表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
594/2601

五百九十四 大希編 「サイコパス」

二月十一日。日曜日。


山仁やまひとさんの告白から始まった一連の流れは、星谷ひかりたにさんと大希ひろきくんの結び付きがさらに強くなったという形で幕を閉じた。


人間はそれぞれ、いろんなものを背負って生きてるっていうのも改めて実感した。山仁さんが背負ってるものの大きさや重さには、ただただ圧倒されたけど。


『辛い経験をした人は優しくなれる』って言う人がいる。でも僕は、それだけだと言葉足らずだと思う。『辛い経験をした上で誰かに優しくしてもらった経験があればこそ、そこから学んで優しくなれる』んだって僕は思うんだ。まったく優しくしてもらったことのない人は、そもそも『優しさって何?』って感じだろうから。


人間は、自分が経験したり学んだりしたことしか再現できないと思う。自分がしてもらったことのない振る舞いはできないと思うんだ。見聞きしたことさえない言葉は理解できないように。


『厳しい世の中でこそ人間は強くなる』みたいなことを言う人もいる。でも、厳しいだけの世界じゃ結局は殺し合うことしかできないとも思う。


まるでイベントのように厳しさをわざわざ作り出さなくてもこの世は十分に厳しいよ。生きてるだけでいろんなことが待ち構えてる。学校や会社で嫌な思いをするかもしれない。交通事故に遭うかもしれない。突然病気になるかもしれない。


甘い世の中だって言うのなら、どうして引き籠る人がいるんだよ?。辛くて苦しくて耐えられないことがあったから外に出るのが怖くなるんだろう?。だったらその人にとってはこの世は十分以上に厳しいものじゃないのかな。


それを『甘えてる』と簡単に言い切れる人は、きっと、そこまでの辛くて苦しくて耐えられない経験をしたことがないんだとしか思えないよ。


どんなことをどれだけ辛いとか苦しいとか感じるかは人それぞれだよ。自分は平気でも他人がそうとは限らない。


だって、僕は沙奈子のためなら自分の人生すべてを懸けたって惜しくないけど、みんながみんな、それと同じことができるわけじゃないと思うんだ。


『誰かのために自分の人生すべてを懸けるなんて耐えられない』っていう人もいると思うんだ。だから結婚もしない、子供も欲しくないって言ってる人がいるんじゃないかな。そういう人たちは、『そんなの耐えられない』って思ってるからそうなんじゃないかな。


でも、人間はずっと昔からそうしてきた。これまでの無数とも言える人たちはそうしてきた。なのにそれに『耐えられない』って言う人がいる。そういう人たちは、これまでの人間の歴史から見れば少数派も少数派。歴史の前ではそれこそ塵のような数でしかないんじゃないかな。


沙奈子が来るまでは、僕もその少数派の一人だった。沙奈子と一緒に暮らすことがなければきっと、結婚や子供なんて自分には有り得ないと考えてたはずだ。


僕の場合はたまたまきっかけがあってそれが覆されてしまったけど、とてもいい出逢いがあって何とかなってしまったけど、誰でも必ずそうなれるとは限らない。


『結婚や子供なんて耐えられない』って考える人が歴史上どれだけ少数派であっても、現にそう感じる人は確かにいるんだ。


それと同じことだと思うよ。辛いこととか苦しいことがあって耐えられなくて引き籠ってしまう人っていうのは。


そういうことを理解した上で、じゃあどうすれば解決できるのかっていうのを考える必要があるんじゃないかな。


『甘えてる』とか『優しくしたらつけあがる』とか言ってる人は、それはただ単に自分に想像力がないっていうのを公言してるだけじゃないかな。


僕はそれを学んだよ。


もちろん、ただただ優しくするだけで解決するとは思えない。優しくするのはあくまで辛かったこと苦しかったことを癒すだけだろうから。その上で、じゃあどうすればそれに立ち向かって行けるのかっていうのを具体的に実効性のある形で示していかないと何も解決しないと思う。


僕自身がそれを示してもらえたことで乗り切ってこられたからこそそう思うんだ。沙奈子との暮らしについて、塚崎つかざきさんからはとても丁寧に詳しく教えてもらった。それがなければ僕はきっと沙奈子と一緒には暮らせなかった。『お前が保護責任者なんだからしっかりしろ!』って怒鳴られるだけじゃむしろ精神的に追い詰められてそれこそ取り返しのつかないことをしてた可能性だって少なくなかった。


何故なら僕は、自分にとってどうでもいい他人が何千人何万人死んだって何とも思わないっていう冷酷な一面があるから。もし、沙奈子のことを『自分にとってどうでもいい人間』だと認識していたら、あの子が何も食べられなくて飢えて死んでも、夏にエアコンを使わせないで熱中症で死んでも、『死んでくれて良かった』としか思わなかったに違いないから。


あの子のことを『大切だ』って思えばこそ、失いたくないと思えばこそ、他の人のこともそれに重ね合わせることで『そうか、亡くしたら悲しいんだ』って想像できるようになったんだ。


僕はたぶん、山仁さんのお父さんの役童強馬えきどうきょうまとそれほど変わらない種類の人間だと思う。ただ単に、『自分にとって何が大切か』っていう部分が違ってるだけなんじゃないかな。


確かに僕には警官隊を相手に大立ち回りを繰り広げる膂力もないし胆力もないけど、その分、他人を簡単に殺せる、それこそ拳銃とかライフルを手にすれば容赦なくそれで人を撃てるタイプの人間だと思う。


簡単だよ。何も考えないようにすればいいんだから。


会社で上司が何を言ってても右から左に聞き流すように、他人の悲鳴も命乞いも聞き流してしまえばたぶんできる。


そうか、こういうのが『サイコパス』って言うのかもしれない。だとしたら僕は立派な『サイコパス』なんだろうな。


だけど、サイコパスって言われる人間にだって何か大切なものがあると思うんだ。その大切なものを守るためには具体的にどうすればいいのかっていうのを学ぶことができれば、そんな自分を人間社会に寄せていくことだってできるんじゃないかな。


僕は今、沙奈子や絵里奈や玲那を大切だと感じてる。僕が何か事件を起こせば沙奈子や絵里奈や玲那が苦しむ。それが分かってるから事件は起こさない。これは多分、どんな抑止力よりも強力な抑止力だよ。僕にとってはね。


僕にとっては、僕自身の命さえそんなに大切じゃないから。


昔の自分を思い返してみれば分かる。僕はただ、自殺するのさえ億劫だから死ななかっただけで、いつ死んだって構わないと思ってたから。


でも今は、沙奈子や絵里奈や玲那が悲しむと思えばこそ、じゃあ僕も死んじゃ駄目じゃん。って思えるだけなんだ。


それがなければ、僕は本当に自分が生きてる意味さえ掴めなかったと思う。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ