五百十 文編 「復讐劇という娯楽」
玲那が言った『仕返しとか復讐とか、そんなので本当にすっきりできるのって、当事者じゃない、傍から見てる無関係な第三者だけなんだ』って言葉、僕もそうだと思った。
『何も失ってないから、何も傷付いてないから、ムカつく相手が報いを受けただけで『あ~、スッキリ』ってできるんだ』っていうのも、まさしくその通りだと感じた。
僕も、両親が病気で次々亡くなって『罰が当たったんだ』とか『報いを受けたんだ』って思った時期もあった。でも、それで何かすっきりしたかと言ったら全然そんなことはなかった。あの人たちにされたことがそのまま残っただけで、僕自身は何も変われずに、ただ重しが取れただけでしかなかったと思う。
『だからどうした?』って言ったら、まさにその通りだった。これ以上あの人たちに煩わされずに済むっていうだけでしかなかった。
それだけでもぜんぜん違うと言えばそうなのかもしれない。状況は大きく変わったのかもしれない。でも変わったのは状況だけで、僕の苦しみそのものは何も報われてはいないんだ。
沙奈子と一緒にアパートに帰ると、絵里奈が言った。さっきは泣いてしまって言葉にならなかったから。
「私も、両親、特に実の母親に対してはいろんな思いがあります。仕返しできるものならしたい。復讐できるものならしたい。そんな風に思うこともあります。
でも、そんなことをしたって結局はまた別の苦しみを招くだけなんだって、玲那の事件で思い知りました。
仕返しや復讐を正当化するってことは、自分が受けた些細なことでさえ、仕返しや復讐をせずにいられなくなることだって思うんです。大きな苦しみだけじゃなく、ホントに些細な、ちょっとした苛立ちや嫌な気分についても、その原因になった相手へのそれを我慢できなくなることだって感じたんです。
だけど、他人をちょっと苛つかせたり嫌な気分にさせることって、誰にでもありますよね。自分が些細なことでの他人への仕返しや復讐を正当化するのなら、他人が同じ理由で自分へ仕返しや復讐することを認めなくちゃいけないと私も思うんです。
だってそうでしょう?。自分だけが一方的に仕返しや復讐するのを認めてもらえるなんて、そんな都合のいい話なんてないですよね?。
私が実の母に仕返しや復讐をするのを認めてもらうなら、私が自分でも気付かないうちに誰かを嫌な気分にさせたり傷付けたり苦しめてしまったりしてたら、それに対して同じようにされるのも当然ってことになってしまいますよね。
私は何一つ間違ったことをしない完璧な聖人じゃありません。その場の感情とかできついことを言ってしまったりすることがあります。
今、仕事で行ってる漬物屋さんでもそうです。私が何気なく言ったことで、アルバイトの女の子が泣き出してしまったことがありました。私が言ったことがその子に伝わってなくて品物の用意ができてなくて、それで私がつい、『この品物を出しておいてくださいって言いましたよね?』って言ってしまったんです。たぶん、その時の言い方がきつかったんでしょう。その女の子はその場で泣き出してしまって。
ほんの数ヶ月ですけど、私の方が彼女より先輩で、彼女からしてみれば私は『必要な指示をしっかり伝えてないのにそれを棚に上げてきついことを言う理不尽で嫌な先輩』だったんだと思います。それを理由に彼女が私に対して仕返しや復讐をしようと考えるかもしれません。仕返しや復讐を正当化するということは、そういうのも認めることだと思うんです。
自分がそういうことするのは認めてほしいけど、他人が自分に対して同じことをするのは認めないなんて、おかしいですよね。
私はそう思うから、自分が実の母親に対して抱いてる気持ちを抑えようと思えるんです。それに、玲那ほどの目に遭ってても復讐を実行したら他人からはただの『人殺し』にしか見えないっていうのも思い知りました。事情を知らない他人からしたら、『親に育ててもらった恩も忘れた鬼畜』ってことになるんですよね。それが現実なんだなって……。
ドラマや小説では、ちゃんと双方の事情が分かるし、大抵はどちらかが一方的に悪く描かれて、だからそういうのが盛り上がるんですよね。でも現実には当事者間であったことなんて他人からは分からない。だから『親に育ててもらった恩も忘れた鬼畜』に見えてしまうこともある。そういうものなんだって、玲那の事件が教えてくれました。
玲那の言うとおりです。『仕返しとか復讐とか、そんなので本当にすっきりできるのって、傍から見てる無関係な第三者だけ』なんです。復讐劇なんて、無関係で無責任な第三者にとっての娯楽でしかないんです。そんなことのためにさらに苦しむことになった玲那を見て、私は心底思い知りました。
だから田上さんがもしご両親に仕返しとか復讐を考えたりしたのなら、私はそれを止めたいです。そんなことをして彼女がもっと苦しむことになるのを見たくないですから」
その絵里奈の言葉に、僕も応える。
「それは僕もまったく同じ意見だよ。田上さんが今より苦しむことになるのが分かっててそのまま見過ごしたくない。家庭のことで辛くて苦しいのなら、僕たちの前でそれを吐き出してもらえればいい。泣いてもいいし、愚痴を並べてくれたっていいと思う。とにかく田上さん自身が何か問題を大きくするようなことをしてしまうのだけは避けたいと思うよ」
「そうですね。弟さんも、自分の家での不平不満を無関係な他人にぶつけることで晴らそうとするのは余計に状況を悪くするだけだっていうのに気付いてくれればいいんですけど……」
そこに玲那も加わる。
「だけど、それって自分で気付くのは難しいんだよね。しかも、そうやってる時に他人が『それじゃ駄目だ』って言っても聞く耳を持たない。だから私もあんなことになったんだしさ」
玲那の言葉は本当に一つ一つが重かった。実際にそうなってしまった本人の言葉だから。
僕たちはその話を、敢えて沙奈子が見ている前でした。今はまだ完全には理解できなくても、この時の僕たちの話がこの子の記憶に残って、何か、この子自身がそれに当てはまる状況になった時に思い出してくれてヒントにしてもらえればと思ったというのもあった。
そんな状況に陥ってほしくないっていうのは本音だけれど、人生っていうのはえてしてそういう状況に陥る時があると思う。と言うか、沙奈子もすでにそういう経験をしてきてるんだ。実の父親を始めとした大人たちに苦しめられてきた当事者なんだから。
この子がもし、いずれ実の父親と対面するようなことがあった時、それまでの恨みをぶつけてしまって取り返しのつかないことになってほしくない。
だから僕たちは、その時にこの子が自分はどうすればいいのかっていうのを示してあげたいんだ。




