五百十三 文編 「死ねばいいのに」
『やる時はやっちゃって。徹底的に』
星谷さんに向かってそう言った時の田上さんの顔は、むしろどこか嬉しそうにさえ見えた気がした。弟さんやご両親に対して裁判が起こされてそれに煩わされたり悩まされたりすることを喜んでさえ、歓迎してるようにさえ見えたんだ。
そこに、改めて田上さんの闇が見えた気もした。
ご両親を相手取って裁判が起こされるかもしれないという話を喜んでしまうくらい、田上さんには鬱憤が溜まってるってことなんだろうな。
正直言って、それはすごく残念なことだと思う。子供が、自分の家族が煩わされたり悩まされたりすることを望んでしまう家庭って、哀しいよ……。
だけど、この世の中って綺麗事だけで動いてるんじゃないっていうのは僕にとっての実感でもある。家族の愛で万事解決なんて、現実には滅多にないことなんだっていうのも分かる。それどころか、僕が中学とか高校の頃に星谷さんのような人に出会ってて、僕の両親を相手に裁判を起こしてくれたりしたらどんなにか嬉しかったかって思ってしまった。
僕はやっぱり、今でもそれだけ両親のことを恨んでるんだろうな。
水曜日は田上さんも落ち着いてる感じだったからすぐに終わり、木曜日の休日は朝から沙奈子と一緒にゆっくりと過ごした。勤労感謝の日ということだけど、いつも『お仕事ごくろうさま』って頬にキスしてもらったりと労ってもらえてるから今さら何かすることもない。
人形のドレスを黙々と作る沙奈子を膝に、僕はフリマサイトの品物の管理をしてる玲那の様子も見たりしつつ、まったりと時間が過ぎていくのを味わった。それがもう、僕にとっては一番の癒しだった。
夕方にはまた山仁さんのところに行って、田上さんの様子を確かめる。今日もまあまあ落ち着いてる感じだった。それでいて玲那に対しては弟さんのことで申し訳ないと恐縮してしまってるのが分かる。
「気にするなって言っても無理だろうからなるべく言わないようにはするつもりだけど、でもやっぱり気にしないでいいよ」
玲那にそう言われて「ありがとうございます」と頭を下げる姿がもう痛々しい。
金曜日もそんな感じで過ぎて、土曜日。今日はまた、洋裁用のあれこれを買出しに行くために洋裁専門店に行くことになった。
なので、バスじゃなく電車に乗る。
バスは毎週のように乗ってるから沙奈子も慣れてきたみたいだけど、電車はそう頻繁には乗らないからちょっと緊張してるのが分かる。
しかも、電車自体もさすがに紅葉シーズンに入ったこともあって、結構な込み具合だった。
「大丈夫?」
声を掛けると、僕を見上げて「大丈夫」ってしっかりした声で応えてくれた。その顔の位置がまた少し近くなった気がする。成長してるんだなっていうのを感じる瞬間だった。
少し前までは本当に僕に守られてるだけだったこの子が、自分の足で踏ん張って立ってる。大人に押されるとさすがに大変そうでも、すぐに潰れてしまう感じでもなくなってるのかな。
電車に乗ってる時間はほんの数分だったからっていうのもあるかもしれないけどさ。
駅に着いて改札を出ると、絵里奈と玲那が待っててくれた。先に玲那の買い物を済ませてたらしい。
『フリマサイトでの商品管理のお給料で、円盤買っちゃった』
玲那がそうメッセージを送ってきた後で嬉しそうに紙袋を掲げた。円盤って何のことか最初は分からなかったけど、アニメの映像ソフトのことなんだね。なるほど確かに円盤だ。
あと、『商品管理のお給料』っていうのは、当然、フリマサイトに出品してる商品の管理をしてくれた対価として、絵里奈が玲那に支払ったっていう形のお金のことだった。今はまだ、精々お小遣い程度の金額だけど、毎月確実に入ってくることでちょっとした買い物くらいならしてもいいかって気分になってきてるってことだった。
「でもあんまり調子に乗ってグッズとか増やすのは勘弁してよ。ただでさえ狭いんだから」
と、絵里奈が、旦那さんの趣味の買い物に注文を付ける奥さんみたいに言った。それに対して玲那が「ししし」って感じで笑う。
それから荷物はコインロッカーに預けて、少し早いけど先に昼食を済ましてから僕たちは洋裁専門店へと向かった。お店に着くと、今度は沙奈子と絵里奈が夢中になって店内を巡っては品物を手に取ってた。なんだか、玲那のこと言えないかもと思ってしまう。
二人が買い物をしてる間、僕と玲那は商店街の中の公園で待つことにした。すると玲那からメッセージが届く。
『フミのことだけどさ』
田上さんの話ということで、僕も少し姿勢を正す。
『私は弟くんのことはそんなに気にしないようにしてるけど、お父さん的には正直なところどうなの?。今なら沙奈子ちゃんもいないから本気の本音を確かめたいとこなんだけど』
そうか。そうだよな。今は二人きりなんだもんな。沙奈子の前ではできない話とかする機会だもんな。
「僕も、本音で言えば許せないって思う部分はある。だけどさ、やっぱり田上さんの弟くんは僕たちからしたら無関係な他人に限りなく近い存在なんだっていうのも実感なんだ。だからいちいち気にしても仕方ないかなっていうのもある」
『そっか。私と同じなんだね。でも安心した。お父さんも同じだって分かってさ。
確かにショックなのはショックなんだよ。身近な人の家族が自分をそんな風に思ってるのって。
けど、同時に、自分がそれだけのことをしちゃったんだなっていうのを改めて実感させられるんだ。
そういうのがないと、もしかすると私、自分が正しいことをしたんじゃないかって思ってしまいそうになるんだ。
実際、私が事件を起こしたことであの人の計画が頓挫したのも事実だし。
でも、あの時にはもう、あの人の病気はどうしようもないところまで進んでたんだよね。
裁判の中で、あの人たちがどれほど酷いことをしてるのかっていうのを出す中で、お互いに相手に対して『死ねばいいのに』って思ってたこともばらされちゃってたね。
ベランダが古くなって危なくなってるのを分かってて、事故が起こるのを期待して直さなかったりとか、
病気に気付いてて手遅れになるのを期待して何も言わなかったりとか。
ホント、何してんだろうって感じだよ。
あの人たちはホントに最低でどうしようもない人たちだった。だけどそんな人たちでも命を奪うっていうのは許されないことなんだよね。
よく、『目には目を、歯には歯を』って言うけどさ。それに当てはめるなら、あの人たちは私の命までは奪わなかったんだから、復讐するとしても命までは奪っちゃいけないんだ。それをしちゃったら、『目には目を、歯に歯を』じゃなくなっちゃう。
知ってる?、お父さん。ハムラビ法典って、実は復讐を禁じてる法律なんだって』
そうメッセージを送りながら僕を見る玲那の顔は、やっぱりとても穏やかなものなのだった。




