五百二十 文編 「身から出た錆」
その日の会合は、田上さんの弟さんのサブアカウントと思しきそれに対してしつこく絡んできてる人について、『こういうことが起こってる』っていう説明だけで終わった。
沙奈子を連れてアパートに帰ってから、玲那が話しかけてくる。
「誰か知らないけど、ピカの言うようにかなり手慣れたやり口だよね。煽っても罵倒しても淡々と揚げ足を取る感じでツッコんでくる。たまにああいう人いるけど、相手にするとすっごく面倒なんだよね。暖簾に腕押し、糠に釘って感じで、打っても叩いても響かないの」
すると今度は絵里奈が、
「なに?。ああいう人に注意されるようなことしてたの?」
って心配そうな顔で聞いてくる。
「あ、いやいや、別にネットで誰かを誹謗中傷してたつもりないんだけどさ、アニメの出来のことでまとめサイトでちょ~っと熱くなっちゃったら目を付けられちゃったみたいで。
でもでも、その時だけだよ。あの時は私もほんと熱くなっちゃってただけだから」
「そう?。だったらいいんだけど……」
「心配させちゃったんならごめん。
ただ、ああいう人って面倒臭いんだけど、自分がつい調子に乗ってる時のカウンターとしてはありがたいって思うことはある。それに、敵に回すと厄介でも、味方になってくれると助かるし。
でも、あのタイプの人って、敵とか味方とかっていう括りでは動いてくれない感じなんだよね。あくまで自分の信念に基づいてるって言うかさ。
まとめサイトで絡まれた後で私は静観するようにしてたんだけど、ちょっと荒らしっぽいのがいた時なんかはそれに対しても意見してたな。
けど、そうやって他人に意見する人もえてして『荒らし』に分類されるんだよね。その場の雰囲気を壊しかねないからさ、で結局、どっちも管理人からアク禁くらったみたい」
玲那の言ったことは、僕にも少し思い当たることがあった。僕はもともとあまりネットで他人とやり取りをするっていうのをしなかったから直接絡まれたことはないけど、荒らし行為と言うか酷い罵詈雑言や誹謗中傷を並べてる人に対して絡んでるのは何度か見たことがある。
僕が見たそれは、ひどく淡々としててまるでAIか何かかと思うくらいに感情がこもってなかったな。
もともと、ネットの中にも当然いろんな人がいるから、罵詈雑言や誹謗中傷を並べるだけの世界でもないのは分かってる。冷静な意見だってたくさんあると思う。だけど、気持ち良く罵詈雑言や誹謗中傷を並べて憂さを晴らしてる人にとってはそういうのは鬱陶しい存在なんだろうな。
田上さんの弟さんは、今まさにそういうのに絡まれてる状態ってことか。
玲那が続ける。
「これをきっかけにしてフミの弟くんが、控えるようになってくれればいいんだけどな。
よく、『昔は近所に煩い雷オヤジがいてくれて良かった』みたいなことを言ってるのがいるけど、弟くんが絡まれてるのがまさに『ネット版、近所の煩いオヤジ』ってことなのかなって思ったりするんだ。
なんかさ、『昔は近所に煩い雷オヤジがいてくれて良かった』なんて言ってるヤツも、実際に自分がそういうのにあれこれ言われる立場になると途端にキレるんだよね~。
結局、無関係な第三者的な立場で、他人が煩いオヤジに説教食らってるのを見て『ザマぁ!』って言いたいだけなんだろうな~って思っちゃった。自分が言われる側になることなんて想像してないんだよ。そんな都合のいいこと、この世にはないのにさ」
玲那の言うことももっともだと思った。それと同じようなことを僕も思ったことがある。他人がやり込められてるのを見てスカッとしたいと思ってる人間って、自分がやり込められる側になるっていうのを想像してないって気がする。自分は正しいことしてるからそんなことされる訳ないって思ってるんだろうな。
でも、『他人がやり込められるところを見てスカッとしたい』っていうのって、態度に出るんだと思うんだ。そういうのってやっぱり『卑怯』なんだと思う。イジメとかを傍で見てて囃し立ててるタイプって言うかさ。
リンチとかでもいるよね。自分では手は出さないけど、囃し立てて盛り上げようとするの。あれと同じだと思うんだ。
そう思うから、僕は、誰かがやり込められてるところを見て悦に入るみたいなことをしないように心掛けてた。さっき、田上さんが弟さんが絡まれてることに対して『ザマぁ!!』と笑ったのを見た時に悲しくなったのも、たぶんそれだと思う。自分にとってムカつくことをした人がぼこぼこに殴られてるのを見て囃し立ててるのと同じことを田上さんはしてたんだ。それが悲しかった。
今度は絵里奈が言った。
「私が中学や高校の頃にも似たようなことはありました。クラスによく嘘とか吐く子がいて、そのせいでその子はみんなから嫌われてて、しかも、その子が嘘を吐くのを理由に蹴ったり殴ったりしてる子もいたんです。みんなはそれを見て『いい気味』って思ってたみたいです。
でも、先生の一人が『嘘を吐いたからって蹴ったり殴ったりしてもいい訳じゃない!』って叱って。その上、『蹴ったり殴ったりしてるのを見て囃し立てたりしたのも同罪だ!』って。
そしたら、嘘を吐いた子が蹴られたり殴ったりしてるのを面白がってた子らが、その先生の授業をボイコットし始めて。
まさしく、『他人がやり込められてるところを見て憂さ晴らししてたことを注意されたらキレた』状態ですよね。自分がそんな風に注意されるとか思ってなかったんでしょう。
だけど、嘘を吐いてた子は、別に誰かを蹴ったり殴ったりしてた訳じゃないんです。それにその子の吐く嘘は、誰かを傷付けようとか陥れようとかって感じじゃなくて、ただ本人の空想を口にしてるだけって感じだったなと今から考えたら分かります。
それに対して蹴ったり殴ったりっていうのは、明らかにやりすぎだったんでしょう。だってその子は言葉しか使ってないのに、それに対して蹴るとか殴るとかしてたんです。ぜんぜん、釣り合いが取れてませんよね」
絵里奈の言ったことも、僕にも似たような状況を見たことがある。昼間、玲那が言った『ハムラビ法典』に照らし合わせてみても、誰かを傷付けようとして吐いたわけじゃない嘘に対して蹴ったり殴ったりっていうのは、もう『目には目を、歯には歯を』じゃなくなってる気がする。本人がやったこと以上の罰を与えてることになるんじゃないかな。それと似たようなことを、僕も見たんだ。
田上さんの弟さんが絡まれてる件は、そういう意味で考えると今のところはまだ、言葉で誰かを傷付けようとしてたことに対して言葉で意見されてるだけだった。しかも、罵詈雑言や誹謗中傷って感じじゃなく、慇懃無礼かもしれないけどまだ割と丁寧な言葉を選んでるようにも見えた。だから単純に意見されてるだけにも見えなくもない。
それがどう展開していくのかまだ分からないけど、注意深く見守るべきなのかなとは思うんだ。




