五百七十六 大希編 「大希くんの本気」
二十八日。日曜日。千早ちゃんたちが昼食を作りに来るとき、少し雪がちらついてたようだった。
「冷たい?。ねえ冷たい?。沙奈はあったかいな~!」
千早ちゃんがやっぱり沙奈子に抱き付いてほっぺたを擦り付けてた。
「冷たいね…」
彼女のほっぺたが冷たかったみたいで沙奈子はそう言ったけど、自分のほっぺたであっためてあげようとするかのように千早ちゃんを受け入れてた。
でも、大希くんが、
「長いぞ千早~」
ってツッコんだりもする。
それから千早ちゃんたちが昼食を作ってる間、星谷さんが言ってきた。
「玲那さんの音声を抽出したもので作ったバージョンが出来上がりましたので、少し試していただけますでしょうか」
「お~!、待ってました!!」
玲那のテンションがパアってあがって、さっそく、僕と玲那のスマホとノートPCにそれぞれダウンロードする。
それが終わるまでの間、僕は、期待と不安で何とも言えない気分になってた。サンプルになる映像データが十分じゃないからどうしても機械音声然となるのは避けられないと、星谷さんにはあらかじめ言われてたからあまり期待しすぎないようにしてるつもりなんだけど、それでもどうしても期待してしまう部分もあるんだ。
そしてダウンロードが終わって、アプリを起動する。
「テスト、テスト、ただいまアプリのテスト中」
玲那のメッセージが、僕のスマホで読み上げられる。
それは、確かに機械音声っぽかった。有名なバーチャルアイドルがしゃべってるみたいな感じがあるのは否めなかった。でも…、でも……。
「お姉ちゃんの声だ…!」
そう言ったのは、お昼を作ってた沙奈子だった。沙奈子が驚いたような顔で僕たちの方を見て言ったんだ。
だから僕も、
「玲那の声だ!」
って言ってしまった。僕が思ってた以上に、ちゃんと玲那の声だったんだ。
すごい…、すごいよ……!。僕たちが玲那の声を知ってるから、脳が勝手に補正して余計にらしく聞こえるっていうのもあるかもしれない。だけど、それでよかった。それで十分だった。僕たちにとって『玲那の声』に聞こえれば、それでいいんだ。
「ありがとう、ピカ!」
『玲那の声』で、星谷さんにお礼を言う。それを聞いて、星谷さんも嬉しそうに微笑んでくれた。
もちろん、『本当の声』はもう返ってこない。あくまでも玲那の声を基にした『作られた声』だ。だから玲那を見送ったあの日の、『じゃ、行ってくる…』っていう少し沈んだ感じの彼女の声が僕たちが耳にした最後の肉声ということは変わらない。でも、たとえ作られたものであっても、玲那の声で会話ができるというのは素直に嬉しいんだ。
「ありがとう…、本当にありがとう、星谷さん」
そう言った僕に続いて、
「ありがとう、ピカおねえちゃん」
と、沙奈子も頭を下げていた。
なのに星谷さんは、
「いえ、これはまだ通過点にすぎません。まだまだこんなものでは私は納得できません。より玲那さんの肉声に近いものを追求していきたいと思います。
つきましては、玲那さんの詳細な頭部および口腔のデータを得たいと思いますので、準備ができましたらまたご協力をお願いすることになるでしょう。お手数をお掛けしますが、ご協力いただけましたらありがたいです」
本当に、どこまでも貪欲に求めるなあ。やっぱり、人がやらないことをする人ってこういうことなのかな。思ってるだけで実行しない人と、思ってそしてそれを実行に移す人の違いなのかもしれない。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
僕は改めて頭を下げた。すると沙奈子と玲那も「よろしくお願いします」って頭を下げてた。
その時、
「ピカちゃん、すげ~!」
って声も僕の耳に届いてきた。大希くんだった。
「世界を救う第一歩ってことだな?。まずは玲那さんを救うんだな?」
キラキラした目でそう言う彼に、星谷さんの顔がみるみる真っ赤になっていく。
「は、はい…。頑張ります…!」
僕たちに見せていたそれとは全く違う姿で、彼女は大希くんに応えてた。恥ずかしそうに俯いて、もじもじしてて。そのどちらの姿も星谷さんなんだって改めて思う。
だけど、そんな彼女を様子を見た千早ちゃんが、
「む~!、ヒロばっかりずるい!。ピカお姉ちゃんは私のお姉ちゃんなんだから!」
と、料理しながら顔だけこっちに向けて口を尖らせた。
そのヤキモチを妬く姿も可愛くて、僕は思わず頬が緩んでしまったのだった。
皆でお昼を食べている時、大希くんが口を開いた。
「僕はお母さんいないけど、みんながいるから寂しくないよ。特にピカちゃん、お母さんみたいだし!」
彼がそう言うと、星谷さんはちょっとだけ苦笑いになってた気がした。大希くんにとってはまだまだ星谷さんは『お姉さん』や『お母さん』っていう存在なんだなっていうのを改めて感じた。
でも彼は続けて言ったんだ。
「それって、ピカちゃんが僕を助けてくれてるってことだよね?。ピカちゃんが救う世界の中に僕もいるってことだよね?。ホントにすごいなあ。だから僕もね、ピカちゃんのことを助けたい!。早く大きくなってピカちゃんと一緒にみんなを助けたい!。
だって、僕、みんなにいっぱいいっぱい助けてもらったんだよね?。お父さんが言ってたよ。ピカちゃんもカナちゃんもフミちゃんも学校の先生も、僕を助けてくれたんだ!。だから今度は僕がみんなを助けるんだ!」
それは、子供っぽい夢を語っただけかもしれない。ただの夢物語なのかもしれない。だけど少なくとも、この時の大希くんは本気だったと思う。
彼は、自分がたくさんの人に支えられて助けられて生きてるっていうことを知ってる。実感できてる。だからこそ大きくなれば今度は自分がそうするんだって素直に思えるんだろうな。
子供の頃の僕にはそういう実感がなかった。自分は誰からも見てもらえてなくて、気付いてももらえなくて、いてもいなくても同じなんだと思ってた気がする。それどころか、邪魔な存在なんだろうなとさえ思ってた気がする。だから自分が他人を救うとか助けるとか、そんなこと、想像もしてなかった。自分が救われても助けられてもないのに、どうして僕が他人を救ったり助けたりしなきゃいけないんだとさえ感じてたんじゃないかな。
他人を大切にできるようになるには、自分が大切にしてもらえた実感が必要なんだと思う。それがなければ、どうすれば他人を大切にすることになるのかがそもそも分からないと思うから。
親は、自分の勝手で子供をこの世に送り出してしまったんだ。だったら、その責任を負うのが当然の筈なんだ。子供を大切にして、どう接するのが他人を大切にすることになるのかを、子供に身をもって教えてあげるべきだと思うんだ。
『僕はみんなに助けてもらったんだから、次は僕がみんなを助けるんだ』
当たり前のようにそう言う大希くんに、僕は改めてそう実感したんだ。




