五百八十九 大希編 「不世出の傑物」
『今後とも、よろしくお願いいたします……』
そう言って床に手をついて、星谷さんは深々と頭を下げた。それを見た山仁さんも彼女の前で手をついて、「こちらこそよろしくお願いいたします」と、同じように頭を下げた。
事情を知らない他人が見たら、いや、たとえ事情を知ってたって同じ立場の人間でなければ、もしかしたら同じ立場であっても人によってはきっと茶番劇に見えたと思う。
だけど僕にはそうは見えなかった。自分たちが抱えてる問題に真摯に向き合ってるからこそのものだと思った。それを嘲笑うような人間には僕はなりたくなかった。
他人からはどんなに馬鹿馬鹿しく見えても、山仁さんと星谷さんにとっては必要なことだったんだ。
だから僕は、星谷さんの中では結論が出たんだと思えたんだ。
自分がこれから背負うことになるかもしれないものを自分の中で検証して、その上でそれと向き合っていく覚悟をあの僅かな時間で決めて、彼女はそう言ったんだ。いつまでも時間をかけてああでもこうでもないと懊悩するんじゃなくて。
その決断で苦しむことになることもあるかもしれない。だけどもし、実際にそうなった時には今度は僕たちが力になろうと思った。
僕たちみたいにほとんど大したものを持ってないからこそ存在しない葛藤やしがらみに苦しめられることも苦しいことだと思う。持っているからこその苦しみ。それを妬んだりする人間にはなりたくない。僕たちを蔑んだり見下したりしなかった彼女を助けたい。力になりたい。
この時の星谷さんの決心を僕は応援したいと思ったんだ。
沙奈子を連れてアパートに帰ってから、絵里奈と玲那も言ってきた。
「星谷さん、辛いでしょうね。でも、それでもああして覚悟を決められるっていうのがさすがだと思います」
「ホント、決断できる人間ってああなんだろうなっていうのを見た感じかな」
玲那の言うことも分かる気がした。決断できる人っていうのは、自分の決断に責任を持てる人なんだろうなって。星谷さんならきっと、大希くんと結婚したことで何かが起こっても、それさえ受け止めて何とかしてしまうっていう気がする。僕たちはその時になにかできることがあれば力になりたいんだ。
もちろんそんな大したことができるとは思ってない。ただ、彼女の味方って言うか、彼女の判断を支持するだけでもって思うんだ。星谷さんは、本人が心折れて諦めてしまわない限りはどんな問題でも何とかしてしまう気がする。だから精神的な支えになれればそれで十分って気もするんだ。
「僕は、もし、星谷さんと大希くんが結婚するようなことがあって、それで山仁さんのお父さんのことで誰かから責められたりするようなことがあった時、味方になりたいと思うんだ。玲那のことでも沙奈子のことでもすごくお世話になってるからさ」
僕がそう言うと、絵里奈と玲那も大きく頷いてくれた。
「もちろんです。私も達さんと同じ気持ちです」
「私はそれこそメチャクチャ恩があるからね。それを返さなきゃいけないし」
そう言って確認してる僕たちを、沙奈子は静かに見守ってくれてたのだった。
二月九日。金曜日。やっぱりまだ寒さは続く感じなのかな。
昨日の山仁さんの告白と星谷さんの決断は、正直言って衝撃的だった。そして、玲那がもし、今後誰かと付き合ったり結婚したりってなると間違いなく降りかかってくることだとも思った。
山仁さんの例に比べれば多少はマシかもしれない。被害者である実のお父さんは、事件の所為では亡くならなかったから。それでもきっと、気にする人は気にするし、何か言ってくる人は言ってくるだろう。玲那でさえそうだったんだから、何十年経ってもいまだに語り草にされるくらいに強烈に残ってる事件の加害者家族となれば、その風当たりは尋常じゃないかもしれない。
もし、沙奈子や僕の子供が何か事件を起こしてそれで僕が責められるのなら、それはまだ仕方ないと思う。事件を止められなかった責任が僕にはあると思うから。だけど、親が起こした事件で子供や孫があれこれ言われるとかは、おかしいとしか思わない。そんな、『どんな親の下に生まれるか』なんて、本人には本当にどうしようもないことで。
だから改めて思ってしまった。子供をこの世界に送り出してしまった責任が親にはあるんだって。山仁さんのお父さんも、それを少しでも考えてくれてればあんなことはしなかったのかもしれない。自分のしたことで子供を苦しめることになるんだって考えることができれば。
また後になって聞いたことだけど、山仁さんのお母さんがそんな人とどうして結婚することになったのかって言ったら、お父さんに乱暴されてしかもそのまま脅されて言いなりにさせられたって話だった。
山仁さんのお父さんが生まれ育った地域では、昔からそういう風習と言うか習慣と言うかがあったらしい。たとえ強引にでも自分のものにしてしまえばそれが認められるっていう……。
当時はそれを、『男らしい』とか『甲斐性がある』とか言ってたんだって。
でも、そんな、男らしい甲斐性のある人が、事件を起こしたんだ。その集落で、自分の親類を中心として、次々と。その中には、まだ八歳の男の子もいたってことだった。山仁さんの従弟だったって……。
力尽くで何かをする人が『男らしい』とか『すごい』とか言ってた結果がそうなんだって僕には思えてしまう。
もしかすると、戦国時代とかその頃にはそういうのが通用したのかもしれない。その頃には、そうやって力尽くで何かをやり遂げる人こそが求められてたのかもしれない。だけどそれはもう、通用しないんだ。力で何かをしようとすれば、もっと強い力で抑え付けられる。刀を使わせれば強い人も、離れたところから機関銃で撃たれたら成す術もない。強力な機関銃を持ってる人も、さらに離れたところからミサイルを撃ち込まれれば死ぬ。そんなとんでもない武器が実用化されてしまった現代じゃ、個人の力の強さなんかじゃ世の中を動かすこともできないのかもね。
だから、今は、個人的に強い人よりも、多くの人と力を合わせて何かを成し遂げる人こそが世の中を動かすのかもしれない。それこそ、星谷さんのような。
山仁さんのお父さんは、そういう世の中の変化を受け止められなかった人なのかなって思ってしまった。
『俺を殺してみろ!!。今殺しておかなきゃここにいる全員とその家族も皆殺しにしてやる!!』
裁判の最中にそれだけのことを口にして、しかも本当に実行しかねないと思われたからこそ異例の早さで死刑が執行されたって言われてる、『七人殺しの役童』。
世が世ならそれなりの傑物になれたかもしれない胆力を持っていたのかも。
けれど、今はそういうのが通じないという現実と向き合うことができなかったんだろうな。
それに比べて、星谷さんは本当に立派だと思う。昨日あんなことがあったのに、今日はもう冷静さを取り戻してたんだから。
少なくとも、僕の目からはそう見える程度には。




