五百二十七 文編 「卑怯なことなんだ」
波多野さんが続ける。
「たとえば家族内で事件が起こったんならまだマシだった気がするんだよ。特に両親が怪我したとかだったら、それこそ『ザマぁ!』って思ってた気がする。『お前らがそんな風に育てたんだから自業自得だろ!』ってさ。
だけど、そうとは限らないんだよね。あいつは、両親を直接どうこうするんじゃなくて、間接的に苦しめる方に行ったんだって気がする。
これはホンっときつい。被害者にどうお詫びすればいいのか分かんない……。
そういう意味では、ものすごく効果的に両親を痛めつけてるって気がするな……」
目を潤ませて、拳を握り締めて、とても苦しそうな波多野さんに、田上さんが顔を逸らした。
「ごめん……。事件が起って喜ぶとか、不謹慎だよね……。
でも…、でも…。そう思っちゃうんだ……。
私、最低だ……」
「フミ…。フミが悪いんじゃないよ。私だってフミと同じだったんだからさ。ただ、フミの家が私のところと同じになったらイヤだなって思うし、事件が起きるってことはまた被害者が出るってことだからさ。それは勘弁してほしいよね……」
「カナ……」
波多野さんと田上さんのやり取りは、本当に重いものだって感じた。家族が事件を起こすっていうのはこういうことなんだなっていうのを改めて実感した気もする。
そうなんだ。事件が起こるっていうことは、当然、そこに被害者が生まれるっていうことでもある。家庭内で生まれた鬱屈のせいで全く関係のない人が被害を受ける場合もあるんだ。それこそ、波多野さんのお兄さんの事件みたいに。
そんなことで事件に巻き込まれるとか、被害者からしたら本当にたまらない。理不尽とか不条理とかいう言葉では言い表せないほどの有り得なさだと思う。
ネットで誹謗中傷とか罵詈雑言とか悪態を投げつけられるのも、された方からしたら『冗談じゃない!』って感じだろうな。
『お前にどんな不満があるのか知らないけど、その鬱憤晴らしに利用するんじゃない!』
とか思うのも当然だろうな。
そう言うと今度は、誹謗中傷とか罵詈雑言とか悪態を投げつけてる方が、
『こうなったのもお前に原因がある』
なんて言ったりするんだろうけど、だったら、
『誹謗中傷とか罵詈雑言とか悪態を投げつけてるその姿が不快だから』
っていう理由で別の誰かから同じ目に遭わされても文句は言えないんじゃないかな。
不快だし、醜いよ。そういうことをしてるのって。十分、それを理由に誰かから攻撃を受けるきっかけになるくらいには。
田上さんの弟さんが絡まれたのも、つまりそういうことなんだと思う。
『Nって子に何か原因があったとしても、それを理由に誹謗中傷とか罵詈雑言とか悪態を投げつけてる君の姿は見苦しくて不快で、だからそれについて意見を申し述べさせてもらってる』
ということなんだろうな。
彼にしてみれば『Nが悪い』『Nにすべての責任がある』ってことなのかもしれないけど、そのNって子が何をしたのか知らない他人からすれば、田上さんの弟さんこそが見苦しくて不快なことをしてる張本人なんだよね。実際、田上さんにとってもNって子のことは何も関係なくて、弟さんのやってることこそが許せないって感じてるんだから。
もし、彼が『Nに原因がある』ってことを分かってもらいたいと思うんだったら、そのNって子がどうして原因になることをしたのかっていうことについても理解しなきゃいけないんじゃないかな。自分ばっかりが他人に理解してもらえると考えること自体が、ムシが良すぎると思うんだ。自分を理解してもらいたいのなら、自分も他人を理解しようとしなきゃ。
結局、そういうことを言われてるんだとあのやり取りを見てて思った。
その一方で、田上さんが思ってたみたいに、弟さんが事件を起こしてご両親が迷惑を被ったらそれはそれで『ざまあみろ』って考えてしまうっていうのも分かる。弟さんをそんな風に育てた責任がご両親にはあるからって。
だから僕たちは探すんだ。自分の気持ちや感情の落としどころを。『お前が悪い!』って言い出すと、その原因となったことを突き詰めていけばキリがないから。
田上さんの弟さんかもしれない人がどうしてあんなことをしてるのかって考えたら、同級生のNっていう子にも原因があるかもしれないし、弟さんをそんなふうに育てたご両親にも原因があるかもしれない。その中には、田上さん自身が弟さんに優しくしてあげられないことも原因として含まれるかもしれない。
でも、Nって子が原因だって言い出すと、その子がそんなことをするようになった原因がまたあるはずなんだ。ご両親がそんな風にしか子供と接することができなくなった原因もあるはずなんだ。本当にキリがない。
けれど、キリがないからってやった本人だけに責任があるってことにしたら、田上さんの弟さんが絡まれたのは、誹謗中傷とか罵詈雑言とか悪態を投げつけてたせいだってことで終わってしまって、弟さんの言うみたいに『Nが悪い!』ってことにはならない。
それで考えると、『イジメられる方にも原因がある』って言えなくなる。
玲那が無罪主張せずに罪をすべて認めようとしたのも、それなんだろうな。『刺された方にも原因がある』って言えないと思ったんだって気がする。
沙奈子を連れてアパートに帰って、僕は言った。
「結局、原因っていうのはただの『きっかけ』で、そのきっかけを基に本人が何をするかっていうのは本人自身の責任なんだろうな」
そんな僕に、玲那が言う。
「私もそうだと思う。だから私は、無罪主張するのがイヤだったんだ。私がやったことは私に責任がある。私をそこまで追い詰めたあの人たちにも責任はあるんだとしてもそれはあの人たちの責任であって、私自身の責任とはまた別なんだって思うんだ」
玲那に続けて、絵里奈も口を開いた。
「そうね…。田上さんの弟さんは、自分が誹謗中傷とか罵詈雑言並べてるのをしきりにNって子の責任にしたがってたけど、実際に誹謗中傷と罵詈雑言を並べてたのは弟さん自身だものね。Nって子が何をやったとしても、それがもし何か本当に許されないことなんだったら、それはそれでまた別に裁かれなきゃいけないことなんじゃないかな。
私も、香保理が亡くなった時に訳が分からなくなって無茶苦茶なことしそうになってた。でも、それを香保理のせいにはしたくない……」
そうか。絵里奈も香保理さんが亡くなった時にかなり精神的にヤバい状態だったらしいから、それを理由にってことも有り得たんだな。
それでも、小さな子供じゃないんだから自分で何をしてるのか、自分が何をしようとしてるのか、それくらいなら判断できるはずなんだ。それなのに『○○が悪い!』って言い訳するのは、卑怯なことなんだって思う。




