五百六十一 大希編 「心の動き」
十四日。日曜日。今日も千早ちゃんたちがお昼を作りに来た。
久々のホットケーキだった。これはそれこそ手慣れたものだから、千早ちゃんと大希くんとで手分けして、僕と星谷さんの分まで作ってくれた。
千早ちゃんはキッチンで。大希くんはコタツの上でカセットコンロを使って。
「ピカちゃんのために美味しいのを作るよ!」
そう言う大希くんに、星谷さんが嬉しそうに頬を染めてるのが分かった。でもちらりとキッチンの方に視線を向けると、千早ちゃんが少し不満そうな顔をしてるのも分かる。と言うのも、本当は千早ちゃんも星谷さんのためにホットケーキを作りたかったみたいだ。だけど、『星谷さんのために』だからこそ、大希くんにその役目を譲ったらしい。
ヤキモチから沙奈子にきつく当たった彼女の姿はもうどこにも見られなかった。少しぐらい自分が我慢しても他の誰かを気遣うことができる、器の大きな女の子がそこにいた。
そんな千早ちゃんの頭を、沙奈子が優しく撫でる。
「ありがと~、沙奈~!。あんたは私の親友だよ~」
ホットケーキが焼けるのを待つ間、沙奈子に抱きつきながら、千早ちゃんが泣き真似をしてた。本当にいい関係になったなあ。
そうだ。たとえ最悪の出逢いをしたとしても、お互いを認め合うようになれればこういう関係にだってなれるんだ。もちろん、どうしても合わない相手もいるだろうから全ての人がこうなれるなんて思わないし、そんな夢物語みたいなことを言うつもりもないけど、なれれば素敵だなと思ってしまうのも正直なところだった。
だけどこれも、大希くんが二人の間に入ってくれたからっていうのがあるんだっていうことも改めて思う、彼がいてくれたから星谷さんも僕たちの味方になってくれたんだ。
つくづく、今の僕たちがあるのは彼のおかげなんだなあって。
そんな大希くんがカセットコンロを使ってホットケーキを焼いてる。小学5年生とは思えない手際の良さだった。今では料理も、山仁さんの家庭では一番上手だって。でも彼は料理そのものというよりも、友達である沙奈子や千早ちゃんと料理ごっこをする感じで遊んでるうちに上手くなったんだな。子供にそういうことを覚えてもらうコツのようなものがそこにある気がした。
僕が沙奈子と料理をしてたのだって、結局は遊びのようなものだった。掃除や洗濯を手伝ってもらったのだって、二人で遊ぶためだった。遊びとして楽しくできれば自然とこうなるってことなのかな。
確かに最初は上手くできないから余計に時間もかかるし二度手間になったりもする。だけど、誰だって最初から上手にできるわけじゃない。上手くできなくてもだんだんとできるようになってくれば自信も付くし実際に助けにもなる。
最初からなんでも結果を求めないことが大事なのかな。
子供の成長っていうのは時間が必要なんだ。だけど確実に成長していく。昨日できなかったことが今日できるようになるっていうのが普通なんだ。その楽しさを、この子たちは僕たちに教えてくれたんだ。
僕たち大人が偉いんじゃない。子供たちがすごいんだ。僕はたくさんのことをこの子たちから教わった気がする。この子たちこそが僕にとっては先生かもしれない。
目の前でどんどんホットケーキが焼き上がっていくのを見ながら、僕はそんなことを考えてた。
特にこの大希くんは、他人を強引に引っ張っていくわけでもないのに、何故か周りでいろんな人が動いてる気がする。沙奈子も、千早ちゃんも、星谷さんも、彼を中心にして動いてる。彼がいろんな影響を及ぼしてる感じかな。
「はい、ピカちゃん、どうぞ」
焼き上がった美味しそうなホットケーキを彼にお皿に乗せてもらって、星谷さんもとろけそうな笑顔になってた。普通じゃないことを平然とやってのけるすごい女の子の彼女も、大希くんの前では普通の『恋する女の子』って感じだった。それがまた素敵だと感じる。ちゃんとそういう一面も持ってるんだから。
悔しいけど、なんかお似合いだなって思ってしまう。これは、沙奈子にはまた他の人が現れるのを待つしかないのかなあ。
「はい、山下さんもどうぞ」
と、僕にも同じように丁寧にホットケーキを焼いてくれる大希くんを見ながらそんなことも思ってたのだった。
でも同時に、そんな彼でも、山仁さんの前では、時々『死にたい気分になることある』なんてことを言ったりもするんだな。こうやって見てるだけなら闇とかなんて全く無縁そうに思える朗らかさの奥には、繊細な気持ちが揺れ動いてたりするんだろうなってことも思い知る。
そうだ。何一つ裏表のない、誰に対しても何一つ隠し事のない人なんて滅多にいないんだろうな。大希くんにだって、星谷さんにさえ言わない心の動きがあるんだもんな。
そんな心の動きをちゃんと打ち明けてもらえる山仁さんもすごいし、山仁さんのお子さんだから大希くんはこんなに朗らかでいられるんだ。
千早ちゃんが焼いたホットケーキも合わせて、みんなでホットケーキを食べた。カセットコンロとフライパンをもう一組用意すれば、三人同時に作れるのかな。でもそこまでする必要もないかな。
玲那もビデオ通話の画面の向こうで、絵里奈が朝のうちに作ってくれてたホットケーキを温めて食べてた。
千早ちゃんがホットケーキをぱくつきながら話し掛ける。
「玲那さんは今季アニメはどれが好きですか?」
「そうだなあ」と玲那。
「僕はね」と大希くん。
僕にはよく分からないアニメの話題で、三人はすごく盛り上がってた。沙奈子も星谷さんも入れないけど、三人の様子を見てるだけでも楽しいみたいで、嬉しそうに笑ってた。
そんな賑やかな一時が過ぎて、「またね~」と千早ちゃんたちは帰っていった。
「楽しかった?」
三人を見送った沙奈子に尋ねると、「うん」と笑顔で頷いてくれた。まだ他人には分かりにくい笑顔だけど、ちゃんと僕には伝わってくる。
それを確かめて、午後の勉強を済まして、夕方まで家族の時間を満喫した。
夕食の後に山仁さんのところに行くと、昼とは逆に大希くんと千早ちゃんに「いらっしゃ~い!」と出迎えてもらった。
「沙奈、面白い動画見付けたんだ!。一緒に見よ!」
最近では大希くんも沙奈子のことを『沙奈』と呼ぶようになってた。千早ちゃんの影響みたいだ。だけど沙奈子もそれを受け入れてるのが分かる。沙奈子はまだ『大希くん』『千早ちゃん』と呼んでるけど、これはこの子の性格からくるものだから、二人はそれも理解してくれてた。
沙奈子が二人と一緒にリビングへ入って行くのを見届けて、僕は二階へ上がる。
明日はいよいよ『あの事件』から一年。でも今のこの精神状態なら、思ったよりも落ち着いて迎えられそうだと僕は思ったのだった。




