった。自分がされたことを許せなくて、それどころかまた、自分と同じような思いをする子を作り出そうとしてる実の父親の姿を見てしまってパニックを起こして、包丁で刺してしまった。
これを『自制するべきだ』なんて、僕にはとても言えないよ。もちろん、それでも自制するべきだとは頭では分かってる。だけど、決してわざと人を傷付けようなんて普段は思ってない玲那でさえパニックになるような状況で自分を抑えるなんて本当にできるんだろうかって思うんだ。
もし自制しようというのなら、実の父親には会わないという選択しかなかった気がする。家族だってことに拘り過ぎて葬式に出ようとしたことが、『どんな酷い親でも親は親。別れの挨拶くらいするべきだ』って考えに囚われてしまったことが、最悪の結果を招いたんだ。
そんな、お涙頂戴の綺麗事のドラマのような真似をしようとしたから……。
僕たちが今、家族であることを大切にしようとしてるのは、大切にするだけの意味がある家族だと思うからなんだ。今のこの家族を大切にすることが、僕たちにとって必要だと感じるからなんだ。
大切な家族だとお互いに思えるように、僕たちは努力を続ける。
たとえ家族でも、『自分さえ良ければそれでいい』なんて思ってたら、大切にはしたくなくなるだろうから……。




