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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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五百六十四 大希編 「玲那を救ったのは」

十七日。水曜日。今日は朝から雨だった。昨日から何となく寒さがマシになってる気がする。実際にそうだから雪じゃなく雨なんだろうけど。


結構しっかり降ってるから、もし雪だったらそれなりに積もる雪だったかもしれない。でも正直、積もった雪を見るとあの日のことを思い出してしまうだろうから、まだしばらくはあまり見たくないとは思うかな。


別にそんなに気にする必要はないし、僕たちの都合なんて世間的に見ればどうでもいいことだろうから、降ってほしいと思ってる人は降ってほしいんだろうけどね。


だけど本当になんてことなくこうして毎日が過ぎていってくれるのは本当にありがたかった。特に玲那があの事件のことで思い悩んで苦しんだりしてないのがなによりだった。


もちろん、自分がやってしまったことは反省してるのは分かる。だからもう二度とあんなことはしないって誓ってるのも分かる。ただ、だからって気に病みすぎる必要はないと思うんだ。


あの子は殺人未遂事件の加害者であると同時に、被害者の家族でもあるんだよ。世間的には何か事件が起こる度に『被害者の気持ちを考えろ!』『被害者の家族の気持ちを考えろ!』『遺族の気持ちを考えろ!』って言われるけど、玲那はまさにその『被害者の家族』なんだ。


本来なら加害者に対して恨みを抱くはずの『被害者の家族』の立場でもあるあの子がどうして『加害者』にならなくちゃいけなかったのか。僕はそれを忘れたくない。


玲那は加害者になる前は、本当にただ一方的に苦しめられた『被害者』だったんだ。そしてあの子を苦しめた『加害者』の一人こそが、本来は『被害者の家族』であるはずのあの子の実の父親だったんだ。


家族なのに、どうしてそんなことをするんだろうな……。


本当なら加害者に怒りをぶつけるのが当然だって世間が思ってる『被害者の家族』が『加害者』なんだよ?。おかしいよ。


だから僕は、他人の気持ちなんて『分からない』んだ。玲那をとことんまで苦しめたのがあの子の実の父親で、どうしてそんなことができたのかが僕には分かないんだ。


なんでそんなことができるんだよ?。家族なんだろ?。


でも、家族なのにできてしまうんだ。


そういう意味では、家族というものも僕は実は信じてない。僕が沙奈子や絵里奈や玲那を信じられるのは、家族だからじゃない。それが沙奈子だから、絵里奈だから、玲那だから信じられるんだ。


家族とは少し違うけれど、僕にとっては限りなく家族に近い存在である山仁やまひとさんたちも、それが山仁さんだから、イチコさんだから、大希ひろきくんだから、千早ちはやちゃんだから、星谷ひかりたにさんだから、波多野さんだから、田上たのうえさんだから信じられるんだ。『家族だから』でも『仲間だから』でもない、『その人』だから信じられるんだ。


家族や仲間なんていうのは、ただのカテゴリーでしかない。そのカテゴリーに当てはまるからって無条件に信じられたり愛せたりするわけじゃない。家族や仲間っていう言葉で一括りにしてしてしまうのは危険だなって僕は思った。


だからこそ、『家族だから』『仲間だから』で許してもらって当たり前とか、認めてもらって当たり前とか考えないようにしたいと思った。許してもらえる人で、認めてもらえる自分でありたいと思った。


家族だからこそ、仲間だからこそ、大切にしてもらえることを期待するんじゃなくて、自分から大切にしたいって。自分が大切にしてこそ、家族や仲間からも大切にしてもらえるんだって。相手からしてもらうことを期待するんじゃなくて、まず自分からしなきゃって。


玲那の実のお父さんは、あの子のことを大切にしなかった。だから玲那からも大切に思ってもらえなかった。自分の勝手であの子をこの世に生み出しておいて、大切にしようとしなかった。それで玲那から大切にしてもらおうなんて、ムシが良すぎるとかいうレベルの話でさえないよ。


そういうことを考えれば考えるほど、子供に大切にしてもらえない親は、実は子供を大切にしてこなかったんじゃないかって思えて仕方ない。自分では大切にしてるつもりだったかもしれなくても、それは結局『つもり』でしかなくて、大切にしてもらえてた実感なんてなかったのかもしれない。僕の兄にとっての両親を思い返してみるとすごく納得がいく。


両親は、自分たちとしては兄のことをすごく大切にしてたつもりなんだろうな。いいものを食べさせて、いい服を着させて、立派な玩具を買い与えて、お小遣いもたくさん渡して、いい学校に行かせて、それで『大切にしてる』と思ってたんだろうな。


だけどそれは、兄にとってはまったく違ってた。両親のしてたことは自分たちの勝手な都合をただ兄に一方的に押し付けるだけで、兄が本当は何を感じてて何を考えてて何を望んでたかなんて何一つ考えてなかったんだろうな。だから兄にとっては両親は大切に思えるような存在にはならなかった。


それだけじゃない。両親のやり方を学んだ兄は、『他人を大切にする』ということさえできなくなってたんだ。付き合った女性のことも、自分の娘である沙奈子のことさえも。


痛いよ。苦しいよ。どうしてそんなことになってしまったんだ。僕の両親はどうしてその間違いに気付くことができなかったんだ。


でもそれはきっと、そのことに気付かせてくれる人間関係を、周りに作ってこなかったからなんだろうな。他人を大切にできない両親の周りには、そういう人が集まらなかったんだろうな。


結局、僕の両親が、僕からも兄からも大切に思われなかったのは、両親が僕たちを本当は大切に思っていなかったからなんだろうな。


それを思うと、他人を大切にする気のない人が他人から大切にされるわけがないっていうのも分かってしまう。他人を傷付けて貶めて罵ってるような人が他人に大切にしてもらえるわけがない。


自分は不幸だと他人を妬んで攻撃する人が誰かに大切にしてもらえるわけがない。自分を大切にしてくれる人と出逢えるわけがない。


いい人と出逢えないと文句ばかり垂れて他人を腐してる人が、いい人に出逢えるわけがない。


だって、自分から誰かを大切にしようとしない人が、誰かに大切にしてもらえるわけがない。


それがすべてなんじゃないかな。


まず自分を救ってもらおうとするんじゃなくて、自分が誰かを救おうとしてこそ、誰かを認めてこそ、誰かを許してこそ、誰かを受け入れてこそ、受け入れて、許されて、認められて、救われるんじゃないかな。


玲那が救われたのは、あの子が他人を認めて、許して、受け入れて、救おうとしたからだよ。そうさ、玲那は沙奈子を救おうとしてくれたんだ。だからこそ僕はあの子を受け入れることができた。それが結果として、あの子を救うことに繋がった。


玲那を救ったのは、他ならぬ玲那自身だったんだな。



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