六百六 織姫編 「厳しい見方」
僕は、自分が沙奈子の父親だということを自覚するからこそ、『親』に対しての見方が厳しくなってきてるのを感じてた。
『自分が親になってみれば親の気持ちが分かる』とか言う人がいるけど、僕はむしろ、『自分が親になったからこそ親がどれほど甘えてたか分かった』気がするんだ。
子供には『ルールを守れ』『言うことを聞け』と言うくせに、自分は社会のルールを疎かにして他人の話にも耳を傾けないっていうのをやってるってのがはっきりと見えてしまったんだ。
沙奈子と一緒に買い物に行くたびに見るんだ。大人が信号を無視する姿を。歩道を自転車で猛スピードで走るのを。歩きながらスマホを使ってるのを。子供がその姿を見てようと見てまいとお構いなしに。
沙奈子を連れてるから、この子の前で大人がそういう姿を見せてるのが情けなくて仕方なかった。しかもそういう人たちは、それを注意されると、『このくらいのことでいちいち目くじら立てるな!』って逆ギレするんだろうな。
『誰にも迷惑かけてないだろ!』とか言ったりもするかな。
でもそれって、『他人に迷惑を掛けるな』って言われたのを拡大解釈してるよね。『迷惑掛けるなってことは、迷惑にさえならなきゃいいんだ』って。他人の迷惑にならなきゃ、法律だって無視して良いって。
けれど、迷惑にならないなんて嘘だよ。大人のそういう姿を子供が見てること自体が、もう迷惑なんだ。そんなことされたら、
『信号守らないのは駄目なんだよね?。じゃあどうしてあの人は信号守らないの?。大人なのに』
なんて子供に聞かれたら困るから、しっかり迷惑かかってるんだ。
そういうと今度はこう言うんだろうな。
『ガキを躾けるのは親の役目だ!』
って。
でも、子供に道理を教える時に、大人がそれを蔑ろにしてる姿が日常的に目撃されてて、それで説得力を持たせられるとか思ってるのかな?。
先日も、ながらスマホで自転車に乗ってて歩行者を死なせた事故があった。その人は、どうしてそんなことしてたの?。他にもやってる人がいたからやってたんじゃないの?。子供の頃に大人が似たようなことをしてたのを見て、『じゃあ自分も事故さえ起こさなきゃやっていいよね』って思ったんじゃないの?。
飲酒運転で事故を起こした人も、『事故さえ起こさなきゃいい』とか思ってたんじゃないの?。
そして僕が一番悲しくなるのは、小さな子供を連れた大人が、信号を無視したり、歩道を自転車で猛スピードで走ったり、歩きスマホしてたりっていう姿なんだ。
こんなことをしてて、自分の子供が将来、ルールを守らないようになったりしてそれで『親に責任はない』とか言われたって、僕は、沙奈子を育ててる『親』として納得できないよ。




