五百二十五 文編 「みんな不幸になれ」
玲那が続ける。
「ネットで誰かを罵ったりするのってさ、自分が不幸だっていうのを自分でバラしてるのと同じだと思うんだよね。自分で自分を不幸だと思っててそれで他人に八つ当たりしてますって宣言してるのと同じだと思うんだよね。
だってそうじゃない?。自分が幸せだったら、どうでもいい他人のことなんて構ってる時間ももったいないよ。自分の幸せを満喫するのに忙しくてさ。
しかも、そんな風に他人を罵ってたりしたら、結局は反論されたり反撃されたりして嫌な思いしたりするじゃん。せっかく幸せなのにわざわざそんな嫌な思いしにいく必要ないじゃん。
ってことはさ、ネットで他人を罵ったりしてるのって、『自分はこんなに不幸なんだからお前らも嫌な思いしろ』ってだけのこととしか思えないよね。
こう言ったら『そんなわけあるか!』とか噛み付いてくるのがいると思うけど、それも図星だからそんな風に反応するとしか思えないんだ。
私、もうそういうの嫌なんだ。自分が不幸だからってお前らも不幸になれってずっと思ってた。だけど、そんな風に思ってた頃の方が今よりずっと不幸だった。嫌な奴だった。他人を妬んで勝手に恨んで、『どいつもこいつも馬鹿ばっかり!』って思ってた。
でもさ。そうじゃないんだよね。自分が幸せになれないのは、自分が不幸を招いてるからっていうのも多いんだよね。子供の頃はそうじゃなかったかもしれないけど、大人になってからなんて、誰も『客を取れ』とか私に言ってきてたわけじゃないし。
私が、『どうせお前もこの程度のことも分からない馬鹿なんだろ?』って思ってそういう目で睨み付けてたから『何こいつ?』って思われてただけでさ。それで反感を招いてただけなんだもん。自分の所為だよね」
そう言って苦笑いを浮かべる玲那の姿は、どこか寂しそうにも見えた。昔の、香保理さんや絵里奈に出会う前の自分のことを思い出してるんだと感じた。
波多野さんが言う。
「分かる。私もホントそれって思う。うちのバカ兄貴も同じだよ。あいつも、外面ばっかり良かったけど、家に帰ったら『どいつもこいつも馬鹿ばっかり!』とか文句ばっかり言ってた。それで勝手に捻くれて『俺が上手くいかないのはお前らの所為だ』とか言って、それで無理矢理、他人を自分の思い通りにしようとしてあんなことをやらかしたんだ。
バカだよ。ほんっとどうしようもないバカ。それで自分の家庭まで滅茶苦茶にしちゃったんだ。
だけど私も、兄貴の所為にして『私はこんなに不幸なんだからお前らが幸せなのは許せない!』とかやってたら、今よりもっと滅茶苦茶なことになってたと思う。家を飛び出して誰でもいいから優しくしてくれる相手に縋って、でも内心では『みんな不幸になれ!』とか思っててなんてしてたんじゃ、幸せになんかなれないよね。
こうしてみんなと集まってさ、どうして自分がこんな目に遭ってるのかってのを冷静に考えられるようになってさ、すごく気分が落ち着いてきてるんだよ。なんかもうそれだけで幸せな気がしてる。これ以上、自分で不幸なところに転げ落ちないで済んでるって思えるだけで幸せなんだ。
もちろん、今よりもっと幸せになりたいってのは思うよ?。でもさ、身内があんな事件起こしちゃったら、もう無理なんだよね。今手に入る小さな幸せがあるってだけでも満足しなきゃさ。
でもでも!、別に今に不満がある訳じゃないよ!?。こうしてみんなと一緒にいられるのが幸せだって感じてるのはホント!。だけど、手に入れたくても手に入れられないものが増えちゃったかなって感じてるのも正直な気持ちなんだ」
そんな波多野さんにイチコさんが静かに話し掛ける。
「そういう正直な気持ちがあるのは当然だと私も思うよ。だって、私ももう、お母さんに甘えることができないから。その願いはもう絶対、叶うことがないんだ。それが悲しいって感じるのをやめるなんてできないよ。
だからカナが『手に入れたくても手に入れられないものが増えちゃった』って感じてるのも分かる気がする。
だけど、どうしようもないことって、どうしようもないんだよね。それを嘆いたってどうにもならないんだ。だったら今の自分にどうにかできる範囲で幸せを見付けるのが現実的だよね」
イチコさんの言うことにも重みを感じる。でも同時に、子供にここまで思ってもらえるお母さんだったんだなっていう風にも感じた。僕はまったく寂しいとか悲しいとか感じないから。
僕の両親みたいに子供にまったく死を惜しんでもらえない親も、イチコさんのお母さんみたいにここまで悲しんでもらえる親も、同じように病気で亡くなったりするんだなっていうのも改めて実感した。
『良い人ほど早死にする』とかいう言葉を聞いたりすることもあるけど、それって単に、『死を惜しんでもらえる人のことは印象に残る』ってだけの話かもと思ってしまったりする。実際には、良い人とか悪い人とか関係なくそういうのは訪れてるんだろうなって。
僕がそんなことを思ってると、今度は田上さんが口を開いた。
「玲那さんやカナやイチコのことを見てたら、私が家族のことで苦しくなってるのなんて甘えなんじゃないかって気がしてくる……」
呟くようにそう言った田上さんに、イチコさんが首を横に振る。
「そうじゃないよ、フミ。苦しい時は苦しいでいいんだよ。苦しいのレベルでどっちがマシだとか大変だとか関係ないんだよ。苦しいっていうのは本人が感じてるものなんだから、苦しいと感じてるのならそれは苦しいんだよ。そんなことで上下を決めても意味ないんだ」
イチコさんの言葉を、隣に座って黙ってみんなの話を聞いてる山仁さんが静かに頷いてた。自分の言いたいことをイチコさんがちゃんと言ってくれてるって思ってるのかもしれないって感じる。
すると田上さんがまた目を潤ませて、「ありがとう…」って。
そこで素直に『ありがとう』って言えるから、彼女はここにいられるんだなとも思った。ここで『私の気持ちなんてみんなには分からない!』とか言って飛び出してしまったりしたら、差しのべられた手を掴むことも難しくなってしまうんだと思う。それで『自分は不幸だからみんな不幸になれ』なんて感じで他の誰かを罵ってたりしたら、それはもう自分で自分を不幸にしてるってことでしかないんじゃないかな。
ネットで誹謗中傷や罵詈雑言や悪態を並べて少しでも憂さ晴らししようっていうのもストレス発散の手段なのかもしれない。だけどそんなことをしてる人を助けたいって誰が思ってくれるんだろう。それ以前に『誰も助けてくれない』とか思ってるのかもしれないけど、それはたまたま今まで出会えなかっただけか、普段からそんな風にして自分から遠ざけてただけなんじゃないかな。
少なくとも、自分から他人を傷付けようとしてる人を助けたいと思ってくれる人なんて滅多にいないのは事実だと思う。




