五百十一 文編 「罰を与える」
フィクションでなら、大抵、どちらか一方が悪く描かれることが多いと思う。
だけど、現実ではそんなこと、実は滅多にないんじゃないかな。
だから、イジメの問題なんかでは『イジメられる方にも原因がある』なんて話が出てくるんじゃないかな。
本当に完全にどちらかだけが悪くてどちらかだけが一方的な被害者だなんて、実際には通り魔事件に偶然巻き込まれるとか、赤ちゃんが虐待されるとかっていう事例だけなんじゃないかな。
だって、赤ちゃんじゃない、自分でしゃべって動くことができれば、ほんの幼い子供が折檻されて亡くなった事件でも、『親の言ったことを聞かないガキが悪いんだろ』って言うのが必ずいるよね。それはつまり、子供の方に折檻される原因があるって思ってるってことだよね。
子供の頃に虐待を受けてて、大人になってからその復讐をする形になった、玲那の事件と似たような事件でも、それを起こした方は玲那と同じような目に遭うんだ。
しかも、親が年老いてからようやく子供の頃にされたことの復讐を果たしたりした場合なんかは、それこそ『年老いた親を殺すような外道』として責められるっていう事例がほとんどだって思う。加害者がどれほど苦しんできて、それをずっと我慢してきて、とうとう耐え切れなくなって復讐することになったのかが分かったとしても、今度は『そんな昔のことをいつまでも根に持つなんて』って責めるんだろうな。
そうだよ。単純明快で、復讐される方が一方的に悪いと他人の目から見える復讐劇なんて、フィクションの中にしか存在しないんだ。現実での復讐劇は、復讐を果たした側も結局はただの犯罪者として無関係な他人から罵られて蔑まれて攻撃されるんだ。
それはつまり、みんな、どちらかだけが一方的に悪いわけじゃないって実は分かってるからじゃないのかな。
なのに、責める時にはどちらか一方だけを悪者に見立てて責めるんだ。
卑怯だよ。本当に卑怯すぎる。
僕たちはそれを知ってしまったから、誰かを一方的に悪者にして責めるっていうのができなくなってしまった。館雀さんのことにしたって、イチコさんに非はないと思っても、館雀さんがそういうことをせずにいられない何かがあったんだろうなっていうのを感じるから、ただ単に『お前が悪い』と責める気になれないんだ。
波多野さんのお兄さんの事件については、これはもう通り魔的な一方的な行為だから被害に遭った女性に何の責任もないと思う。だけどもし、被害者の女性が復讐の代わりとして波多野さんのお兄さんに対して損害賠償請求を起こしたりしたら、今度はその女性に対して『金目当てかよ』とかっていう誹謗中傷が集まる予感しかしない。それって、観客や視聴者的な立場でスカッとする復讐劇を期待してたのに、自分たちが期待してたような展開じゃないとか演出じゃないとかそういう理由でケチをつけてるんだろうなっていう気しかしないんだ。
それかと思うと、もし、被害者の女性が波多野さんのお兄さんを包丁で刺したりしたら、今度はまさしく自分たちが望んでた復讐劇が見られたってことで拍手喝采したりもするんだろうな。実に分かりやすい、波多野さんのお兄さんの側だけが一方的に悪い事件だから。それなのに、損害賠償請求という形をとったりしたら、自分たちが期待してた形じゃないってことで攻撃するんだろうな。
僕たちは、そんなことはしたくない。したくないから、田上さんの弟さんが玲那に対して酷いことを言ってたとしても、その仕返しや復讐をしようとは思わないんだ。罰を与えたり、折檻を加える気もないんだ。
火曜日。いつものように山仁さんのところに集まった時、田上さんが言った。
「玲那さんには、本当に申し訳ないと思います。あいつのやったことは許されないことだって思います。だから、私はあいつに何か罰を与えたいと思うんです。
どうしたらいいですか?。
どうしたらあいつは反省しますか?。
自分のやってることが間違ってるって気付きますか?
どうしたら玲那さんに許してもらえますか……?」
縋るような目でそう言った田上さんに、玲那は応えた。
「フミ。昨日も言ったけど、私は弟くんに対して仕返しも復讐もしないよ。だから私の方から罰を与えることもしない。罰っていうのは、本人が罰だと理解して納得して受けないと意味がないと思うんだ」
だけど田上さんは言う。
「でもそれじゃ、酷いことをした人間をそのままにしておくことになるじゃないですか!?。それでいいんですか!?。そんなのおかしいと私は思うんです…!!」
田上さんの言うことももっともだと思う。酷いことをした人間がそのままにされるなんておかしいことだって感じると思う。でも、それでも……。
「でもね、フミ。私が事件を起こしたことは事実なんだよ。それについて何を言われたって私はもう、仕方ないと思ってる。私はそれくらいやっちゃいけないことをしたんだよ……」
そう言った玲那は、ほんの少しだけ微笑んでるようにも見えた。すると田上さんは、激しく頭を振って、
「でもでも!、でも私は納得できないんです!。玲那さんに酷いことを言ったあいつが何の罰も受けないなんて……!!」
昨日も玲那と話をして、その時は納得してくれたようにも見えたけど、人間はそんな簡単には割り切れないんだっていうのを改めて感じた。昨日は、田上さんの弟さんに何か仕返ししたり復讐したりしても玲那がすっきりするわけじゃないってことを納得してくれただけなんだろうな。
そんな田上さんに、玲那はやっぱり穏やかな顔で言った。
「ありがとう、フミ。私のことでそんな風に怒ってくれるのはすごく嬉しいよ。だけどよく考えてほしいんだ。昨日も言ったけど、私自身は弟くんに対して何かしたってすっきりすることはないんだよ。許すも許さないもない。私が辛いのは、フミがそうやって苦しんでることだよ。
私に対して酷いことを言った弟くんが罰せられないことにフミが納得できないんだとしたら、じゃあ、私がどんな罰を弟くんに与えたらフミは納得してくれるの?」
「え…?。それは……」
「私が弟くんに対してどんな罰を与えたらフミのその苦しみが和らぐのか、教えてよ。
怒ったらいいの?。罵ったらいいの?。弟くんの胸倉を掴んで十発くらい往復ビンタでも食らわしたらフミは納得する?。私は別にそんなことしたくないんだけど、フミがそれで救われるっていうのなら、やってもいいよ……」
「…ダメ…!。ビンタとかダメです!。そんなことしたら玲那さんが……!!」
焦ったように田上さんはそう言った。彼女も気付いてしまったんだ。今の玲那が誰かをビンタとかしてもしそれが事件になってしまったらどうなるかっていうことをね。




