六百 大希編 「子供同士だけで」
二月十八日。日曜日。判を押したみたいに今日も千早ちゃんたちが昼食を作りに来る。沙奈子の午前の勉強が終わったのを見計らったみたいに、
「沙奈~っ!」
って、千早ちゃんが現れた。現れるなり沙奈子に抱きついてほっぺたを擦り付けて、
「沙奈沙奈沙奈沙奈、大好きだよ~ん!」
だって。
それはまあアニメとかを真似たパフォーマンスだっていうのは僕にも分かってる。だけど、沙奈子のことが好きだっていう千早ちゃんの気持ちそのものは嘘じゃないっていうのも分かる。彼女は本当に沙奈子のことが好きなんだ。たぶん、星谷さんの次くらいに。
出逢ったばかりの頃じゃ、まったく想像さえできなかった。今のこの姿を。沙奈子に『学校に行きたくない…』って言わせてしまうくらいにあの子に辛く当たってた彼女がこうなれたっていうのが不思議だった。
だけどその不思議なことが起こる重要なきっかけが大希くんだったんだよね。
転校したばかりで他の子と上手く関われない沙奈子に声を掛けてくれて優しくしてくれて、…『優しく』じゃないな。『普通に』してくれて、当たり前みたいに受け入れてくれたことであの子はクラスに馴染むことができた。転校してきたとか上手に他人と関われないとかそんなこと、大希くんには関係なかったんだ。
そして、千早ちゃんもそんな大希くんのことが好きだった。でもその時点での『好き』は、『自分の思い通りになってくれる可愛い弟』としての好きだった。
『自分の思い通りになってくれる可愛い弟』役の大希くんを沙奈子に取られそうになったと感じた千早ちゃんは、あの子を大希くんから引き離そうとしてきつく当たった。
でもその時、学校がそれをただの『子供同士のいざこざ』と軽く考えて放っておくんじゃなくて、千早ちゃんの行為を『良くないこと』として彼女にそれをきちんと理解してもらえるように努力してくれたから、後は子供同士でも解決できたんだと思う。
子供はどうしても未熟だから、適切な対処法っていうのをまだ身に付けてない場合が多い。それをちゃんと大人が、学校が示してくれたから、上手くいったと思うんだ。いくら大希くんでも、その時点では、沙奈子と千早ちゃん両方を救ってあげられなかったんじゃないかな。何しろ、大希くんに嫌われたくないと焦った千早ちゃんが彼に過剰に干渉してきて、ついキレそうになった大希くんが逐電して築山に隠れたりしてしまったくらいだし。
そのことも、担任の先生とかが間に入ってくれてお互いの感情を、未熟なままに直接相手にぶつけてしまわずに済んだんだ。
そう、大人がちゃんと見守って、道筋を示してくれたから、そこで、『こんな時はどうやって解決すればいいのか』っていうのを実地で経験できたんだ。単に子供に任せきりにして見て見ぬふりをしてただけだと、失敗した時にかえって拗れてしまうこともあった筈なんだ。僕も小学校の頃、そういうのを散々見てきた。クラスの子同士が揉めて『どっちが悪い!』って言い合いになって、その子たちだけでは何の結論も出せないままにお互いに『相手が悪い!』でいがみ合って、他の子を味方につけた方がそうじゃない方の子をみんなでイジメ始めたんだ。子供の力だけじゃ問題を解決できなかったから、そうなってしまったんだ。
あの時、学校がちゃんと間に入って『こういう時はこんな風にして解決するんだよ』というのを示してくれてれば、その後のイジメはなかったのかもしれない。『たられば』を言っても無駄なのは分かってても、沙奈子と千早ちゃんと大希くんの事例を見た後じゃ、そう思ってしまうんだ。
大希くんはすごい子だと思う。だけどそんな彼でも、いつだって完璧じゃないし、子供だから分からないことも多いと思う。彼は優しくて正しい心の持ち主かもしれないけど、実はこの世の中っていうのは『正しい』だけじゃ上手くいかないことも多いからね。
千早ちゃんのやり方はきっと間違ってた。だから大希くんにはそれが許せなかった。でも、千早ちゃんがどうして間違ったやり方しかできないのかっていうのを、あの時の大希くんは理解できていなかった。自分の『正しさ』と相容れない千早ちゃんのやり方をただ『許せない!』と思ってしまった。だけど同時に、その感情のままに相手に手を上げたりするのも正しくないっていうのを彼は知ってたから、どうしていいのか分からなくなって、千早ちゃんを殴ってしまいそうな自分を彼女から遠ざける為にその場から逃げ出した。
千早ちゃんは千早ちゃんで、ここで大希くんに嫌われたら、自分には暴力を振るってくる横暴で強圧的なお母さんやお姉さんしか残らないから必死になってしまったんだろうな。じゃあどうすればいいのかっていうのをこの時の彼女は知らなかったから、間違ったやり方しかできなかった。
双方の未熟な部分、噛み合わない部分を、『大人の知恵』で補ったんだ。だからこそ大希くんの器が活かされた。
そうだよ。大希くんでさえ未熟だったんだ。だから子供同士だけでトラブルが上手く解決することを期待する方がおかしいんだと今なら思う。何もかも大人が算段を決めて型に嵌めて勝手に解決してしまうのも違うとは思うけど、ヒントさえ与えずに見て見ぬふりは違うと思うんだ。それでいいんだったら、だったら大人は何の為にいるんだよ?。子供だけで何もかも解決できるなら、大人なんて要らないじゃないか。
問題が拗れに拗れてどうしようもなくなって取り返しのつかないことになってから『誰の責任だ?』なんて慌ててどうするんだよ。誰の責任って話になったら、見て見ぬふりをした大人全員の責任だとしか僕は思わない。
そういう意味でも、大希くんは周りにいる人に本当に恵まれてるなって感じる。彼のことをちゃんと活かしてくれる大人が周りにいてくれるんだ。それ自体が圧倒的な幸運なのかな。
だけどそれは、大人がどう振る舞うかによって簡単に実現できてしまう環境でもある筈なんだ。だから僕は、これから生まれてくるかもしれない絵里奈との子供にそういう環境を作ってあげたい。親として。大人として。それを妬む人がいるとしても、そうやって他人を妬んでるうちは自分で自分を救われない方向へと追いやってるだけだから、僕にはどうすることもできない。それは、その人の周囲にいる人達が考えるべきことだし。
そして、本人が一番考えるべきことだし。大人なら。
大希くんが恵まれてるのは、彼が周りの人を大切にしようと思ってるからっていうのも大きいって気がする。沙奈子を大切にしてくれて、千早ちゃんのことも大切にしてあげたいと思ってくれて、そんな彼だから周りも力になりたいと思うんじゃないかな。
誰かに一方的に助けてもらうことを期待してるうちは、無理だと思う。
それが許されるのは、小さな子供のうちだけだと思うから。
だからこそ、自分から周りの人を助けたいと思える大希くんがすごいとも言えるんだろうけどね。




