五百六十三 大希編 「僕の娘」
会合では今後もみんなで支え合っていくことを確認して、僕は沙奈子と一緒にアパートへ帰る。
その時、星谷さんと千早ちゃん、田上さん、そして僕と沙奈子を、いつものように大希くんが見送ってくれた。
「気を付けてね~」
笑顔で手を振る彼に、星谷さんが嬉しそうに手を振り返す。千早ちゃんと田上さんも笑顔で手を振って、沙奈子も、まだまだ他人には分かりにくいそれかもしれないけれど笑顔で小さく手を振ってた。
アパートに帰ってビデオ通話を繋ぐと、絵里奈と玲那が出迎えてくれた。
「お疲れ様でした」
「おつかれ~」
沙奈子と声を合わせて「ただいま」と応え、お風呂を沸かし始めて夕食の用意をする。
今日はカレーだった。それに合わせて絵里奈もカレーにして、四人でカレーを食べてると、玲那が話しかけてきた。と言っても、彼女の場合はキーボードを打つかスマホを使うかになるから、どうしても食べるのが止まってしまうので、食事中はあまり話はしないようにしてる。でも今日はどうしても早く言いたかったようだ。
「一年間、ホントにありがとう。みんなのおかげで私はこうしてられるってしみじみ思うよ」
山仁さんのところでも言ったことを、改めて言った。この子にとっては何度言っても言い足りないことなんだろうな。
僕は応える。
「玲那。それは僕も同じ気持ちだよ。玲那がいてくれたから僕たちはこうしてられるんだ。僕にとっても沙奈子にとっても絵里奈にとっても、この家族は失いたくない大切なものだからね。
僕も、何度言っても言い足りないことを口にさせてもらった。これまでも数えきれないくらい言ってきたし、これからも何度でも言うことになると思う。そうやって何度でも何度でも確かめるんだ。
玲那は、僕たちに向かって微笑んでた。目に涙をいっぱい浮かべて。
「お父さん、沙奈子ちゃん、絵里奈。ありがとう。私、みんなのこと愛してる」
お風呂の後で寛いでると、鷲崎さんがビデオ通話に参加してきた。
いつものように他愛ない世間話をしてるけど、どこかぎこちない気がした。
「織姫ちゃ~ん、言いたいことがあるんなら無理せず言った方がいいよ~?。ほらほら、さっさと白状して楽になっちゃいな!」
あんまりにも分かりやすい鷲崎さんの様子に、玲那が「ししし」って感じで悪戯っぽく笑いながら言った。それでも、「あ、いえ、でも…」と躊躇う彼女に、
「私の事件のことでしょ?。大丈夫だよ。うちじゃ別にタブーとかじゃないから」
と、ずばり指摘した。それに鷲崎さんの体がビクンと反応するのが分かった。隠し事ができない人だなって何だか微笑ましく感じた。
「あ…、あ、ごめんなさい……!」
咄嗟に謝る顔が何とも言えない表情になってた。
「ありがと。でも本当に大丈夫なんだよ。私達はもう、起こったことは起こったこととして受け止めるように心掛けてるんだ。見ないふりしたって無かったことにはならないからさ。
織姫ちゃんや結人くんだってそうでしょ?。織姫ちゃんがお父さんのこと好きだったのも無かったことにならないし、結人くんに起こったことも無くならないんだよ。私が昔、たくさんの男の人にされたことだって無かったことにはならないんだよ。
だからさ、もう、そういうの全部ひっくるめて『もうどうしようもないじゃん!』って笑い飛ばせるようになりたいんだ。そのためには、あったこと全部、受け止めちゃったらいいと思うんだ。
もちろん、私一人じゃ受け止めきれないくらい重いことだけど、辛いことだけど、みんなが一緒に支えてくれるからね。『どんな過去があったってあなたはあなた』って言ってくれるから。口先だけじゃなく、本気でそう思ってくれるから。
だから私、大丈夫なんだよ。だって、そういうことがあった私だからこそ、こうしてみんなと出逢えたんだもん」
「玲那さん……」
鷲崎さんはそう呟いて、またポロポロと涙をこぼしてた。絵里奈がちょっと泣き虫じゃなくなってきたかと思ったら、今度は鷲崎さんの番みたいだ。
だけどそれでいいんだと思う。泣きたい時には、泣けてくる時には、ちゃんと泣いた方がいいって僕はこれまでで感じた。『いちいち泣くな』なんて思わない。
「鷲崎さん。玲那のために泣いてくれてありがとう」
僕がそう声を掛けると、
「ごめんなさい。本当にいい歳してみっともないですね…」
って。
「泣きたいだけ泣いたらいいよ。その方が結局は立ち直りも早いっていうのが実感だから。僕たちはそういうのを無理に我慢しないようにしてるんだ。
辛い時は辛いって言う。苦しい時は苦しいって言う。もちろんその上で我慢しなくちゃいけない時もあるとは思うけど、少なくとも僕たちの前では我慢しなくていいよ。自分の気持ちや感情に素直になれる場所だと思うから」
「はい…、はい……。ありがとうございます……」
両手で顔を覆ったまま、彼女は何度も頷いてた。
鷲崎さんも今、結人くんのことも含めていろんなことを抱えてるんだと思う。そういうことをちゃんと吐き出せるようになってくれれば僕も嬉しい。大学時代、僕のことを気遣ってくれてた恩も返したいし、ね。
九時半を回り、また家族四人だけになって、沙奈子も人形のドレス作りを切り上げて、そろそろ寝る時間になった。完全に習慣として身に付いてしまったから、この時間になると僕もすごく眠たくなってくるんだ。他の人に話すと『健康的すぎる』とか笑われるかもしれないけど、別に健康でいられる分にはいいじゃないか。
「本当に、なんてことなく過ぎましたね」
絵里奈がすごく穏やかに微笑みながら言った。僕もその通りだと思った。
節目の日だからって何か特別なことをする必要は感じない。ただこうやって何事もなく過ぎてくれればそれでいい。それ以上のことは望まない。
絵里奈の言葉に頷く沙奈子も玲那も、そう思ってくれてるのがすごく伝わってくるんだ。
十六日。火曜日。
さて、今日もなんてことのない一日を過ごそうかな。
いつも通りに朝の用意をして、いつも通りに仕事をこなして、いつも通りに沙奈子を迎えに行って、いつも通りに家に帰る。これをただ毎日繰り返したい。それだけでいい。
僕たちは今の状態で十分に幸せだから。ただその上で、何か変化があったのなら、それについてもちゃんと受け入れていきたいと思う。いつか来るかもしれない新しい家族のこともね。
沙奈子も玲那も、それを楽しみにしてくれてる。もう自分が捨てられたり傷付けられたりすることはないって信じてくれてる。僕はこれからもそれに応えていきたい。たとえ家族が増えても、沙奈子も玲那も僕の娘だ。いつか巣立っていくことがあっても、一生、僕の娘だっていうことは変わらないんだ。
二人とも、僕のところに来てくれてありがとう。




