五百三十四 文編 「起こってしまった事件」
千早ちゃんたちは帰って、僕と沙奈子と玲那の三人になった時、玲那が不意に言い出した。
「結婚一年、おめでとう」
って。そうだった。児童相談所の一件から一年ということは、僕と絵里奈が結婚して一年ということでもある。
と言っても、婚姻届を出しただけで結婚式すらしてないから、あんまり実感はないかな。昨日の時点でももちろん気付いてたけど、別に祝うほどのこともないっていうのもあってか、僕も絵里奈も口には出さなかったし。
すると玲那は、唇を尖らせて言ってきた。
「もう、お父さん。実感ないからってスルーしようとしてたでしょ?。絵里奈もだけどさ。
昨夜、絵里奈にも聞いたんだよ。結婚一周年のお祝いする気あんの?って。そしたら『今はそれどころじゃないから』とか言っちゃってさ。
私や沙奈子ちゃんに気を遣ってるのかもしれないけど、水臭すぎる!。
プンスカピ!!」
だって。
そしたら沙奈子も、
「私も、お祝いしないのかなって思ってた……」
って。
「…ごめん。そうか、逆に気を遣わせちゃったのか…」
そうだ。沙奈子は大人しくて何を考えてるか分からないところがあるかもしれないけど、でもその中ではとてもいろんなことを考えてる子だって分かってたはずじゃないか。だったら僕と絵里奈の結婚記念日のことだってちゃんと覚えてて気にしてくれてたとしても何もおかしくない。
「ほ~ら、娘が二人ともちゃ~んと両親の結婚記念日覚えてるんだよ?。何やってんのよ二人とも。しっかりしてよね!。プンプン!」
頬を膨らませて腕を組んで、玲那は怒った顔をしてた。半笑いだけど。
「ありがとう、沙奈子」
そう言いながら頭を撫でた僕に、沙奈子の表情が柔らかくなった気がした。
そんなこんなで、絵里奈が帰ってくると二人して玲那からのお説教をもらうことになった。だけどそれは、玲那からのちょっと皮肉を効かせたお祝いのメッセージだというのは、彼女の表情を見てれば分かった。絵里奈も嬉しそうに涙をにじませてた。それが僕たちのささやかな、結婚記念と玲那が僕の娘になったお祝いということになった。
賑やかにパーティをする訳じゃなくても、こうして祝う気持ちを持ってもらえてるだけで十分嬉しい。僕たちはこうして家族の時間を重ねていくんだということを改めて実感したのだった。
だけど、そんな風に僕たちが幸せを噛み締めていた一方で、思いもかけない形でトラブルは降って湧いてきた。
月曜日。山仁さんのところに沙奈子を迎えに行くと、そこにいたのはイチコさんと星谷さんだけだった。
『あれ?』という表情が出てしまったのか、星谷さんが口を開く。
「カナが、暴行事件を起こしたということで、山仁さんが身元引受人として警察に行っています」
……はい…?。え?、波多野さんが…?。
状況が掴めず呆然としてしまった僕に対し、星谷さんは説明を続けた。
「現在、情報を収集中ですが、現時点で分かっていることは、まずフミが何らかの事件に巻き込まれ、それを助けようとしたカナが、相手に怪我をさせてしまったようなのです。それで、警察に補導され事情を聞かれてたということまでは分かっています。
私としてもすぐに弁護士を手配して対応に当たってもらっていますので、後程、詳しい事情が判明すると思います」
星谷さんの言葉に、僕は混乱してた。田上さんが事件に巻き込まれて、その上、波多野さんが…?。
僕の頭の中をぐるぐるといろんな考えが巡る。どんな状況だったのかっていうのも気になるけど、それ以上にこの後で起こることが恐ろしかった。
だって、あんなひどい事件を起こしてしまったお兄さんに続いて波多野さんまで事件を起こしたとなったら、世間はどんな風に反応するか。
『やっぱ、レイプ事件を起こすようなクズは妹もクズなんだな!』
『これもう、家族もろとも始末しなきゃ駄目だろ。犯罪者家族!!』
『犯罪者の血は根絶やしにしろ!!』
くらいは当然言われるんじゃないかなって……。
体に力が入らなくて、テーブルに手をついてやっと支えてる感じだった。
どうしてこんなことに……。どうして波多野さんばっかりこんな目に……。
だけど、星谷さんもイチコさんもしっかりと前を向いてた。
イチコさんが言う。
「すいません。山下さんにまで心配かけちゃって。ホントにもう、カナってばバカなんだから」
その軽い口調に僕はたまらない違和感を感じてしまった。だからつい、
「あの…、そんな軽いことじゃないですよね……!」
って。
するとイチコさんは、僕を真っ直ぐに見詰めて言った。
「軽いことでも重いことでも、私はカナの友達だから。帰ってくるのを待つだけだし」
その言葉は、とてもしっかりとしてて、虚勢とか口先だけでそんな風に言ってるんじゃないんだっていうのが分かる気がした。イチコさんが本気でそう思ってるのが伝わってくる気がした。
思わず星谷さんの方に視線を向けてしまうと、星谷さんも僕を真っ直ぐに見詰めてた。
「イチコの言うとおりです。人は失敗をする生き物です。カナがどんな失敗をしてしまったのだとしても、私たちはそれを理由にカナを見捨てたりしません。それに、正確な事情も判明しないうちから気を揉んでも状況が良くなるわけではありません。詳しい経緯が判明してから、それに対処する最善の方法の検討に入ればいいだけのことです。
現時点でも相手の怪我は大したことがないのは分かっています。ならばそれほど深刻に受け止める必要もないでしょう。むしろ、フミが巻き込まれたという事件の内容こそが気になります。その内容がカナの処遇にも影響を与えるでしょう。
正当防衛的な流れで起こったことであれば、そもそも事件性すら問われない可能性もあります。万が一過剰防衛とみられることであっても、それこそ弁護士の腕の見せ所ですし、今回の件を引き受けてくださった弁護士の方は大変に優秀な方です。最大限の情状を引き出してくださいます」
だって。
まったく、高校生の女の子二人がこんなに落ち着いてるのに、30にもなった大人の僕がおろおろしててどうするんだとなんだか恥ずかしくなってしまった。
それにしたって、二人とも、肝が据わりすぎじゃないかな……。
そんな風に僕が戸惑っていると、
「ただいま」
と、玄関が開く気配と一緒に声がした。
「おかえり~」
と大希くんがいつもと変わらない感じで迎える気配も伝わってくる。
「ごめんね~、ヒロ坊。心配かけちゃって」
って届いてきたのは、波多野さんの声だった。いつもと変わらない感じの、明るくて軽い声。
そしてトントンと階段を上って姿を現した波多野さんは、
「いや~、まいったまいった」
なんて笑いながら頭を掻いてた。
むしろ、後から続いて部屋に入ってきた田上さんの方が沈痛な顔をしてたのだった。




