五百八十一 大希編 「発想の基」
二月三日。土曜日。一時の寒さは和らいだ気もするものの、それでもまだ寒さは厳しい。コタツとファンヒーターに頼りっぱなしだ。最近、灯油の値段も上がってきていて、なかなか家計には厳しいものがある。
今日はまた、水族館に行くことにした。星谷さんたちは旅館の予約を入れてたそうでそちらに行くから、僕たち家族だけで水族館だ。
皆と一緒に行くのもいいけど、やっぱり四人だけでゆっくりと回るのもいいな。
もう何度も来てるから、見たいところだけを重点的に回る。でも結局、沙奈子も玲那もちょっと変わった生き物のところばかり見てた。
ウミヘビやチンアナゴやウミウシやナマコやオニダルマオコゼやアンコウや、そしてやっぱりオオサンショウウオを夢中になってじっくり見てたんだ。
そういうのが好きでいながら、人形のドレスはすごく可愛い感じに仕上げるらしくて、沙奈子の中でその二つがどういう形で両立してるのか、僕にも全く分からない。この子の不思議なところだと思う。でも実は、ウミウシのひらひらやオニダルマオコゼのヒレの広がり具合がデザインのモチーフになってるらしいということを、ずっと後になって知るんだけどね。
ただ、大きくなった沙奈子にドレスの説明を受けた時に、『ウミウシのこの部分のラインを再現した』とか言われても、僕にはさっぱりピンとこなかったりなんてことも……。
まあそれはいずれ詳しく語ることになるかもしれないとして、とにかく沙奈子にとっては、発想の基になるものを得る場所でもあったらしかった。だから彼女の中ではちゃんと繋がってるみたいだ。
そうか。普通の人には思い付かないものを思い付く人の発想って、こういうものかも知れない。一見しただけでは全く関連性のない、とても繋がるとは思えないものを繋げて考えることで、そういうのが浮かび上がるのかもしれない。
沙奈子の才能の根幹となる部分を垣間見ながら、この時の僕はまったくそれに気付いてなかったのだった。
水族館を満喫して沙奈子と一緒にアパートに帰ると、彼女はさっそく、要らないプリントの裏に絵を描き始めた。ドレスのデザインのラフスケッチらしい。気付けば、そのスケッチを描いたプリントが机の引き出しにぎっしり詰まってた。山仁さんのところで僕の帰りを待ってる時とかにも、思い付いたら描いてたんだって。
それを見た大希くんは、
「お~!、すごい!」
って感心してくれたりしたそうだった。
そういうところでも彼は、沙奈子や千早ちゃんのすることを決して馬鹿にしたり腐したりしなかったって。それどころか「よ~し、僕も!」とか言って同じように絵を描き始めたりとか。
ただし、彼の場合はデザインのラフスケッチとかってわけじゃなく、いかにも子供っぽい落書きだったそうだけどね。ただ、そこに描かれるいろんなキャラクターの多くがだいたい笑顔なのが彼の落書きの特徴だったらしい。みんなが笑顔で楽しくいられることを、大希くんは心から願ってるんだろうな。彼には他人がそういられることを願えるだけの心の余裕があるんだ。たくさんたくさん大切にされたから、自分が生まれてきたことを認めてもらえたから、他の人もそうであってほしいと素直に思えるんだろうな。
苦しい時期を乗り越えて、自分が幸せになるためには自分の周囲の人が幸せでいてくれないと駄目だと悟った山仁さんの『渾身の一作』こそがイチコさんであり大希くんなんだろうなってすごく感じる。
そんな大希くんに大切にしてもらえてる沙奈子もきっとすごいし、千早ちゃんもそうなんだ。そして大希くんのそういうところに惹かれた星谷さんも。
デザインのラフスケッチを終えてドレスの縫製を再開した沙奈子と、同じように人形の服を作る絵里奈と、品物の管理作業を黙々としてる玲那の姿を見ながらそんなことを考えてた僕は、そう言えばそろそろ旅館から帰ってくるころだなとか思ってたりもした。
夕食を終えて山仁さんのところに向かい、大希くんと千早ちゃんに迎えられて沙奈子を二人に任せ、僕は二階へと上がってた。するとまた、星谷さんが真っ赤になって呆然としてた。一目見て、『ああ、大希くんのことで何かあったな』というのが分かった。
「いやいや、今日はヒロ坊に背中を流してもらっただけだよな、ピカ!」
波多野さんがニヤニヤと笑いながらそう言う。『背中を流してもらっただけ』って言うけど、星谷さんにしてみれば大変なことだろうというのはその場にいる皆が分かってた。もちろん波多野さんも分かってる。
ただそれは、星谷さんが大希くんと一緒にお風呂に入ってのぼせたりするためにやってるだけのことじゃない。実は、そうやって慣れてもらうっていう意味もあるらしかった。
星谷さんは大希くんのことが好きすぎて、ともすると暴走してしまいがちになることがあるのは分かってた。高価な玩具を会う度に彼にプレゼントしようとしたことなんかも、そういうのの一つなんだろうな。
でもそれって危うい一面もあるっていうのは僕にも分かる気がする。僕の両親が兄に対してやったことにも通じる行為だから。
だからのぼせあがった星谷さんのそういう部分を、大希くんといっぱい触れ合うことで慣れて、いずれは冷静になれるんじゃないかっていう試みでもあるとかないとか。別になにか根拠のあることじゃないけど、恋愛っていうのが一般的には一緒にいるのが当たり前になってくると盛り上がってた気分が落ち着いてくるように、いっそのこと裸の付き合いに慣れてしまえばって感じなんだって。
星谷さんと大希くんを二人きりにするのはヤバいけど、みんなが一緒でいることで間違いが起こりそうになっても止められるというのもあるとは聞いた。むしろ二人きりにしないために『みんなで行く』っていうことにしてるんだろうな。
まあ、半分、こじつけみたいな理由だとは思うけどね。単純に、楽しいからっていうのが一番なんだろうけどさ。
だけどそれもこれも、相手があの大希くんだから成立してるんだとも思う。彼以外の男の子で同じことをしたらマズいっていう気しかしない。さすがに非常に特殊で例外的な話なんだっていうのは忘れちゃいけないかも。
彼が普通の思春期の男の子だったら彼の方が冷静でいられなくなるわけで、そうなるとある意味では性的虐待とも言われかねないし。大希くんが星谷さんたちの裸を見ても平然としてられるからこそできることなんだよ、きっと。
ちなみに、この辺りは条例で七歳以上は男の子は女湯に、女の子は男湯に入れちゃ駄目ってことになってるらしいけど、それも家族風呂までは適用されないみたいだ。
そういうこともちゃんと頭に置いてでないと、笑い事じゃすまないよね。




