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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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五百二十三 文編 「いろんな生き方」

『自分にできないことは、他人の力を借りて実現する』


結局、人間社会ってそういうことなんだろうなって思う。僕は、お米の作り方を知らないし、それを作るための場所も持ってない。魚を獲ることもできないし、そのための船も持ってない。でも、そんな、僕にできないことを代わりにやってくれる人がいるから僕はお米が食べられるし魚も食べられるんだ。人間はそうやって生きてる。そういう生き物なんだ。


だから他人に嫌われたり憎まれたりするのって、本当は自分にとって損なことなんじゃないかなって思うんだ。誰だって嫌いな人や憎んでる人のために何かをしてあげようって気になるのは難しいと思う。他人に嫌われたり憎まれたりするのは自分の可能性を狭めることでもあるのかもしれない。


僕たち四人だけだったら、玲那の声を取り戻すために何かをしようなんて思いつくこともなかった気がする。仕方ないと諦めてただ現状を受け入れるだけで終わってた気がする。それが、星谷さんとこうして知り合って、星谷さんに『力にならせてください』と思ってもらえる僕たちだったからこそのことなんじゃないかな。


彼女にとって『どうでもいい。関わりたくない』って思われるような人間だったら、こんなことにはなってなかったはずなんだ。


結局、そういうことなんだ。他人を傷付けて嫌われて憎まれるのは、自分の首を絞めることなんだって。玲那があんな事件を起こしてもこうして大切に思ってもらえるのは、玲那がみんなを大切にしようとしてたからなんだ。


もちろん、だからって全ての人からそんな風に思ってもらえるとは限らない。玲那のことをロクに知らない人からは攻撃も受けたし、玲那のことをある程度は知ってるはずの『友達』もたくさん離れていったって聞いた。


それでも、今も残ってくれてる人はいる。カラオケのオフ会に集まってくれる秋嶋あきしまさんたちもそうだ。あんな事件を起こしてしまって世間から叩かれてる玲那でも見捨てないでいてくれた。でもそれは『玲那だから』なんだと思う。周囲から『嫌な人』って思われてたら、それこそみんなから見捨てられてたかもしれない。それどころか、さらに苦しい状況に誘い込もうとする悪い人が寄ってきてたかもしれない。


自分を大切にしてくれる人を呼び寄せて、自分を貶めようとする人を遠ざけるのも、やっぱり自分自身なんだろうな。


だから玲那は大丈夫なんだ。この子がみんなを大切にする子だから、みんなも玲那を大切にしてくれる。守ってくれる。何か悪いことが起きそうになっても、守ってくれるんだ。


これからもいろんな大変なことはあるかもしれなくても、そういう時にこそ守ってもらえるんだ。


たくさんのお金を持って、大きな力を持つことが幸せだと考える人もいると思う。でも僕にはそれが必ずしも幸せだと思えない。たくさんのお金を持っていても、大きな力を持っていても、他人から嫌われて憎まれていたら、心が休まる時がない気がする。僕にはそんな生き方はできない。だからそれを目指すことはしない。


たとえ誰に嫌われても憎まれてもたくさんのお金と大きな力さえあれば幸せだと思うのなら好きにしててくれていい。自分の意志でそういう人生を歩むのならそれも生き方の一つなんだと思う。でもそれで他人の心や人生を踏みにじるのはどうなのかな。そんなことをしてて恥ずかしくないのかな。恥ずかしいと感じないからそんなことができるんだろうとは思うけど、僕にはできそうにない。


誰かの心や人生を踏みにじってそれをお金や力に変える生き方なんて……。


もちろん、そういうことができてしまう人が今の世の中で力を持ってるのも分かってる。ブラック企業とか呼ばれるものが当たり前のようにあったりするのもそういうことなんだと分かってるつもりだよ。けれど、それでも僕にはそんな生き方はできない。


小さくてささやかでいいんだ。巨大な恐竜の足元で隠れるようにして生きていたらしい小さなネズミのような生き物みたいに他人からは見えていても構わない。だけど恐竜が絶滅してそういう小さな動物が生き延びたように、それぞれが可能性を持ってるってことなんじゃないかな。


僕がこんなことを考えられるようになったのも、こうやっていろんな人と関われるようになったからなんだ。いろんな考え方に触れて、話を聞いて、話をして、それを自分の中で咀嚼して結果として身に付いていったからだと思う。


自分の考えだけでやってたら、たぶん僕は沙奈子と一緒に暮らすことさえ続けられてなかった気がする。どうしていいか分からなくなって追い詰められて、あの子を施設に預けてたか、下手をすると何か事件を起こしてしまってたとしても少しも不思議じゃない。


ニュースで痛ましい事件を見るたびに、もしかしたらこれは僕が迎えてた結末の一つだったかもしれないと考えてしまうんだ。特に、子供を死なせてしまう事件とか……。


ここまで無事だったのは、決して僕が立派だったからでも正しかったからでもない。それを痛いくらいにいつもいつも思い知らされる。事件を起こしてしまった人たちと僕の違いなんてほとんどないんじゃないかな。たまたま、本当にたまたまたくさんの人たちに助けてもらえてたからに過ぎないんじゃないかな。


だから僕は、自分も誰かを助けることを選びたい。そのおかげで今までやってこれたんだから。こういう生き方もあるんだっていうのを知ったから。


大きな力を持つ人たちから見たら僕たちなんて取るに足らない存在なんだっていうのも確かだと思う。僕の言ってることなんて『負け犬の遠吠え』なのかもしれない。だけどそれはその人たちの考え方でしかないのも事実なんじゃないかな。


たくさんのものを必要とせず、小さくまとまることで、僕たちは生き延びる可能性を探っていく。


この地球上には、本当にいろんな種類の、いろんな生き方をしている生き物がいるんだ。それぞれが別の可能性を模索しつつ生きてるんだ。だったら僕たちのような生き方だってあっておかしくないんじゃないかな。


どちらが正解かなんて分からない。巨大な恐竜の影に怯えて隠れて生きてた小さなネズミみたいな動物が結局は生き延びたみたいに、何が幸いするかなんてそうなってみないと分からないじゃないか。


ブラック企業を経営してたくさんの人を磨り潰してお金を稼いでそれが幸せだと思ったまま人生を終わる人がいるのなら、それとはまったく別の生き方を選ぶ僕たちみたいなのがいてもいいじゃないか。そういう風にいろんな生き方がある方がむしろ自然なんじゃないかな。


誰もが一流の野球選手になれるわけでも、アーティストになれるわけでもない。いろんな人、いろんな生き方があること自体が当然なんだと僕は感じてるんだ。



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