五百一 文編 「家庭が壊れても」
田上さんの覚悟と言うか本音と言うか、『引導を渡してもらえた方がすっきりするかも』っていう言葉は僕にとってはショックなのもそうだけど、実は共感できてしまう部分もあった。僕もきっと、今の田上さんの立場だったら同じことを言った気がする。
子供が、『自分の家庭が壊れても構わない』なんて言ってしまえること自体が大きな不幸だって、僕も思う。
だけど、そう思ってしまえるんだ。『こんな家庭なんて壊れてしまえばいい』って。僕にとって両親との生活はそうだった。苦痛しかなかった。だったら壊れてしまっても何も惜しくないというのは正直な気持ちだったんだ。
それに比べて、沙奈子や絵里奈や玲那との家庭は、『絶対に失いたくない』って思えるものだった。この違いに、僕自身、驚いてしまってる。
どうしてここまで差が出てしまうんだろう。
それは結局、お互いに大切にしたいって思ってるのが伝わるからなんだろうな。僕も、沙奈子も、絵里奈も、玲那も、『自分だけが気分良くいられたらそれでいい』って思ってないからなんじゃないかな。
自分だけが気分良くいられたらいい。自分だけが幸せだったらいい。他人のことなんかどうでもいい。
そんな風に思って、自分が良い思いをするために嫌なことを他人に押し付けると、それを押し付けられた方も黙っていられなくなってやり返したりっていうことがある。だからイヤな思いをすることになる。
そうなんだ。自分だけが良い思いをしようとすれば、その所為でイヤな思いをさせられた誰かが黙っていない。それで結局は自分もイヤな思いをすることになるんだろうな。
けれど、相手が幸せになってくれることが自分にとっても幸せだって思えると、その人を幸せにしたいと思えるし、それで実際に幸せになってもらえたら自分も幸せになれるんだ。
僕はそれを、沙奈子や絵里奈や玲那や山仁さんたちから学んだ。その学んだことを活かしてるだけなんだ。
田上さんのご両親、特にお母さんもそれができればきっと満たされた気持ちにもなれそうなのに、こういうのってえてしてそれが必要な人ほどなかなか理解できないんだって感じる。僕の両親もそうだった。兄もそうだ。沙奈子を苦しめて捨てていくようなことをするから、こそこそと逃げ隠れしなきゃいけないような人生を送る羽目になる。沙奈子を幸せにしてあげてれば、大手を振って日の当たる場所で生きていられたはずなのに。
本当に愚か者だよ。あいつは。
そんな兄のことも、僕にはどうすることもできない。もし、どこかの公園とかで野垂れ死にそうになっていても助けてやることもできない。僕の手の届かない所へ行ってしまったから。
本音を言わせてもらえばいっそ野垂れ死んでてくれた方が沙奈子のためなんじゃないかってさえ思える。あいつが生きてて沙奈子に迷惑をかけるようなことをするかもと思うと許せないっていうのは偽らざる気持ちなんだ。
そんなことを思ってしまうくらい、僕は立派な人間じゃない。そんな僕が沙奈子や絵里奈や玲那に偉そうにできるはずがない。でもそれだからこそ沙奈子も絵里奈も玲那も僕のことを信じてくれてるんだろうなって思える。自分にできないことを押し付けたり、立派でもないのに立派そうなことを言ったりっていうのをしないようにしてるからなんじゃないかな。そしてそれは絵里奈や玲那も同じなんだ。だから僕は二人を信じられる。
僕たちは全員、人として大事な部分が大きく欠けた駄目な人間なんだ。でも自分が駄目な人間だと分かってて、それでもなお何とかしようと思うから、人として大切な何かを守ろうとするから、こうしてお互いに欠けた部分を支え合おうと思えるんだ。
当たり前のこととして。
僕たちはそうやって生きていく。そうやって小さな幸せを積み重ねて生きていく。それで十分なんだ。誰かを犠牲にして大きな幸せを掴みたいとは思わない。ほんの目先の、手の平に収まるくらいに小さな幸せでいいんだ。
きっと、田上さんも、イチコさんたちと一緒にそれを目指してるんだと思う。強引に何もかもを自分に都合よく作り変えて誰かを踏み台にしたり生贄にしたりして大きな幸せを掴むんじゃなく、毎日ちゃんと挨拶をしたら応えてくれるとか、微笑みかけたら自然と微笑み返してくれるとか、素直に『ありがとう』って言葉が出てくるとか、その程度のささやかな幸せを毎日積み重ねて過ごせればそれでいいと思ってるんじゃないかな。そのくらいだったら、今の状況でもそれほど無理なく手に入れられる幸せだと思うし。
夕食の後、山仁さんのところに行くと、また少し疲れたような顔をしてた。
「お金が足りない足りないって延々言ってくんの。だから言ってやったんだ。『だったら小遣い要らないからそれで何とかしたら!?』って。
そしたらなんて言ったと思う?。『子供に小遣いも渡さないなんてそんな体裁の悪いことできるわけないでしょ!』だって。
すごいよね。自分の体裁のために子供に小遣いを渡すんだって。私のことなんか何も考えてないの。お小遣いをあげたいからあげてるんじゃないの。『あげないと体裁が悪い』っていう、自分のためだけで文句言いながらやってんの。
ホント、意味分かんないよ」
だって。
家計のことで愚痴をこぼすお母さんに、『お小遣いは要らない』と言ってしまえる田上さんがすごいと思った。それで本当にお小遣いがなくなっても構わないっていう覚悟が見えた気がした。
でも、今の田上さんにしてみたら、お小遣いはそれほど大切なことじゃないんだろうな。毎日毎日こうしてみんなで集まっていられたらそれでいいんだろうな。ただそうなると、誕生日パーティーとかでカラオケボックスに行く時に困りそうだ。だとしても、そうなったらそうなったでイチコさんたちが助けてくれるんだろうな。ううん、僕が出してもいい。家庭の事情でもお小遣いが貰えないんだって考えたら納得できる。その程度のことくらいならしたいと思えるくらい、田上さんもいい子なんだ。
これがもし、館雀さんだったらそうは思えなかった気もする。普段から他人に悪態を吐いて傷付けようとする人に、そこまでしてあげたいとはなかなか思えないんじゃないかな。
それが、田上さんと館雀さんとの大きな違いなんだと改めて思った。
もちろん、田上さんだって完璧じゃない。こうやって家庭の愚痴をこぼしたりご両親に対する悪態を吐いてしまうこともある。でもいつもいつもそうじゃないし、そんな風にしてしまうことを良しとしてないのも分かるんだ。そんな彼女が愚痴や悪態を口にしてしまうというのは、それだけのことなんだって思える。
普段から悪態ばかり吐いてて『自分は不幸だ』とか思ってる人がいたら、それは自分が招いたことなんだと思うよ。




