五百七十九 大希編 「一方的な都合」
山仁さんの詳しい境遇について分かったのはこれよりもう少し後だったけど、それを知ったことで、山仁さんがどうしてあんなに優しいのかが納得できた気がする。自分が苦しんできた原因すべてを徹底的に排除しようとした結果が、今の山仁さんなんだ。
でもそれは、突き詰めれば、
『他人を傷付けようとする人間は、他人から傷付けられる。他人を大切にしない人間は、他人からも大切にされない』
たったそれだけのこと。
自分が傷付けられてきたことを理由に誰かを傷付けようとするとか、自分が大切にされてこなかったことを理由に他人も大切にしようとしないとか、それで山仁さんの父親が『地獄』を作り出したんだってことを骨の髄まで思い知って、山仁さん自身はそれをとことんまで否定したんだ。
だから、自分が傷付けられてきたからって他人を傷付けようとはしないし、自分が大切にされてこなかったからって他人を蔑ろにしようとはしないんだ。
普通ならそこで、『自分はこんな目に遭ってきたんだから自分だけやられたことを我慢するのなんて不公平だ!』と言って自分がやられたのと同じことを他人に対してもしようとするところを、ただひたすら実行しないようにしたんだ。
その結果が、イチコさんであり大希くんなんだ。
山仁さんは、自分の選択が正しかったことを、イチコさんや大希くんによって確かめることができたんだと思う。それによって救われたんだろうな。
『自分がされたことを他人に対してやらないなんて不公平』っていう考え方自体が不幸の素だっていうのを、これ以上ないくらい実感できる形で確かめることができて救われたんだ。
どう頑張っても修正不可能な不公平もこの世にはある。どんな親の下に生まれつくかっていうのなんてその最たるものだろう。だけどその修正不可能な不公平を理由に他人を恨んだり妬んだりすれば、それは自分で自分を不幸にしてるだけ。
また、『自分は親にこうされてきたんだから、自分も子供に対してこうするんだ』ってのを言い訳にして暴力を振るったり怒鳴ったりするのも同じ。
結局、そういうことなんだろうなって分かる。
『言っても聞かないから殴る』と、子供を殴る人は言うけど、殴っても結局は言うことを聞いてないよね?。一度殴ったらもう二度と殴らなくても済んでるなら確かに効果があったと言えるかもしれないけど、毎回殴ってるんじゃ、それは『殴ったから言うことを聞いた』とは言わないと思う。『殴られるのが嫌だから渋々服従してるだけ』で、それはつまり、『力関係に頼った支配』でしかないよね?。ということは、力関係が逆転したらもう通用しなくなるよね。
そう考えると、歳をとって体が弱った親が子供に見捨てられるのとかの理由が納得できてしまうんだ。力に頼って自分を服従させてきた親が弱ったら、服従する理由が無いから。
『育ててもらった恩』なんか、そこにはない。ただの『支配者に対する反発』しかないっていう気しかしない。
だってそもそも、親が子供を生んだのは親の一方的な都合だよ。子供の方から頼んだわけじゃない。子供を育てるのも、生んだ側にその義務があるってだけだよね?。自分の勝手で生んだんだから。
そして今は、自分が生んだからって親が子供の命を好き勝手にしていいっていう世界じゃない。かつてはそういう世界だった時期があったとしても、今は違う。今の世界に生きるなら、そのルールに従う必要があるはずなんだ。子供に、『ルールは守れ』って言うのなら。今の世界のルールに従えないというのなら、それ相応のペナルティもあると思う。
『こんな親の下に生まれたんだから諦めろ』って子供に対して言うのなら、『親だからって子供を好き勝手にしていい訳じゃないっていう世界に生まれたんだから諦めろ』と言われても当然だよね。
力で自分より弱い者を従えようとすれば、いずれ力関係が逆転した時には自分のやったことが返ってくる。そんなの別に珍しいことでもなんでもない。
力で抑え付けられて支配された人間は、自分よりも弱い相手を力で支配する方法しか学べない。力で他人を従えようとする人間に育てられた人間は、力で他人を支配する方法しか学べない。
でもたまたま、山仁さんは、それで苦しめられた自分の境遇に疑問を感じて、そうじゃないやり方を学ぶ機会があって、それが自分の苦しかった境遇に対する答えになることを知って、そして苦しかった過去と決別するために、自分がされてきたことを、一切、イチコさんや大希くんに対してはしなかったんだ。そしてそれが、山仁さん自身にとっても救いになった。かつての世の中の全てを呪い憎悪してきた自分とは似ても似つかない人に育ったイチコさんや大希くんを見て、山仁さんは救われたんだ。
人間以外の動物は、力で弱い者を従えたりするかもしれない。親が子供にルールを教える時は噛み付いたり抑え付けたりするかもしれない。でも、人間は他の動物とは違うんだろう?。『人間は他の動物とは違う!』と言って特別視してるのに、そういう部分だけは他の動物と同じでいいとか、随分とムシのいい話じゃないかな。僕は、そういうの納得できない。
考えてみれば、人間は、恨み辛みや憎しみっていうのを強く持つことができる動物だよね。それをいつまでも忘れずに、仕返ししたり復讐したりっていうのを狙ったりもする。その点、人間以外の動物は、そういうことをいつまでも覚えてられなかったり、覚えててもそもそも『弱い方が負けて淘汰される』っていうのが当たり前の世界だから、恨みや憎しみはそんなに影響しないのかもしれない。
だけど人間はそうじゃない。人間の世界では恨みや憎しみがあるからってその相手を傷付けることが許されるわけじゃない。じゃあ、そもそも恨みや憎しみを作ること自体が好ましくないってことじゃないかな。
自分以外の誰かを力で支配して抑圧して虐げて、恨みや憎しみを育てて、それで何が得られるんだろう?。
反抗心?。
ハングリー精神?。
反骨精神?。
それが上手く作用してる陰で、どれだけの不幸な事件が起こっているのか、それには目を向けないの?。百人中、一人とか二人とかの『成功者』を作る為に、それ以外の人を不幸にして苦しめて、本当にそれでいいの?。それが嫌だから、『辛い』とか『苦しい』とか『ムカつく』とか『妬ましい』とか言ってるんじゃないの?。
イチコさんや大希くんからは、ハングリー精神とか反骨精神とかそういうのは感じない。だけど二人とも人並み以上に勉強もできるし頭もいいし何より優しい。
二人を見てると、『復讐者』を生み出すリスクを冒してまで、ハングリー精神とか反骨精神とかを生み出すメリットは感じられないんだ。




