四百七十三 一弧編 「押し問答」
『なんか、すごい子だったね』
沙奈子を連れてアパートに帰った途端、玲那がそうメッセージを送ってきた。
「本当。でも、私が高校の時にもちょっと似た感じの子はいたかな」
絵里奈も何とも言えない顔でそう呟いてた。
僕も、いまだに圧倒されてる状態だった。何をどうすればあんな風になれるのかがまるで理解できなかった。
「大丈夫…?」
沙奈子が心配そうに聞いてくる。だから僕は「大丈夫」って笑顔を作りながら頭を撫でてあげた。この子に心配を懸けたくなかったから。
と言っても、僕たちはこの件に関しては傍観者の立場だと思う。下手に口を挟むとかえって話がややこしくなりそうだから、何も言わないでおこうと思った。
もちろん、館雀さんが暴力を振るおうとしたりすればその時は止めに入りたいとは思ってる。怖いけど。ただ、そんなことになったらそれこそ星谷さんが黙ってないような気もする。何しろ、さっきだって館雀さんに監視をつけてるとか言ってたし……。
探偵を使って監視させるとか、普通の女子高生はしないんじゃないかな。
そういう意味では僕が心配するまでもないとしても、目の前でああいうのが繰り広げられるというのはやっぱりいい気分のものじゃないなあ。
それと同時に、沙奈子を見て思ってしまった。館雀さんはどうしてあんな風になってしまったんだろう?って。誰が彼女をあんな風にしてしまったんだろうって。
これまでの僕の実感として、子供がどんな風に育つかというのは周囲の大人の影響だというのを強く感じてた。大人の振る舞いを見て子供はそれを真似するんだとしか思えなかった。沙奈子が今、こうして穏やかでいてくれてるのは、僕や絵里奈や玲那がそうあろうとしてるからだと思うんだ。僕たちが穏やかであろうとしてるのを真似してくれてるんだと思うんだ。
他人を罵ったり、蔑んだり、攻撃したりっていうのをしないでおこうという姿を真似してくれてるんじゃないかな。
だとしたら、館雀さんの身近にはあの感じの大人がいるということなんだろうか。一見しただけじゃ分からない、他人の前では隠してる、身近な人の前でふとした弾みに出てしまう本性の部分を真似してるのかなって思ってしまうんだ。
普段、そういうのを隠して立派そうなことを言ったり世間体を気にして上辺を整えたりしてるほど、時折見える本音とか本性とかって部分が目に付いてしまって、余計に見習ってしまうのかな。
僕の両親と兄のことを考えてみても、思い当たる部分がいくつもあった。
他人を見下してるところとか、他人を蔑ろにしてるところとか、変な形で上昇志向が強いところとか、兄は両親そっくりだった。そして、上昇志向が強いという部分は受け継がなかったかもしれないけど、他人を見下したり蔑ろにしたりっていう部分は少なからず僕にも引き継がれてしまってる。ただ、僕の場合は、そんな自分が嫌で、そういう風に他人を見てしまうのが嫌で関わらないようにしてたっていうのもあるんだろうな。
そんな部分も踏まえて、僕は自分を立派な人間だと見せかけないようにしてる気がする。立派な人間のふりをすればするほど、そうじゃない部分が際立ってしまう気もするし。
思えば、玲那が実のお父さんのことを『殺すしかない』っていう考えに囚われてしまったのも、実の両親がお互いに相手のことを『邪魔だから死ねばいい』みたいに思ってたのを受け継いでしまったからなのかも……。
だとしたら、本当に罪深いな……。
それに対して、イチコさんがあの感じで飄々としてるのって、それこそ山仁さんの姿そのままって感じだ。山仁さんも自分のことを立派な人間だと相手に思わせようとしてない。ただ自分が大切だと思うものを大切にしようとしてるだけだっていうのが伝わってくる。僕はそれを参考にしたいと思ってる。それがまさに今のイチコさんの姿なのかな。
そんな風に考えれば考えるほど、館雀さんのあれは誰を見習ったものなんだろうなって思ってしまう。相手を敬ったり尊重したりっていう気持ちがまるで見られないあの姿。
田上さんを怒らせて、波多野さんを呆れさせて、星谷さんに警戒させて何のメリットがあるんだろう。僕から見たらデメリットしかないそういうことをしないといけない理由がどこにあるんだろう。
館雀さんがもし、今の自分の状況に何か不平不満を感じてるとしたら、それは完全に彼女自身が招いたことのような気がする。普段からあんなことをしてたら、当然、イチコさんや星谷さんや波多野さんや田上さんみたいな人は近付いてきてくれないよ。親しくなってくれないよ。それはものすごく損なことなんじゃないかな。
水曜日。また今日も館雀さんが現れてた。
「だからどう責任を取ってくれるんですか!?」
僕が行った時には既に舌戦の真っ最中で、僕としては息をひそめて小さくなってるしかできなかった。
「うん、何度も言ってるけど、具体的な内容が分からないとどうすればいいのかが分かんないんだよね」
イチコさんはやっぱり平然とした感じで受け流してた。
「他人の手紙を勝手に見といてなんでそんな開き直れんの!?。どこまで頭おかしいの!?。やっぱり片親しかいないとこって常識ないんだね!!」
ああ…、どうしてそういうこと言うかなあ……。片親でも山仁さんは子供たちに対してはすごく誠実だと思うのに。そういうのをロクに見てないでなんでそんなこと言えるんだろう……。
僕がすごく残念な気持ちになってると、田上さんが館雀さんに噛み付いた。
「あんたいくらなんでもそれは失礼にも程があるでしょ!?。どんだけデリカシーがないのよ!?」
「はあ!?。他人の手紙を勝手に見る奴がデリカシーとか、どの面下げていってるんですか~!?」
「だからそれはあんたが手紙を間違えて入れたからだって言ってるでしょ!?」
「はい、またまた責任転嫁~。こんなのがラブレターとかもらえるわけないって普通の知能があれば分かるはずですぅ~」
って、他人の家に上がり込んでよくまあここまで好き勝手言えるものだなって逆に感心してしまいそうになる。
そんな僕の前で、イチコさんもさすがに困ったような笑顔になっていた。
「ラブレターがもらえる訳ないっていうのはその通りだけど、だからって中身も確認しないで捨てたりはできないかな~」
困ったような顔をしながらも、それでも冷静だった。感情的になってる相手に感情的になって返しても話が進まないのは田上さんと館雀さんのやり取りを見てても分かるにしても、すごいなあ。
それに、自分の子供が目の前で罵られてるのに、それどころか片親だってことで自分のことも馬鹿にされてるはずなのに、山仁さんはただ苦笑いを浮かべてるだけなのだった。




