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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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五百八十五 大希編 「優しいだけの世の中」

二月五日。月曜日。今日も仕事を淡々と終わらせて、沙奈子を迎えに行くと、千早ちはやちゃんと大希ひろきくんにも「おかえり!」って出迎えてもらえてすごくあたたかい気持ちになれた。三人の優しさが本当に沁みる。


だからふと思いだした。


『優しいだけの世の中だと自分の権利ばかり主張して義務を果たさなくなる』


そんなことを言う人がいるってことを。でも僕はそうは思わない。


第一、『優しいだけの世の中』なんて、現実には存在しないと思うから。


たとえ事件を減らすことはできても、事故や病気は決してなくならないだろうし、何より、人は必ず死ぬ。いつかは必ず死ぬ。どんなに大好きな人でも、どんなに大切な人でも、必ず死ぬんだ。


生きるということは、そういう厳しい現実と向き合うことだ。楽に生きてると思ってる人は、ただ単にそういう現実から目を背けて見ないふりをしてるだけだとしか思わない。


もし今が優しいだけの世の中だとか思うのなら、それで権利ばかり主張する人が増えてるんだと思うのなら、どうしてこんなにネット上に『愚痴』が溢れてるんだろう?。『辛い』とか『生き難い』とか『社畜』とかそんな言葉が溢れてるんだろう?。それって結局、今の世の中だって結局は辛くて苦しいってことじゃないのかな?。


そんな世の中が『甘い』なんて、そんなの、現実を見てないだけだと思う。現実を見ないようにして自分に都合のいいことばかり見ようとしてるからだと思う。


今だって十分、生きるのは辛いことなんだよ。その辛さの中で生きていくんだっていうのをきちんと理解できれば、『甘やかしてもらえてる』なんて考えないと思う。


『優しいだけの世の中だと自分の権利ばかり主張して義務を果たさなくなる』なんて言ってる人こそ、辛い現実を見て見ぬふりしてるとしか思えないんだ。現実と向き合えば、今もこの世は少しも甘くないって理解できる気がする。


お母さんを亡くしてもあんなに朗らかで穏やかでいられてるイチコさんや大希ひろきくんを見てればそう思える。


二人は、辛くて苦しい現実と向き合ってるからこそあんなに穏やかなんだって。


家族を大切にすればするほど、別れる時は辛くなる。お祖父ちゃんやお祖母ちゃんが大好きだったとしたら、大切だったとしたら、その別れはとても辛いはずなんだ。たとえ本人が満足して納得できた最後だったとしても、残される方にとっては心残りがあるんじゃないかな。


今の世の中を『甘い』とか考えてる人は、そういう別れを辛いとは感じてないってことなんじゃないかって。


家族との別れだけじゃない。いくら努力したって報われないことだってある。死に物狂いで頑張っても辿り着けない目標があったりもする。そういうことを経験した人にとっては世の中は決して甘くない。


自分がそこまで努力したり頑張ったりしたことがないから『甘い』とか言えるんじゃないかな?。今もこの世界は十分に厳しいよ。


僕は、自分が出会った人たちのことを思えばこそ、そんな気がしてしまう。みんな辛くて苦しい現実と向き合って生きてる。その上で幸せと思える瞬間を知ってるから優しくなれるのかもしれない。幸せへの一番の近道は、誰かを大切にすることだと思うから。


これは決して綺麗事じゃないんだ。本当に単純な話だよ。山仁やまひとさんの過去を知った時にも思い知ったけど、館雀かんざくさんを見た時にも痛感したんだ。今までにも何度もそう感じてきた、やっぱり他人を傷付けようとする人は他人からも傷付けられるってことを。幼い頃の沙奈子や玲那や千早ちゃんのような小さな子供以外で『自分は本当に何も悪いことしてないのに傷付けられる』っていう人はたぶんそんなにいないって。自分で気付かないうちに誰かを傷付けるようなことをしてるんじゃないかって。


中学高校の頃の僕自身もそうだったかもしれない。自分では何もしてないつもりだったけれど、内心では周囲の人間を見下して馬鹿にしてた部分もなかったわけじゃない。そういうのがどこかで態度に出てたのかもしれない。『山下って信用できないよな』みたいなことを言われた時のように、他人を気遣ってるつもりだったのが実はっていうのがあったのかもしれない。


だからあの頃の僕は幸せじゃなかった。出逢いに恵まれなかったいうのもあるかもしれなくても、その出逢いそのものを僕自身が遠ざけてたというのもあったかもしれない。当時は僕もまだ未成年だったから当然だとしても、沙奈子のような存在が僕の傍に現れたとしてもきっと受け止めることができなかった。沙奈子を、本当にギリギリの際どい状態だったとはいえ受け止めることができたから、その後の僕の周りで次々と出逢いが生まれたのかもしれない。


僕も意図的に自分でそうなろうと思ってなったわけじゃないから、『そうするべきだ!』とは強く言えないけれど、自分の経験としてそうだったというのは確かなんだ。


幸せになりたいのなら、他人を傷付けるのはやめた方がいいと思う。他人を罵るのはやめた方がいいと思う。自分がやめない限り、他人もやめてくれないから。相手が先にやめてくれることを期待しているうちは、自分の力で幸せを掴むことは難しいと思う。


イチコさんや大希くんと館雀さんの違いが、残酷なくらいそれを物語ってる気がしてしまう。イチコさんや大希くんの周りにはこんなに素晴らしい人たちがいて、でも館雀さんにはそういう人の気配がまるでなかった。彼女の力になろうとか、助けようとか、そういう人の影がまったく感じられなかった。こんなに分かりやすい例はないんじゃないかな。


館雀さんは今、どうしてるんだろう?。今もあの調子で、誰かに噛み付いてるのかな。誰かを罵ってるのかな。そんな彼女を幸せにしてあげたいと思ってくれる人が現れるという展開が、想像できない。もし、あの時、イチコさんの言葉に耳を傾けることができてたら、少しでも話を聞こうっていう態度を示せてたら、もしかしたらあの輪の中に入れてたのかな。


そうだ。館雀さんと同じような感じで、でも結果が大きく違ってる人がいる。千早ちゃんと星谷さんだ。沙奈子にきつく当たった千早ちゃんは、自分の態度を変えることができたから今の千早ちゃんになれた。星谷さんも同じだったって言う。


他人を大切にすることができるようになったから自分も幸せになれた。そういうことなんだ。


誰かを傷付けようとして罵って、それで自分だけは幸せになろうなんて、ムシのいい話ってことなんだってすごく感じる。


今日の会合ではこれといった話題もなくて、玲那と波多野さんがただ世間話をして、それに田上たのうえさんがツッコんだりしただけで終わったけど、その間、僕はそんなことを考えてた。


それが終わって沙奈子を連れてアパートに帰る時も大希くんににこやかに見送られて、あたたかい気持ちを実感できたのだった。



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