四百八十二 文編 「抑止力」
運動会も無事に終わって日曜日。当然、千早ちゃんたちが料理をしに来る。
ただ、館雀さんの方はどうなのかな。と思っていたら、星谷さんが説明してくれた。
「今は自宅にいるようです。出掛ける様子はありませんね」
とのことだった。まだ監視を続けてるんだな。当たり前といったらそうかもしれないけど。
たぶん星谷さんのことだから単に監視してるだけじゃなくて、館雀さんについていろいろ調べてそうな気もする。と思っていたら、
「彼女について、分かったことがあります」
と不意に星谷さんが言い出したから、心を読まれたかとギョッとしてしまった。
もちろんそんなことはなくてただの偶然だったけど、とにかく話を聞いてみる。
「彼女は去年、母親の再婚で現在の住所に引っ越して来たようです。それに伴って中学も転校し、結果として私たちの通う高校に入学することになったようですね。
以前に通っていた学校関係者や彼女を知る人物の証言によると、昔から両親との関係はあまり良好ではなく、度々問題行動を起こして、それが原因でイジメを受けた時期もあるとのことです。
両親は、あまり親しくない人からはいわゆる『普通の人』であるという評価のようですが、その人となりを良く知る人物からの評判はあまり良くありませんね。一見すると人が良さそうにも見えながらも自分の都合を最優先し、何か気に入らないことがあると激高して声を荒げるということもあったようです。それが故に夫婦仲も良好とは言えず、互いに罵り合って諍いを起こす様子が、決して少なくない頻度で近所の住人の耳にも届いていたようです。
彼女の振る舞いは、両親のそういう部分の影響を色濃く受け継いだものと思われます。
PTA活動においても、委員を選出する際に母親が独自の理論を展開して委員に選ばれることを強引に回避し、それが他の保護者の不評を買い、保護者たちが子供の前で彼女の両親の愚痴をこぼしたことも彼女に対するイジメの原因の一つになったものと思われます。
彼女の両親の行いが彼女の振る舞いに影響を与え、他の保護者の反発を招き、その愚痴を耳にした児童が彼女を攻撃してイジメを行い、それによっていっそう彼女の言動も荒れる。まさに不幸の連鎖というものでしょう」
星谷さんの説明を聞いて、僕は悲しくなった。結局、館雀さんの両親も僕の両親と同じようなことをしていたというのが分かってしまって。
実は、PTA活動の件では僕にも似たような経験がある。僕の母親が委員に選ばれそうになった時に声を荒げてそれを拒否して、他のお母さん方の顰蹙を買って、そのお母さん方が子供にそのことを話したらしく、僕はクラスメイトの一部から執拗な嫌がらせを受けたことがあった。
PTA活動については、強制されるようなものじゃないのは確かにその通りだと思う。だけど、断るにしたって断り方というものがあると思うんだ。そこで声を荒げて身勝手な主張をして固辞するっていうのは、決して利口なやり方じゃない気がする。
もちろん、だからって他の保護者がその不平不満を自分の子供の前でぶちまけるのも大人気ないと思うし、それを理由にPTA活動を拒否した人の子供に嫌がらせをしたりイジメたりっていうのも間違ってると思う。結局、みんながみんなやってることがおかしいっていう話かもしれないけど。
そうやって不幸が連鎖していくんだろうな。
星谷さんの話を聞いてる間にお昼の用意ができて昼食にした。
夕方、また山仁さんの家に行くと、今日は田上さんも普通にしてた。館雀さんが来なかったからだった。
「は~、あの子が来ないと平和~」
ついそう言ってしまう田上さんの気持ちも分かりつつも、僕は少し悲しい気持ちにもなった。そういう風に言ってしまうのが結局はまたいろんな厄介事を招くんだろうなって思ったから。
その一方で、言いたくなるのも分かるから余計になんとも言えない気持ちにもなるんだろうな。
ただ、やっぱりどこかでその連鎖を断ち切らないといつまで経っても不幸が順送りされるだけなんだっていうのも感じるんだ。だから田上さんが館雀さんのことで感じてるストレスを緩和してあげることで、イライラしないようにしてあげられるっていうのもあると思う。この集まりは、そのためのものなんだ。
イチコさんが言う。
「フミも今のうちにリラックスしておけばいいよ。いつまでも引きずってたら損損」
って言われて、田上さんも、
「だよね~」
と笑ってた。
田上さんも分かってるんだろと思う。いつまでも館雀さんのすることに引きずられるのは自分が損だっていうのを。でも、人間だからそれを完全には割り切れないんだ。僕って館雀さんに対して不快に感じてしまうのはやめられない。それでいちいち不快になってること自体が損だと分かってても感情は切り捨てられない。それもまた人間なんだっていうのを忘れないでおきたいとも思う。
感情を切り捨てることが正しいと考えるのも極論にすぎると思うから。人間にはそんなことは無理なんじゃないかな。人間を辞めるくらいでない限りは。人間には感情があるっていうのを前提にした上でそれとどう折り合いをつけていくかっていうのを目指すのがむしろ合理的な考え方なんじゃないかって気がしてる。感情を否定するのはむしろ非合理的って気もするんだ。
そうでないと、玲那がなぜあんな事件を起こしてしまったことも理解できないって思うし。
館雀さんのやってることは決して好ましいことじゃないけど、どうしてあんなことをせずにいられないのかっていうのを考えるのをやめてしまったら、たぶん、僕たちは今の僕たちではいられなくなる。それを考えるからこそ、僕たちは僕たちでいられてるんだ。
そういうのさえ受けとめる努力をするからこそ、沙奈子や絵里奈や玲那のことを受けとめられるんだって思ってる。館雀さんを受けとめることを思ったら、沙奈子や絵里奈や玲那を受けとめるくらいなんてことないって感じられるし。
僕たちに館雀さんは救えないとしても、わざわざ彼女を追い詰めることはしたくない。彼女を追い詰めてストレスを与えてその結果、何かの事件になってしまったらそれこそ意味がないよ。
これから彼女がどうするつもりかは分からない。でも僕たちが彼女をどうこうするっていうのは思い上がりなんだろうな。
星谷さんも言う。
「館雀さんを社会的に抹殺することは決して難しくありません。彼女の今の父親が勤める会社は、私の父が役員を務める企業の関連会社ですから。父の伝手を使って圧力をかけることさえ可能です。
ですが、私にはそれが好ましい手段だとは思えません。彼女が行為をエスカレートさせるならそれを抑えるための方法としては選択の余地を残しつつも、ただ気に入らないからというだけの理由で圧力をかけるのは浅ましいことだと今の私は考えます」




