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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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五百六十二 大希編 「何も変わらない」

十五日。月曜日。あの事件から一年。だけど僕たちは敢えていつも通りの朝を迎えた。


「おはよう」


「おはよう」


「おはようございます」


「おはよ~」


僕と沙奈子と絵里奈と玲那で、普段通りの挨拶を交わした。


「今朝、ちょっとだけ雪が積もってましたな」


玲那がそんなことを切り出す。去年は前々日から降り出した大雪ですごいことになってたけど、今年は寒さの割に雪がほとんど降ってなかった。玲那はそのことを言ってたんだと思う。


でもそうやって自分から切り出すことで、ちゃんと受け止めようとしてるんだなって分かる。


「だけど何かある度に私たちは家族だってことを強く意識させられましたね」


絵里奈が穏やかに微笑みながらそう言った。そしてその通りだと僕も思った。


「本当だよ。今でもこうやってみんな揃ってるんだ。それが何よりだと僕は思う」


正直な気持ちだった。何があったとしてもこうして四人でいられてるのが何よりだった。


朝食を済ませ、それぞれ用意をし、僕は沙奈子と絵里奈と玲那に「いってきます」と告げて、沙奈子と『いってきますのキス』『いってらっしゃいのキス』を交わし、家を出た。


何も変わらない。いつも通りに。


沙奈子がアパートを出る時には絵里奈と玲那に「いってきます」と告げてビデオ通話を終了し、集団登校の集まりに合流する。沙奈子がアパートを出ると玲那がそのことを僕のスマホにメッセージで知らせてくれる。その頃には絵里奈からも『いってきます』のメッセージが入る。これが僕たちの毎朝の光景だ。


僕はバスを降りて会社に向かう途中、信号待ちをしている時にスマホに入っているメッセージを確認する。それを最後に、僕は心を閉ざし、ただ仕事をこなすだけのロボットになる。


仕事中も、なるべく何も考えないようにはしていても、人間はやっぱり完全なロボットにはなり切れない。何だかんだと雑念がよぎってしまう。沙奈子は学校で楽しくやれてるかとか、絵里奈も仕事を頑張ってるんだろうなとか、玲那は一人で大丈夫かなとか。


でも、何かあればちゃんと連絡が入る。玲那だって、精神的に不安定になったりどうしても我慢できなくなったらメッセージを送ってきてくれていいと言ってある。実際、これまで数回、そうやって仕事中にトイレに行くふりをしてやり取りをしたこともあった。そうすると玲那も安心して気持ちを落ち着かせてくれた。


仕事中にメッセージを送ってくるなんてと思う人もいるかもしれないけれど、今の玲那にとってはどうしても必要なことなんだ。自分が一人じゃない、僕の気持ちはいつも傍にあるっていうのを実感することで自分を保っているんだから。


他人には理解できないかもしれないけれどね。


今日は特に、あの事件から一年という節目だから、いくら普段通りしようとしていても何とも言えない感覚が微妙に湧き上がってくるのを感じる。この一年のことがゆらゆらと自分の中で揺れてるみたいな。


玲那を止めてあげられなかった後悔。集中治療室で眠るあの子の姿を見た時の気持ち。眠り続けるあの子の傍にいながら込み上げてくる焦燥感。意識を取り戻した時の安堵感。声を失ったことを改めて思い知らされた時の苦しみ。拘置所で窓越しに見た寂しそうな笑顔。裁判所で正面を真っ直ぐに見据えて立つ凛々しさ。有罪判決が下った時のホッとしたような表情。拘置所から出てきてすぐに行ったファミレスで四人が揃った時の安心感。そして、他のお客が玲那のことに気付いたみたいだと察してしまった時の緊張感。絵里奈が玲那と一緒に住んで、僕や沙奈子とは別々に暮らすことに決めた時のショック。


でも、そんな僕たちを、山仁さんをはじめとしたみんなが支えてくれた。


そういう諸々が、僕の心を掻き乱す。


それでも、僕はただただ淡々と仕事をこなした。それしかできないから。上司の嫌味も右から左に聞き流して。そうして無事に仕事を終え、定時でオフィスを出る。同僚たちの冷たい視線も気にしない。だって僕に残業をさせないのは会社側だから。僕がしたくないと言ったわけじゃないから。でも、この意地の張り合いをいつまで続ければいいのか、それについては苦しくもあるけど。


だけど、僕は何も間違ったことはしてないはずだ。少なくともいい転職先が見付かるまではしがみついてやる。


「今から帰るよ」


会社を出たところで、まずは絵里奈と玲那に電話でそう告げる。


「お疲れ様でした」


絵里奈からの労いの言葉に続いて、


『お疲れさま』


と玲那からのメッセージが届いたのを確認してバス停に向かって歩く。信号待ちの間とかにも、


『玲那の方はどう?』


『大丈夫。忙しくてそれどころじゃなかった』


『順調なんだね』


『うん、絵里奈と沙奈子ちゃんの服、大人気だよ』


とやり取りした。


もちろんバスの中でもやり取りは続く。


『目標額はこなせそう?』


『さあ?。さすがにまだ今の段階じゃなんともね。でも、順調なのは確かだよ』


『そうか。すごいな』


『あ、そうそう、確定申告の件、税理士さんにちゃんとお願いしたよ』


『それは良かった。きっちりしておかないとね』


星谷さんかに紹介してもらった税理士さんは、丁寧でしかも手数料も良心的だった。星谷さんもいつも任せてる人だそうだから、安心だ。今年と来年、続けて目標額をクリアできたらいよいよ起業することになると、はっきりと決めた訳じゃないけどみんなでそう決めていた。上手くいくかどうか分からなくても、きちんと玲那が『仕事』に就けるようにしてあげたい。


それに、沙奈子の未来の就職先がそれで作れるとしたら、それこそ素敵だと思うし。


なんてことをあれこれ考えてるうちに最寄りのバス停に着いてバスを降り、山仁さんの家に向かって歩いた。沙奈子を迎えに行くために。


いつものようにチャイムを押すと、やっぱりいつものように沙奈子と大希くんと千早ちゃんが僕を出迎えてくれた。


「おかえり」


「おかえり!」


「おかえり~!」


三人の笑顔とほわっとした感じのあたたかい空気に包まれるような感覚に癒される。


ああ、いいなあ。


沙奈子にはもう少し待っててもらって、僕は二階へと上がった。そこでも、いつもと変わらずに「おかえりなさい」と迎え入れてもらえた。波多野さんと田上たのうえさんの表情も明るくて、ホッとする。


「あれから一年ですか」


絵里奈と玲那がビデオ通話で参加すると、星谷さんがそう切り出した。


するとその場の空気がキリッと締まる感じがした。みんな、今日があの事件のあった日だっていうのを分かってくれていた。


「私個人としてはいろいろ至らぬ点はありましたが、こうして全員が揃ってこの日を迎えられたのは幸いだと思います。あの災禍が再び繰り返されぬよう、お互いに支え合うことをこれからも心掛けていきたいと考えます」


本来なら僕か玲那が言うべきところだった気もするけど、星谷さんがそう言ってくれたことに、僕は感謝の気持ちでいっぱいになったのだった。



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