五百 文編 「田上さんの覚悟」
星谷さんの真剣さとか言うか怖さを改めて感じた後は、いつも通りの僕と沙奈子と玲那の三人の時間を過ごした。
「ピカってホントにすごいよね。口だけじゃなくてそれを実行する行動力とそれに見合った力を持ってるんだから」
玲那が腕を組んでうんうんと頷きながらそんなことを言ってた。それは僕も感じてることだった。星谷さんは、本当に僕たちとは住んでる世界が違うっていうか、存在そのもののステージが違うっていう気さえする。彼女みたいな人と知り合えたっていうのがとにかく驚きだった。
その一方で、玲那だって普通じゃない経験をしてそれでもこんな風に明るく振る舞えるようになってるんだよ。星谷さんと話をしてた時の重苦しさなんてなかったみたいにケロッとしてる。それだけでも十分に普通じゃないって気がする。有り得ない苦しい境遇から這い上がることができたんだ。僕はそんな玲那を尊敬するよ。
だけどそんな僕に玲那が言う。
「でも、ピカも普通じゃないけど、お父さんだって十分に普通じゃないよ。私や絵里奈を受けとめられる人ってそうそういないと思う。お父さんが私と絵里奈を救ってくれたんだよ。沙奈子ちゃんだってお父さんが救ったんだよ。私たちにとっては、お父さんは世界一のお父さんだよ」
その玲那の言葉に、沙奈子も何度も頷いてた。
「私も、お父さんは世界一だと思う」
だって。
静かで淡々とした言い方だったけど、だからこそ真に迫ってる気もした。沙奈子が本心でそう思ってくれてるっていうのを感じた。そのことに僕も胸に何かが込み上げてしまう。
「ありがとう。だけど、僕が今の僕になれたのは、沙奈子や玲那や絵里奈のおかげなんだよ。三人がいなかったら僕はこんな風になれなかった。だから、僕の方こそ感謝してる」
これも僕の本心だった。
家族がお互いにこんな風に思い合えればきっと幸せになれるんだと思う。なのにどうしてそれができないんだろう。それができない家庭が多いんだろう。そんなに難しいことなのかなと、今の僕は思ってしまう。
だけど、分かってるんだ。僕だってずっとそんな家庭に育ってきた。だから、こんな家庭を築けるなんて物語の中にしかないと思ってた。どうすればいいのか知らなかったから。
知らないからできないんだ。
僕たちは知らないながらもそれを模索して、そして何とか上手くいっただけっていう面も間違いなくあるんじゃないかな。僕たちが優れてたとかそういうのじゃなくて、たぶん、たまたまなんだ。たまたま上手くいっただけなんだって気がする。
でも、上手くいったのはたまたまだったとしても、こうなれたからにはそれを大切にしていきたい。でないとそれこそすべてが無駄になってしまう。これまでの辛さや苦しさが報われなくなってしまう。それは嫌だ。お互いを大切にすることで今の幸せが守れるのなら、そうしない理由もない。
ただその一方で、僕の両親や玲那の両親みたいに、わざわざ自分から不幸を招こうとするような人もいる。そういう人たちだって、別に不幸になりたいと思ってるわけじゃないんだろうけど……。
波多野さんや田上さんのご両親だってそうだ。不幸になりたくてやってるんじゃないはずなんだ。なのに結果としては、波多野さんや田上さんが苦しんでる。
いったい、どうすればそれを変えることができるんだろう。
…いや、『変える』だなんて、おこがましいのか…。周りがいくらそういうのを押し付けようとしたって、本人が望まなきゃ反発するだけなんだろうな。僕だって反発すると思う。たぶん、実際にそういうのを毛嫌いしてきた。『こうすれば幸せになれますよ』っていう話なんて眉に唾して聞いてた。それが事実だ。自分がそうだったことを思い返せば、他人が押し付けようとしても駄目だっていうのも分かる。
そういう意味では、結局、成り行きを見守るしかないんだろうな。もし救えるとしても、手の届くところにいてくれる波多野さんや田上さんだけなんだ。ご両親がどんなに不幸になっていっても、僕たちにそれを止めることはできない。
それで言えば、千早ちゃんの場合はすごく上手くいってるって感じなのかもしれない。家事を一手に引き受けることで、千早ちゃんを中心に歯車が回り始めた。お互いに擦り付け合って噛み合わなかったものが、劇的に改善された。
これについては、千早ちゃん自身が、『家事という面倒を押し付けられた』と考えるんじゃなくて、『家族の中で私が一番上手にそれができる。すごいでしょ?』と考えて、しかもそれを星谷さんが認めてくれるから楽しんでそれができてるんだろうな。
だけど、波多野さんの家庭の場合はもうそんな段階じゃないし、田上さんのところの場合はお母さんがある意味では君主として君臨してすべてを掌握することで、誰の言葉にも耳を貸さない状態になってる感じなのか。
こうなると星谷さんでさえ迂闊なことはできないみたいだ。下手に干渉するとかえって意固地になって拗れさせることになるだろうから。あくまで本人が気付くことでしか変えられないってことか。実際、僕だって以前の自分のやり方じゃ駄目だったってことに気付けたから何とかしようと思えたんだし。
田上さんの弟さんについては、あくまで道を踏み外さないように見守る形だからまだ干渉のしようもあるらしい。もうちょっとした悪さの段階でも警察に入ってもらってそれがきちんと違法なことなんだっていうのを学んでもらうっていう方針なんだって。田上さん自身も、
『カナのお兄さんみたいなことをやらかす前に止めてもらえるんならそれでいいよ。本人が『違法なことをしたら法律で裁かれる』っていうのを実感しないと分からないだろうし……』
とまで言ってた。
ただそれも、かなりの荒療治ってことになるのかな。お父さんは、地方とは言えそれなりの立場の公務員だから、家族とは言え事件とかを起こしたとなれば影響は避けられないかもしれないし、そんなことになれば、お父さんのことをATMとか子供の前ででも平然と言うお母さんが我慢して家庭を守ろうとしてくれるかどうかも不安しかない。
それでも田上さんは言うんだ。
『今のままじゃどうせ、遅かれ早かれあの家庭は駄目になるよ。だったらいっそ、そうやって引導を渡してもらえた方がすっきりするかも。その結果、家族がバラバラになるとしても私は平気。未練もないから……』
その言葉がどこまで本気かは、田上さん自身にしか分からない気がする。たとえ本気だとしても、実際にそうなってみると辛くて仕方なくなるかもしれない。だけどもしそんなことになっても、彼女にはイチコさんも星谷さんも波多野さんもいるし、僕たちも力になろうと思うんだ。




