五百九十九 「いつの時代だって」
『僕もピカちゃん好きだよ。かわいいよね!』
一階で大希くんや千早ちゃんと話してたそんな内容がたぶん筒抜けだったことで、星谷さんはやっぱり真っ赤になっていた。
「ひゅ~、ひゅ~っ!、お熱いねえ!」
と、波多野さんが囃し立てる。それを田上さんが、
「こらこら、落ち着け、カナ!」
とツッコんでたり。
そんな様子に、僕はホッとするものを感じてた。
だけど、それを自覚すればするほど、たった二年前までは自分がこんな場にいることなんて想像もしてなかったことも思い出してしまう。
あの頃の僕には、本当に何もなかった。自分の命以外、何もなかった。仕事をしてお金を稼いでも、それを使う当てすらなかった。
世間の人はそれでもまだ、趣味とかに時間やお金を費やしたりしてるのかもしれないけど、僕はそういうのすら無意味に感じてた。
『くだらないことに何キャーキャー言ってんだろ……』
はっきりとは意識してなかったけど、きっとそんな風に心のどこかでは思ってた。楽しそうにしてる人を見下して、馬鹿にして、軽蔑してた。
だけどそれは、ただの妬みなんだって今は思う。そのことを指摘すると、『自分は他人なんか妬んだりしてない』と反論するに違いない。でも、そう反論せずにいられないのは、図星だからなんだ。
その後、三ヶ月ほどして沙奈子が僕のところに置き去りにされて、否も応もなく僕はあの子と一緒に生きる羽目になった。
最初は、本当に嫌だった。どうして自分がこんなことしなきゃいけないのかと思った。大袈裟じゃなく、自分もどこかに逃げられるものなら逃げたかった。それどころか、自分でも考えないようにはしてたかもしれないけど、心の奥底のどこかでは、『この邪魔者を始末してやればいい』なんていうことさえ思ってたんじゃないかな。偽悪とか悪ぶってるとかじゃない、本当の本当の心の奥底の自分は。
僕は、善人じゃない。聖人なんかじゃない。ほんのちょっと歯車が狂ってしまうだけで、山仁さんのお父さんと変わらない人殺しにさえなれてしまう人間だと思ってる。だって、何度も言うけど、自分にとってどうでもいい人が何人死のうと僕は何とも思わないから。思わなかったから。
拳銃を手にして、誰かから、
『さあ、好きに殺していいよ。その責任はすべて私が背負ってあげるから』
なんて唆されたら、あの頃の僕がその誘いを断れた自信はない。
今はもちろん、考えるまでもなく断る。だって僕には大切なものができてしまったから。沙奈子が、絵里奈が、玲那が、みんながいるから。僕がそんなことをしたら僕の大切な人達が苦しむって分かってしまうから。
でもそれは、僕が今でも、『大切な人がいなければどんな残酷なことでもできてしまう人間』だっていうことの裏返しでしかないことも分かってるんだ。
だけど、大希くんは違う。彼は、ただもう純粋に人が苦しんだりしてるのを見るのが嫌だって思ってるんだ。たとえそれが、まったく知らない赤の他人であっても。『犯罪だから』とか、『法律に触れるから』とか、そういう理屈で自分を抑えるんじゃなく、ただただ人が苦しむところを見るのが嫌なんだろうなって分かるんだ。
だから彼は、頼まれたって人を傷付けるようなことはしないと思う。もう、無意識の領域で僕とは感覚が違うんだ。僕はこうやって延々と考えて自分が誰かを傷付けたりしないようにするための理由を探して自分を抑え続けないといけないのに対して、大希くんはただ『嫌』って直感的に感じられるんだと思うんだ。
何しろ彼には、生まれた時からすでに『失いたくない大切なもの』がたくさん周りにあったんだから。お父さんとか、お母さんとか、お姉さんとか。
なのに彼は、その、『失いたくない大切なもの』の中の『お母さん』を喪ってしまった。それがどれほどの苦しみなのか、両親を亡くした時に『清々した』とか感じてしまったような僕には永遠に分からない。ただ、その『お母さん』を、沙奈子や絵里奈や玲那に当てはめてみると胸が引き裂かれるような気持ちになるのが分かるようになっただけだ。今はね。
沙奈子も絵里奈も玲那もいなかった頃の僕には、それこそ分からなかった。『と思う』じゃなく、『分からなかった』。だって、想像するための起点すらないんだから。
今の僕みたいに延々とあれこれ考えて自分を抑えなきゃいけないのに比べて、大希くんは本当に楽だろうな。考えるまでもなく『他人を傷付けるなんてしたくない』って思えるんだから。
それが、生まれた時から大切なものに囲まれた人の姿なんだろうな。
でもおかげで、自分が子供を持った時にどうすればいいのかが分かった気がする。大希くんと同じようにしてあげればいいだけなんだ。あれを真似ればそれでいいんだ。何も難しいことじゃない。ただあったかい気持ちで『生まれてきて良かった』って思わせてあげるだけでそうなれるんだって。
だからもし、絵里奈との間に子供が生まれても、もう何も心配はしてない。
世の中が大変だとか生き難いとか、そんなのはいつの時代だってそうだったと思う。むしろ、戦国時代とかに比べたら今の方がよっぽど『生まれてきて良かった』って思わせてあげやすいんじゃないかな。楽じゃなくても大変でも、『生まれてきて良かった』って思える瞬間はきっとある。だって、今、僕自身がまさにそう思ってるから。
不安はあるよ。不満もあるよ。辛いこととか苦しいことだって今も山盛りあるよ。だけど『生きる』ってそういうことじゃないのかな。不安とか不満とか辛いとか苦しいとか、そういういろいろがあるのが『生きる』ってことじゃないかな。そういうのがあった上でも、嬉しいこととか楽しいこととか幸せなこととかがあるのが『生きる』ってことじゃないかな。
二年前までの僕は、自分でそういうものを全部捨ててしまってた。手放してしまってた。それどころか寄せ付けないようにしてた。好意を示してくれる鷲崎さんすら拒んで。
もちろん当時の僕が鷲崎さんを受け入れたとしても彼女を幸せにできたとは思わない。ただ彼女の好意に甘えてそれを利用して一方的に搾取してただけに違いない。そうして彼女をボロボロにして不幸にして捨ててしまってたかもしれない。あの頃の僕は、そういうことができる人間だった。と言うより、それしかできなかった。自分が誰かを大切にするなんて……
それで考えると、タイミングみたいなものも大切なのかな。沙奈子と一緒に暮らし始めた頃に鷲崎さんと再会していたら、もしかしたらっていう気がしないこともない。そういう意味では申し訳ないなって思う。
だけど僕は絵里奈を愛してるんだ。彼女を愛してしまった。だからごめん。
ただ、鷲崎さんにもそういうタイミングの出逢いがあるのかもしれないな。今後。
彼女にも、大希くんみたいな人との出会いがあればいいのになあ……。




