五百十七 文編 「尊敬してもらえる人」
田上さんは言った。
「お父さんは、ただ不器用なだけの人だっていうのは分かってるんです。仕事の上では真面目だし責任感もあるし立派だと思います。もし、私のお父さんじゃなくて他人だったら『立派な人なんだな』って思えた気がします。
でもそれじゃ、『お父さん』としては違うんじゃないかなって…。ただの余所の人が家にいるだけなのと同じじゃないかなって…。
だから、『お父さん』としては好きじゃないし尊敬もできません。だけど、少なくとも社会人としては立派だなって思えるからまだいいかなって感じなんです。
だけど、やっぱりお母さんは違うとしか思えないんです。あの人はお母さんとしても大人としても、ぜんぜん、尊敬できる部分がないんです。
あの人は、私の従姉に当たる人のお母さんにも酷いことをしたんです……。
その人の旦那さんが私のお母さんのお兄さんだったんですけど、二人が結婚することに無茶苦茶反対して強引に別れさせて、仕方なく二人はそれぞれ別の人と結婚したそうです。でも、両方とも離婚や死別で独身に戻って、そこで再会してやっぱりお互いに好きだっていうのを改めて実感して、反対を押し切って再婚したそうです。
二人が再婚を決めた時にも無茶苦茶に反対したのが私のお母さんで、その反対の理由が『とにかく気に入らない』ってだけのものすごくいい加減でワガママなだけのものでした。
それでも二人が強引に再婚したら『親戚の縁を切る』とまで言い出したそうです。実際それで、二人はずっと私たちとは関わらないように暮らしてきて、私はそういう親戚がいることも知りませんでした。だから、その二人の娘さんが私の学校の先輩だったのに、お互いに従姉妹同士だってことも知らなかったんです。
それがたまたま、法事で親戚が集まって、私のお祖父さんの許しが出てようやく顔を出すことができた伯父さんに連れられた先輩と顔を合わして、初めて義理とは言え従姉妹だって分かったんです。先輩は、伯父さんと再婚した人の連れ子でしたから。
なのに、私のお母さんはその席でまた伯父さんのことを罵りだして、『あんたの娘がいるって知ってたらあんな学校には通わせなかった!!』とか言い出して、私を転校させようとしたんです。その時にはイチコたちと友達になってたから、私は転校なんて絶対に嫌だって言いました。
でも、聞く耳も持ってくれなかった……。
けど、お祖父さんは私には甘かったからお祖父さんにそのことを告げ口して、お母さんを叱ってもらった上に、お父さんにも事情を話してお母さんを説得してもらいました。
それでもお母さんは、私が『転校する』って言い出すように仕向けようとそれからもしつこくあれこれ言ってきました。まあ最終的には、先輩が三年生で一年もしないうちに卒業していなくなるってことが分かって諦めたみたいですけど。
おかしいですよね。義理とは言え自分の姪に当たる女の子が自分の娘と同じ学校に通ってることも知らないとか。どんだけ居ないことにしたいんだろうって感じです。
こんな人を、どうやって親として尊敬したらいいんですか?。
こんな人でも、親だっていうだけで尊敬しないといけないんですか?。
親っていうだけで、人としてどう考えてもおかしいことをしてても何もかも許されるんですか?。
私はどうしても納得できません……」
田上さんの言うことは、僕としても『分かる!』っていう感じしかしなかった。僕の両親も、親として大人としてまったく尊敬できないどころか僕にとってはただの『加害者』だった。そんなのを親だからっていうだけで尊敬しろとか恩を感じろとか、そんなことを言える人は、人間の『心』とか『感情』といったものをまったく理解してない人だと思う。僕にはあの人たちを親として敬うなんてことはどうしてもできない。あんな『加害者』を敬えだなんて、どんな神経をしてたらそんなことが言えるのかってさえ思う。
それと同じことなんだろうな。
無条件に『親を敬え』なんて、そんなの、どうしようもない人でも親になったら子供に敬ってもらえるってことだよね?。どんなロクでなしの親でも、親だっていうだけで子供に恩を売れるってことだよね?。
僕は、そんなこと、どうしても納得できない。それができないようなのは人として最低だって言うのなら、最低でも構わない。むしろ、最低な人間でいい。
だからこそ、僕は、沙奈子や玲那に対して、そんな親でいたくないんだ。親だからっていうだけで『自分を敬え』なんて言ってしまえる人間でいたくないんだ。
でも、そういうことをまったく気にしない人もいるんだなっていうのも実感だった。どんなに人としておかしいことをしてても『自分を敬え』って思ってしまえる人もいるんだっていうのが分かってしまった。
ホントに、悲しいよ。
そういう人の子供に生まれてしまったことが苦しいよ。
この世界に神様とか仏様なんてのが本当にいるのなら、どうしてそんな人のところに僕たちを送り出したんだよって心底思う。
けれど僕はもう、実の親子とか血の繋がりとか、そんなのは実はまやかしなんだって実感できてしまった。
沙奈子とは一応、血の繋がりはあるけど実質的にはほとんど他人のように関わりなく暮らしてきたし、絵里奈や玲那はそれこそただの赤の他人だ。だけど、実の肉親以上にちゃんと家族として生きられてるって思う。
その事実の前には、実の親子とか血の繋がりとかに縛られる意味そのものが分からない。だったらいっそそんなのはまやかしだって開き直ってしまって、その家を出てから自分で家族らしい家族になれる相手を探した方がよっぽど前向きだって思える。
田上さんも、いずれはそういうことになるんだろうなっていう予感しかない。
だとしたら、今の家庭から巣立っていくまでの間に取り返しのつかないことにならないようにするのが一番確実なんだろうな。
玲那が、田上さんに応える。
「私は、あの人たちのことを両親だなんて思ってないよ。私にとってあの人たちはただの『加害者』だから。
私がそうしてるんだから、フミに対して『親を敬え』なんて言えない。
それにさ、子供に敬ってもらえないような人間なのは、その人自身の問題じゃん。子供が悪いわけじゃないでしょ?。子供が親をそんな風に育てたんじゃないんだからさ。
別にいいじゃない。親だってどうせ自分とは違う人間なんだからさ。血が繋がってたって同じ家で生活してたって、自分じゃない人間は結局は『他人』なんだよ。その人たちがどんな人間になるかなんて、どんな人間なのかなんて、子供の側からはどうしようもないんだよ。
尊敬できないような人を尊敬なんてしなくていいと私は思うよ。私だって、誰かから尊敬してもらえる人間じゃないしさ」




