五百四十 文編 「それぞれの答え」
波多野さんが続ける。
「私もさ、別にすぐにここまで覚悟できたわけじゃないんだ。小父さんやイチコと何度も話して、それで言ってもらったから覚悟できたんだ。『いつでも帰ってきてくれたらいい』『いつまでも待ってる』って言ってもらえたから、覚悟を決めることができたんだ。
ちゃんと帰れる場所があるから、嫌なこととでも向き合おうって思えたんだ」
そんな波多野さんに、田上さんも言う。
「だけど、カナのお父さんはどうすんの?。ここでカナまで逮捕されたら本当にヤバいんじゃないの?。追い詰めちゃうことになるんじゃないの?」
それに対して波多野さんは苦笑いして、
「だって、それはあの人自身の責任だから。兄貴をあんなのに育てて、レイプや痴漢ってなったら考えなしにブチ切れちゃうような私みたいのを育てたあの人の責任だから。それに、私の家の事情とか、痴漢が知るわけないじゃん。って言うか、私の家の事情なんか知ってたらそれこそ嫌がらせみたいに訴えてくるかもよ?。こういう時にはね、堂々としてた方がいいんじゃないかって私は思ったよ。『受けて立つ』みたいにね。その方が向こうもビビるかも」
って。
「ええ…?。そんな上手くいくかなあ……」
不安そうな田上さんに波多野さんはまた笑いかける。
「まあまあ。『上手くいったらもうけもの』程度に思っとけばいいって」
それから一週間が経ってまた土曜日。僕たちは鈴虫寺の辺りを散策してた。
聞いた話だと人が多いってことだったけど、紅葉シーズンも終わったからなのか人もそんなに多くなくて、ちょうどよかった。苔寺口の方から坂道を歩いて行って、拝観には予約が必要だから入れなかったけど苔寺を外から見て、近くのお茶屋さんでとろろそばを食べて一休みして、鈴虫寺の方へ向かおうと思うと、『かぐや姫竹御殿』と書かれた不思議な建物が。
来る時も気が付いてたんだけど、入るには予約が必要らしいと聞いてたので外から見るだけのつもりだった。なのに、
『入れるんじゃない、これ?』
という玲那からのメッセージが。
「え?。大丈夫なの?」
と絵里奈は心配してたけど、何故か入れてしまった。
そこは、歴史のある名所旧跡っていうのじゃなくて、竹細工の職人さんが一人でこつこつと作り上げたものらしかった。実は玲那が、『前から話には聞いてて興味があったんだけど、なかなか来る機会がなくて』ってことで、本当はこれが一番の目当てだった。
中は、何とも言えない不思議な雰囲気を持ったところだった。確かに手作り感みたいなものがすごくて、でも、思ってた以上に丁寧に作られてるのが分かった。金閣寺を模したらしいという建物はすべて竹で作られてるって聞いてどんなだろうと思ってたのに、しっかり作り込まれて手が込んでる気がした。個人の趣味の延長みたいな形で作られたものだとしても、ここまで行けば圧巻だった。
『なんか、いい意味でカオスで濃い~ところだったな~。いや、これは来た甲斐があったよ』
と玲那が少し興奮してた。
「うん、面白かった」
って沙奈子も頷く。そうか、こういうのも面白いって感じるのか。ああでも、自分の手で何かを作るっていう意味では沙奈子のドレス作りにも通じるところがあるのかもしれないな。
ただ、その後で鈴虫寺まで行くと、目の前に急な石階段が。
「これは…」
『う~む。正直、今からこの階段を上るのはちょっと…』
ここまでけっこう歩いてきたのもあって、帰りもそれなりに歩かないといけないからということで、鈴虫寺も階段下から眺めただけだった。
それからのんびり歩いて帰ろうとしてると、
「なにこれ可愛い!」
って絵里奈が声を上げた。オープンテラスのある喫茶店だった。しかも、ファンタジーもののフィクションに出てきそうな感じの喫茶店で、吸い込まれるように入っていく絵里奈に続いて僕たちも店に入った。
中もファンタジーな雰囲気がたっぷりで、沙奈子も嬉しそうに眺めてた。
『そっか、ここ、聞いたことある』
玲那が言うには、友達の女の子が何度も訪れてるっていう、知る人ぞ知るっていうお店らしかった。
そこでケーキと紅茶をいただいて寛いで、改めて帰途についた。
「沙奈子ちゃん、大丈夫?」
絵里奈が沙奈子に声を掛けるけど、「大丈夫」ってはっきりした声で返事してくれた。人混みは苦手だけど、意外と体力はあるんだよね。沙奈子って。元々我慢強いというのもあるのかもしれないけど。
『いや~、今回はただの散歩のつもりだったけど、思った以上に良かったですな』
「ほんとね。今度からはあの喫茶店にもちょくちょく行こうよ」
「うん。私も行きたい」
と、玲那と絵里奈と沙奈子の女の子三人組が満足気だったことで、僕も気分が良かったのだった。
そうやって家族の時間を過ごして、夕方、いつものように山仁さんの家に行った。たくさん歩いて疲れてもいたけど、波多野さんと田上さんのことが気になってたから頑張った。
でも、波多野さんはすごくご機嫌で満面の笑顔だった。今日は予定通り、みんなであの旅館に行ってきたそうだった。だから星谷さんの顔も赤い。まだ慣れないみたいだ。
そこに田上さんが口を開く。
「結局あれから、警察も何も言ってこないみたいだね」
彼女の言うとおりだった。痴漢から逆に訴えられるかもと波多野さんが覚悟を決めたのに、まったく何も言ってこない。
「ふっ、いよいよ諦めたかな?」
波多野さんが腕を組んで鼻を鳴らす。
それがどうかは分からないにしても、ここまで何もないという以上は、僕個人の気持ちとしてもそうであってほしかった。
「覚悟決めちゃうとさ、割とどうでもよくなっちゃうんだよね。なるようになれって感じで。
でも、面倒なことにならないのならそれはそれで助かるってのいうのも正直な気持ち。
だけどここで『やったか?』なんて言っちゃうとフラグになるかもだから言わないよ」
そんな波多野さんに、田上さんは少し困ったような表情で言う。
「そこまで開き直れるカナが羨ましいよ……。
けど、そういうことなのかなっていうのも思った。覚悟決めてどんと来いってやってると大したことじゃないのかもね。
だって実際、あれは痴漢だったんだもん。もし痴漢じゃなかったらってカナは言ったけど、ホントに痴漢だったんだもん。カナはそれから私を助けようとしてくれただけだったもん。
それで罪を問われるなんて納得できない……。
納得できないけど、私の弟がやってたことも、本人にしてみたらそういうことだったのかなとは、ここんとこいろいろ考えて思ったよ。Nって子が何かしでかして、それでってあいつは思ってたんだろうな。
それがやっと納得できた気がする……」
その時、玲那が言った。
「今日、あるオジサンが一人で作ったっていう建物を見てきたんだ。でもそのオジサンは、それが完成してすぐに亡くなったんだって。
そのオジサンは、無念だったのかな。それとも満足だったのかな。
だけど、その本当の答えは誰にも分からない気がする。
結局、答えはその人の中にしかないんだよ。周りの人間はそれを想像するしかできない。
カナが自分のやったことに向き合いたいっていう気持ちも、そのカナを庇いたいっていうフミの気持ちも、それぞれの答えなんじゃないかな。
私たちは、カナが出した答えも、フミの出した答えも、どっちもただ受け止めるしかできないんだと思うんだ。
フミの弟くんが出した答えも、そういうことなんじゃないのかな……」




