五百二十一 文編 「感情と理性」
日曜日。いつものようにお昼を作ってる千早ちゃんたちを見ながら、僕は星谷さんと話をしてた。
「田上さんの弟さんの様子はどうですか?」
まずは一番気になってることを尋ねる。
「やはりまだ絡まれてるようですね。そのせいか、サブアカウントと思しき方の発言が減ってきています」
そうなのか。当然と言えば当然かな。星谷さんが続ける。
「相手の方の情報はやはり殆ど集まりません。同じ人物と思しきコメントはあちらこちらで散見されるのですが、明らかに同一人物が行っているとすれば無理のあるタイミングでの発言も多数ありますので、おそらくは複数人が似たような言葉遣いで行っているだけでしょう。
これは、そのやり取りをどこかで見た人物がそのやり方を真似る形で広がっているものだと思われます」
それに対して玲那が発言する。
「それ、私も思った。この感じで淡々と意見されるとさ、言われてる方もエキサイトしにくいんだよね。罵り合いになる時って結局、お互いにエキサイトしちゃってる状態だから。でも相手が冷静だと、盛り上がれないんだ」
「そうですね。それはあると思います。私が冷静であろうとするのはまさにそれですから。
以前は、私もついつい感情的になりがちでしたが、それでは状況が悪くなるだけでした。その結果、私は頭を打ったのです。父に諭され、その時は反発もしましたが、今では至極当然のことを言われていたのだと分かります。
感情的になると、その当然のことが分からなくなるのです」
「うん。人間にとって感情って大切なものだとは思うけど、でもいい感情ばかりじゃないってのも事実だと思う。
アニメとかでも『感情に対して素直になれ』って展開があったりするけどさ、それって素直になっていい感情と素直になっちゃマズイ感情とがあると思うんだ。
私は、素直になっちゃマズイ感情に従っちゃってあんなことになったしさ。
感情はもちろん大事だし、感情をなくすなんてことができるなんて思わない。だけど、人間ってそれだけじゃないよね。感情にだけ従ってたらいいんなら、野生と同じだよ。それって人間とは言えないと思う。
感情と理性、両方が大事なんだ」
「そうですね。私もそう思います。
人間は、何も持たずに自然の中に放り出されると生きていけない動物です。遭難などによって命を失う方がいるのはその為です。一方で、犬や猫などは、捨てられても野生化して生き延びる例も人間よりははるかに多いでしょう。それができる動物だからです。
動物としてはあまりに脆弱で非力な人間は、社会を作って寄り添い合い、互いに支え合って生きる道を選びました。そして、社会の中で生きていく為には意図的に他者を傷付けるような振る舞いは非常に危険な行為なのです。何故ならそれは、『社会』というものを破壊する行為だからです。
社会を作り支え合うことでしか生きられない人間にとって、社会を揺るがすというのは自らを危険に曝すことでもあります。故に、そういう存在はリスクとして疎まれ、排除される対象となります。これは、人間という生き物にとっては身を守る術なのです。他者と共感し、価値観を共有し、共に自分達が生きていくための社会という環境を維持することが望まれるのです。
無論、今の社会が万全だと申し上げるつもりもありません。社会に適応できずにはじき出されてしまう人もいるでしょう。しかしそれはまたそれで別に考えるべき問題です。社会に瑕疵があるのなら、それを改めていくのもまた人間なのです。
他者を傷付ける為に行動する人間は、社会にとって危険な存在です。フミの弟さんは自らその『危険な存在』になろうとしているのです。それを改めることができなければいずれは排除される側になる危険性も高いでしょう。
社会の中で生きていくためには、自身の感情だけに従っていてはいけないのです。社会にとって好ましい感情と好ましくない感情とがあるということを、彼は知らなければなりません」
僕にとっては、星谷さんの説明はとても分かりやすかった。ピンとこない人もきっといると思うけど、少なくとも僕にとっては『確かに』って思えるものだった。それを、大人と言われる年齢の僕じゃなくて高校生の星谷さんが言ったところが情けなくもありつつ、そういうことを言ってくれる人がいるというのが頼もしくもあった。
「そうだね。いくら強がったって、裸で自然の中に放り出されたら生きていけないのが人間っていう生き物だと思う。それなのにわざわざ自分から他人を攻撃して恨みを買って嫌われて……。
そんなことしてたら、いざという時に助けてもらえないってことも考えられないんだろうな。
今、ブラック企業とか言われるのを経営してる人たちだって、そんな形で恨まれて、自分が歳をとったりして力が衰えたら、それまでと同じように他人を操れると思うのかな。お金とか権力とかがあるうちはそれで何とかなっても、そういうのを失ったらそれこそ見捨てられたりしないかなって感じる。
僕は、星谷さんがもし何かがあって他人の助けがないと生きられない状態になったら、助けたいと思う。それは、星谷さんだからだよ。他の人だったら、たとえば僕の会社の上司だったらたぶんそこまでできないと思う。『他の誰かを頼ってください』って思ってしまう気がする。その人が普段やってることが、そういう形で返ってくるんだろうな」
「はい。それも分かります。以前の私なら、おそらくそのような状態になった時には山下さんにそう思っていただけなかったでしょう。それどころか、そんなことを想定することさえできなかった。私の力なら何とでもなると考えたでしょう。
恐ろしいことです。私一人で揮える力なんて、本当に些細なものでしかないのに。私には人脈があり、私に協力してくれる人がいればこその力でしかありません。それは私の力ではなく、私に協力してくれる方々の力なのです。かつての私はそれを私自身の力だと思い上がっていました。その方々の力を借りない私は、同年代の男性にも腕力で劣る非力な小娘でしかないのに。
ですが、今では私はそれを理解できました。私に協力してくださる方々を大切にしなければ私はすぐに駄目になるのだと。
企業経営でもそれを感じます。そこで働いてくださる方々の力があってこその企業なのです。人は使い捨ての道具ではありません。従業員であると同時に、その企業を評価する立場の人々なのです。従業員を大切にしないという風評は、企業のためになりません。調子よく経営できている時はそのような風評など気にもならないかもしれませんが、苦しくなった時にそっぽを向かれてしまってはそれこそ立ち直ることもできなくなってしまいます。
私はいずれ、会社を経営することになるでしょう。その時にはこのことを忘れずにいたいと思います」




