五百七十四 大希編 「引き渡し訓練」
以前に比べれば随分と改善された千早ちゃんとお母さんの関係も、お母さんの学校というものに対する不信感までは拭いきれてないみたいだ。
当然か。それは千早ちゃんのお母さん自身と学校との問題だからね。以前の学校でもほとんど顔を出さなかったらしいし、もしかしたらお母さんが学校に通ってた頃に何かあったのかもしれない。それで強い不信感をもってしまったのかも。
その辺りの事情は僕には分からないからあまり詮索しないでおこうと思う。
授業が終わって沙奈子に「じゃあ、またあとで迎えに来るからね」と声を掛けてて嬉しそうに「うん」と頷いてくれたのを確認してから、いったん、アパートに帰る。僕はたまたま休みが取れたからいいけど、一日に二度も学校に行くことになるというのは、人によっては負担になるかもしれないなとやっぱり思った。かと言って別々の日にするとそれぞれ休みを取らなきゃなかったりで、昔みたいに家族が多くて誰かが迎えに行けたような時代じゃないんだなとつくづく感じる。
部屋に戻ると、さっそく玲那とビデオ通話で顔を合わせた。さっきとはすっかり様子が変わって目の腫れも治まってた。機嫌よくフリマサイトに出品した品物の管理作業に集中できてるのが分かる。だからあまり話しかけたりしないで見守るだけにした。
昼食は、二人でカップラーメンにする。嬉しそうに「にひひ」と笑う玲那の顔を見ると、僕も頬が緩んでしまう。
今朝みたいなことはこれからもきっと何度もあるだろう。それを面倒臭いと感じる人もいると思う。でも僕は、この子を見捨てたりとかしたくない。玲那は僕の大切な娘だ。自分の娘を見捨てるような親には決してなりたくない。ましてや、自分で子供を追い詰めておいて、それで問題行動を起こすようになったのに『面倒見きれない』とか言って切り捨てるような親にはね。
二時。学校からの避難訓練終了のメールが届いたから、僕は沙奈子を迎えに行く為に、玲那に「それじゃ、いってくるよ」と言ってビデオ通話を終了した。彼女も「いってらっしゃ~い」と笑顔で手を振ってくれた。
学校に着くと、山仁さんの姿があった。
「こんにちは」
と挨拶を交わす。
「寒いですね」
「でも、雪がそんなに積もらなかったのは助かりますね」
等々、世間話をしながら教室に向かう途中にも、保護者に迎えられた子供たちとすれ違った。
「あ、大希くんのお父さん、こんにちは!」とか、
「沙奈子ちゃんのお父さんこんにちは!」って、子供たちに声を掛けられたりもした。
最近の子供は礼儀がなってないとかいう人もいるようだけど、僕はあまりそう感じない。僕が子供の頃の方がむしろ無愛想な感じの子供が多かったような印象がある。たまたまなのかもしれないけれど。
子供たちと一緒に保護者の人も会釈をしてくれたから、僕たちも「こんにちは」と会釈を返した。
教室の前にももう何人も保護者の人が並んでて、次々と子供を連れて帰っていく。山仁さんは千早ちゃんと大希くんを迎えてた。担任の先生も事情は分かってるから「石生蔵さ~ん、山仁さ~ん」と声を掛けてた。
「は~い!」と元気よく千早ちゃんが小走りで近付いてくる。その後に大希くんが続く。
「こんにちは!」と二人して僕に向かって挨拶してくれたから、僕もやっぱり「こんにちは」と返した。
「山下さ~ん」
担任の先生が沙奈子を呼ぶ。するともう、すぐ近くまで来てた。僕の姿が見えてたからね。
「はい、時間を確認してください」
そう言われて僕は教室内の時計を確認し、「二時十分です」と応えると、
「はい、二時十分ですね。完了です。気を付けてお帰りください」
って送り出された。
「じゃ、かえろっか!」
千早ちゃんが音頭を取って、五人で「さようなら」と先生に頭を下げて教室を後にした。
「今日は沙奈子はどうする?」
と聞くと、「おうちに帰る」って言うから、そのままアパートに帰ることにした。
「お父さんがいるもんね」
大希くんがそう言ってくれて、千早ちゃんも「だねだね」と相槌を打ってくれた。二人ともちゃんと分かってくれてるなって感じる。
山仁さんの家で三人で遊ぶのもいいけど、せっかく僕がいるんだから一緒にいたいんだっていう沙奈子の気持ちを分かってくれてるんだ。ホントにいい子たちだよ。
「それでは、また夕方にお邪魔します」
「はい、お待ちしています」
山仁さんの家の近くでそう言葉を交わして別れて、僕と沙奈子はアパートへと向かった。その時も、大希くんと千早ちゃんは「ばいば~い!」って手を振ってくれてた。それに小さく手を振り返す沙奈子も、柔らかい笑顔になってた。
四年生の時の引き渡し訓練は十月だった筈だけど、今回は今になったんだな。
「地震の時はどうするか、覚えてる?」
沙奈子に聞くと、
「安全なところでお父さんを待つ。探しに行こうとしない」
って応えてくれた。ちゃんと覚えててくれたんだな。
「そうだね。それに加えて今なら、お母さんかお姉ちゃんが迎えに来てくれる場合もあると思うからね」
その僕の言葉に、彼女は「うん」と嬉しそうに頷いてくれた。
「おかえり~!」
部屋に戻ってビデオ通話を繋ぐと、玲那が待ち構えてたみたいに画面いっぱいに寄って満面の笑みで迎えてくれた。
「ただいま」
僕と沙奈子が声を揃えて応える。すると玲那も嬉しそうに「ん~!」って身をよじってた。
それからは三人で、絵里奈が仕事から帰ってくるのを待ったのだった。
二十四日。水曜日。しばらく寒さが和らいでいた気がしたけど、今日はまたすごく寒くなっていた。空気がピリリと痛い。天気が悪くなれば雪が降るやつだと思った。でも今のところは雪は降ってない。
出勤してみると、同僚が一人、インフルエンザで休んでた。僕も念のため、マスクをして仕事をする。気休めでしかないとしても、その気休めが精神的に安定するには必要な場合もあるからね。
仕事が終わって帰る頃に、雪がちらつき始めた。空気がキーンと冷えてて耳が痛い。
それ以外には特に変わったこともなく、いつも通りの一日だった。
二十五日。木曜日。昨日から厳しい寒さになってたし、昨夜から少し雪がちらついてたからもしかしたらと思ってたけど、やっぱり雪が少し積もってた。ただ、去年みたいな大雪とまでは今のところいってない。もしこのまま雪が降り続いたりしたらもっと積もるとしても、予報では雪のち曇りってなってた。
このくらいならそんなに気にすることもないと思う。玲那の様子もいつもと変わりなかった。
「いや~、雪はもう勘弁ですな」
とは言ってたけど。
雪自体も昼前にはやんで、仕事が終わって会社を出ると、歩道とかで日の当たらない場所には雪も残ってたりしたものの、それ以外はほとんど消えてたのだった。




