五百五十九 大希編 「親と子」
火曜日からは沙奈子の学校も始まった。
「学校、楽しみ?」
何気なくそう聞くと、お道具箱とか持っていく荷物は多いけど、彼女は「うん」と躊躇うことなく頷いてくれた。その様子に安心する。学校が楽しくないと、毎日が辛いからね。
そして僕は、金曜日まで、また淡々と仕事をこなした。正直、正月気分というのはそもそもほとんどなかったから、僕にとっては普段と変わらない。同僚の中には『正月気分が抜けね~』とかぶつぶつ言ってるのもいたけどね。
学校を楽しめてる沙奈子と違って僕は会社に行くのは少しも楽しくない。けれど僕は、会社には仕事に行ってるんだ。同僚とのおしゃべりとかを楽しみに行ってるんじゃない。
でも、昼休みに絵里奈と玲那がいないのはやっぱり寂しいな。もう、二人と一緒にいた期間よりも、また一人に戻った期間の方が長いのに……。
不思議だよ。絵里奈と玲那が話し掛けてきてくれるまではずっと一人で昼食をとってたのに。最初は話し掛けられるのを煩わしいとも思ってたのに。どうしてこんなに物足りないんだろう。
だからこそ、変にあれこれ考えると、僕はどうしてこんなところにいるんだろうっていう気分になってしまう。
正直、それは辛いから、やっぱり何も考えないようにする方がずっと楽だ。そして僕はそういうのが得意だった。
そうやって僕が毎日を淡々と過ごしてる間にも、世間ではいろんな事件が起こったりしてた。生まれたばかりの赤ちゃんが捨てられてたとかいう話もそうだった。亡くなってた事例も、産婦人科の勝手口に置かれてて無事保護されたっていう事例もあった。
無事保護された方については、たとえ親がいなくたって幸せを掴むことはできるという実例が僕のすぐ傍にあるからまだ救いもあるけど、亡くなった方についてはどうしようもなく感情がかき乱された。
『どうしてこんな風に死なせるくらいなら生んだんだよ…!』ってつい思ってしまう。
だけど、今の僕には、他人の赤ちゃんまで助けるだけの力はない。『僕のところに連れてきてくれたら助けてあげたのに』とまでは言えない。だから赤ん坊を捨てた親のことも、もちろん『酷いことをする奴だ!』っていう気持ちもあるけど、声に出してまで言葉にしてまで強く非難する気にはなれなかった。だって、自分が助けられるわけでもないのに無責任だから……。
それでも、やっぱり悲しいよ。もし沙奈子がそんなことになってたらと思うと、たまらない気分になる。だから思うんだ。『やっぱり子供を生むのは親の方の一方的な都合なんだ』って。子供の方からそんなことを望んだわけじゃない。オカルト的に『子供が親を選んだ』なんて考えても、僕にはまったく納得できない。百パーセント、完璧に、何一つ紛うことなく親の責任なんだって。
それを感じるからこそ、僕は絵里奈との間に子供が生まれたら、僕はその子を生み出してしまったことに責任を負いたいと強く思った。その子をこの世界に送り出してしまった自分の責任から目を背けたくないと思った。
もし、赤ん坊を捨てた親たちもそんな風に考えてたら、そんなことはしなかったのかな……?。
それとも、そんなことを考えててもそれでも捨てたのかな……。
産婦人科の医院の裏口に置き去りにした方のは、まだ、『助けたい』って、『生きてほしい』っていう気持ちがあったのかな……。
帰りのバスの中でスマホでニュースを見ながら、そういう子供たちを助けてあげられない自分の不甲斐無さに歯痒い思いもしながら、僕は山仁さんの家に沙奈子を迎えに行ったのだった。
「おかえりなさい!」
「おかえり~!」
「おかえりなさい」
山仁さんの家の玄関を開けた途端、大希くんと千早ちゃんと沙奈子が笑顔で出迎えてくれた。こうしてあたたかく出迎えてくれるだけで、会社ですり減った精神が癒される気がする。この笑顔が見られるなら頑張れるって気がする。
生きる為には何らかの形で働かなきゃいけない。だったら、同じ働くにしてもこういう形で報われる方が働き甲斐もあるよね。
でもそれは、沙奈子にとって僕が笑顔で迎えたいと思える父親でいられてるからなんだろうなっていうのを感じるのも事実だった。
ただ、沙奈子にとって僕は『父親』だから分かるけど、大希くんと千早ちゃんまでこうして迎えてくれるのは、望外の喜びだった。二人は、そうやって迎えると相手が喜ぶってことを知ってくれてるんだなって思った。
千早ちゃんも、よく、ここまでになれたなと思う。『家に帰りたくない!』と星谷さんに縋って泣いたこともあるこの子が、『ただいま!』って元気に声に出して家に帰れるようになったらしいのは、仕事から帰ってきたお母さんを『おかえりなさい』と出迎えられるようになったらしいのは、本当に良かった。お母さんやお姉さんたちが千早ちゃんに対してやったことの罪は結局咎められることもないままらしくても、もう、それを許すか許さないかは千早ちゃん自身に任せればいい気がする。
そして、今、こうして笑顔で僕を迎えてくれた大希くんも、実は決して小さくない『闇』を抱えてるんだっていうのは感じてた。
実は山仁さんから聞いたんだけど、大希くん、時々『死にたい気分になることある』なんてことを言ったりするそうだった。他の誰にも、イチコさんにも星谷さんにも言わないのに、お父さんである山仁さんにだけはそういうことを言うんだって。
それはきっと、お父さんだからなんだろうな。
性的には割と無頓着そうな大希くんも思春期を迎えつつあって、理由もなく訳の分からない不安感とかを何となく感じてて、それで『死にたい気分になることある』ってことなんだろうな。そういうの、僕にも覚えがある。僕の場合はそれに加えて両親との関係が上手くいってなかったっていうのもあるかもしれないけど。
お父さんである山仁さんからとても愛されてるっていうのが見てても分かる大希くんでさえ、そういう気分になることがあるんだっていうのを思い知られた気がした。
だけど同時に、お父さんにだけはそれをちゃんと話すということが、山仁さんと大希くんとの関係を物語ってる気もするんだ。大希くんが、他の誰よりも、お姉さんであるイチコさんよりも、彼を心から愛してくれてる星谷さんよりも、お父さんを信頼してるっていうね。
「私はまだ、彼にそこまで信頼してもらえてないということですね……」
そう言って星谷さんはしょげてたけど、そうじゃないと思う。そこは、親子と彼氏彼女の関係の違いってことなんじゃないかな。大希くんはまだ山仁さんの庇護の下にいて、だから彼にとって一番頼るべき存在は山仁さんなんだって。
僕は、沙奈子にとってのそういう存在になれてるだろうか。
そんなことを考えると、まだまだ自分が未熟だなっていうのも感じるんだ。そして、だからこそ頑張らなくちゃっていう気持ちにもなるんだ。




