四百八十九 文編 「いつかという可能性」
でも、いくら事件を起こさないのが一番賢いと言っても、事件を起こして家族が苦しむことになっても構わないと思ってる人間には関係ない話だっていうのも分かる。
これも何度も何度も考えてることだけど、事件を起こすことでむしろ家族を苦しめてやろうって思ってるのもいそうな気がする。沙奈子が来る以前の僕ならそれこそやってしまいそうなことだった。
だからやっぱり、大切に思えない家族っていうのは本当にいろんな意味で損って言うか危ないと思うんだ。
頭ごなしにきつい言葉で罵ってくる人が好きっていう人はそんなにいないよね。ネタ的にそういうのが好きって言う人はいても、それはあくまでアニメの中とかでの話じゃないかな。リアルで親とかにそんな風にされるのが好きじゃないよね。
沙奈子と一緒に買い物とか行ってても、小さい子相手にきつい言葉で罵るみたいに命令してる人を見かけたりすると、あれっていずれ自分に返ってくるんだろうなって、見る度に思ってしまう。反抗期という形でもそうだけど、特に、歳を取ってからとかに。体が弱って子供に勝てなくなってからとかに。
歳を取った親に暴力をふるうとか、高齢者イジメとか、もしかしたら子供の頃にそうされたのを返してるんじゃないのかな。
正直、波多野さんや田上さんを見てても感じるんだ。ご両親に介護が必要になった時に、今の波多野さんや田上さんが進んで介護しようって気になれるかなって……。
イチコさんや星谷さんはできそうな気がする。親だから、育ててもらった恩があるからとかいう以上に、山仁さんが困ってたら力になりたいって素直に思える気がするんだ。星谷さんのご両親には会ったことはないけど、星谷さん自身がご両親のことを大切に想ってるっていうのは伝わってくるから、きっと見捨てたりしないって思える。
だけど、波多野さんや田上さんは……。
千早ちゃんのところでさえ微妙かな。今でこそ関係は良くなってきてても、これまでにされたことのわだかまりは、お母さんが認知症とかになってワガママを言ったり思い通りに動いてくれなくなったりした時に噴き出したりしてしまうかもって……。
歳を取ったお母さんを怒鳴ったり叩いたりしてる千早ちゃんを見たくはないな……。もちろん、波多野さんや田上さんだって、そんなことをしてほしくない。
そうなるとやっぱり、家族の関係が良いに越したことはないと思うんだ。
言葉が通じない赤ちゃんや、すぐには言ったとおりにできない小さな子と接するのと、認知症になったり体が不自由になって思うように動けなくなったお年寄りに接するのとは似てる気もする。だったら当然、自分の親がやったことを参考にしてしまうんじゃないかな。
しかも、赤ちゃんや小さな子は『可愛い』と思えて大変さを我慢できても、お年寄りは『可愛い』と思えるのかな。じゃあその時、『可愛い』とは別の、『好き』とか『大切な人』っていう気持ちが大変さを乗り越える力になるんじゃないかな。
頭ごなしに怒鳴りつけて、カッとなったからって叩いて、延々と小言を並べて、そういうことをしてた関係で、そんな風に思えるのかな。
僕には、想像できないんだ。僕の両親を献身的に支えてる僕自身の姿っていうのが。
これがもし、介護する相手が絵里奈や玲那だったらって思うと簡単に想像できる。助けたい、力になりたいって素直に思える。そんなことあって欲しくないけど、沙奈子が相手ならそれこそ僕の人生だって捧げて構わないって思える。実際にそこまでできるかどうかはまた別だとしても、ただ単に想像するだけでも、僕の両親に対してはできそうな気がしないのに、沙奈子や絵里奈や玲那に対しては想像できるんだ。もう、その時点で違ってしまってる。
これは本当に大きいんじゃないのかな。
人間って、好きでもない人のために耐え続けられるほど強くないから……。
幸せになりたければ、生きていて良かったと、生まれてきて良かったと思いたければ、自分が誰かを大切にするべきだって今なら思う。沙奈子を、絵里奈を、玲那を大切にすることが僕にとっての幸せだって、三人に出会うために生きてたんだと思えば、生まれてきたんだと思えば、素直にそう実感できるんだ。
イチコさんはそう思ってるのが分かる。大希くんもそう思ってるのが分かる。星谷さんも。千早ちゃんも。山仁さんも。最近の様子を見てれば波多野さんもそう思ってる気がする。
じゃあ、田上さんは?。
田上さんも、思ってるのかもしれない。そう思える瞬間もありそうだとは思えなくもない。ただ、館雀さんのことで怒ってたり、実の家族のことで愚痴ってたりする時の彼女からは、そういうのが感じ取れない。
それが本当に残念なんだ。
いつか、いつでもそう思えるようになってくれればって。大きなお世話かもしれなくても、そう思ってしまうんだ。
きっと、今、そんな風に思えるようになるために頑張ってるんだろうな。家族を変えてしまうことはできなくても、自分が変わることで気持ちの持ち方を変える。そのためにみんなと一緒にいるんだと思う。
『生きていて良かった』
『生まれてきて良かった』
そう思えないことは、本当に辛い。生きてること自体が苦痛でしかない。その苦痛を取り除くために僕たちは集まってるんだとも思ったりする。それを諦めてしまったら、それこそ何のために生まれてきたのか分からない。
僕は、沙奈子と出会ったことでそう思えるようになった。親に捨てられたあの子が、生きていて良かった、生まれてきて良かったって思えるようになってほしくて手探りでいろいろとしてる間に、僕自身が、生きていて良かった、生まれてきて良かったって思えるようになった。自分にとって大切に想える人がいるということがどれだけ自分を変えるのか、自分の状況を変えてしまうのか、身をもって実感した。
今はそう思えなくても、今はそんな風に思えるようなれるなんてことが有り得ると信じられなくても、この世の中には本当にいろんな可能性が転がってるんだって今は感じる。諦めさえしなければ、どこかに可能性は転がってるんだ。
その可能性を僕たちは掴めた。出会ったことはただの偶然でも、その偶然を活かすことで幸せを感じられるようにもなった。だから諦めないでほしいと思う。諦めてたら、僕は、沙奈子とも、絵里奈とも、玲那とも出会えてなかった。
家族に恵まれなくても、それまでの出会いには恵まれなくても、『いつか』という可能性はいつだって残されてるはずなんだ。
ただ、その時、気を付けないといけないのは、自分でその可能性を潰してしまうこと。
まさに館雀さんはその可能性の一つを自分で潰してしまったんだろうな。それでもいつか、彼女にもそういう出会いがあってほしいとも思えるんだ。




