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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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四百六十九 一弧編 「小さな幸せ」

沙奈子が部屋に来て打ち解けるまでは、僕は自分が生まれてきて良かったなんて思ったことがなかった気がする。少なくとも記憶にある限りはほぼないと思う。


玲那も、絵里奈や香保里さんと出会うまではそうだったらしい。それどころか、生まれてこなければよかったと何度も思ったそうだった。その気持ちは、僕にも分かる気がする。僕程度の境遇で生まれてきたことを喜べなかったんだ。それよりもずっと辛い目に遭ってきた玲那がそんな風に思ってしまってても無理はないんじゃないかな。


そんな玲那が、『生まれてきて良かったって今は思うよ』って言ってくれるんだ。


どんなに辛い境遇にあったとしても、それが大きく変わって温かい穏やかさに包まれるようになれば、『生まれてきて良かった』って思えることもあるって気がする。少なくとも僕たちはそう思えてる。だから今は辛い境遇にいる人も諦めないでほしいなとは思ってしまう。


でも同時に、誰もが救われる訳じゃないってことも分かってるんだ。


僕の両親や、玲那の両親みたいに……。


あの人たちだって、別に不幸になりたくて生まれてきた訳じゃないはずなんだ。それなのに、何故かそれぞれとても幸せだったとは思えない最期を迎えることになった。


自業自得という部分も確かにあったんだろうな。わざわざ自分から不幸になりに行ったっていう面も間違いなくあった気がする。けどそれも、もしかしたらほんのちょっとした成り行きの違いで全く変わってたかもしれないと思うんだ。


だけど、あの人たちには最後までそれは訪れることはなかった。


それも結局、自らが招いたことだっていう部分もあった気はする。僕にとっての塚崎つかざきさんや山仁やまひとさんみたいな存在がすぐ傍にいたことだってあったかもしれない。けれどあの人たちはそれを受け入れようとしなかったんだろうな。自分の考え方とは合わなかったから。


残念なことだと思う。そこでほんの少し考え方を変えることができてたら、全く違った未来があったかもしれないのに……。


それをたまたま掴むことができた僕や玲那は、運が良かったってことなんだろうか。


いや、やっぱり運だけじゃない気もする。自分の選択もあるはずなんだ。そこでその選択をできなかったことが、あの人たちの人生を決めてしまった。まあ、病気については選択とは関係ないのかもしれないけど。


ただ少なくとも、自分の子供に死を悼んでももらえないなんていう末路ではなかったかも。


僕は沙奈子に悼んでもらえるだろうか?。それは分からない。そもそも僕は、自分の死を沙奈子に悼んでもらいたくてあの子を大切にしてるわけじゃない。あくまで僕自身が納得したいからそうしてるだけなんだって思ってる。あの子に笑顔でいてほしいから。


そういう風に考えると、自分のやったことが自分に返ってくるだけなのか。自分の子供を大切にしなかったことが、そのまま僕の両親や玲那の両親に返ってきてしまった。自分の子供だけじゃなく、自分以外の誰かを大切にしようとしなかったことで、自分も大切にされなかった。


『情けは人の為ならず』という言葉がまた頭をよぎる。何度も考えたことだけど、やっぱりその結論に戻ってきてしまうのかな。


自分が幸せになりたかったら、誰かを幸せにしようとしないといけないということかな。いくら幸せになりたくても、誰かを苦しめてたら結局それは自分に返ってきてしまうということなのかな。


誰かを罵れば、自分も誰かに罵られる。それはとても幸せなことじゃない気がする。誰かの存在を否定すれば、自分も誰かから存在を否定される。


人を殺したりするのって、まさに究極の『存在の否定』なのかもしれない。だから人を殺したりすれば自分の存在そのものも否定される。『こんな奴は死ねばいい』って思われる。パニックになってしまってほとんど無意識に実の父親を刺してしまった玲那でさえ、『自分の親を殺そうとするような奴は死ねばいい』って思われる。


そんなことをしてて幸せになんてなれるはずがない。現に、玲那はそれで苦しんでる。何人もの人に支えられて幸せを感じつつも、でも、見方を変えれば殺人未遂の犯人として世間から白い目で見られるっていう大きな不幸の中にいる。


そうだ。大きな不幸の中で小さな幸せを積み重ねてるだけなんだ。あんな事件を起こしてなかったら、もっと素直に幸せを感じられる中にいられたはずなのに。それがすごく悔やまれる。


ただ、大きな不幸の中にいたとしても、そこで小さな幸せを積み重ねることができるのは、とても恵まれてる気もする。僕の両親はそんな感じの小さな幸せさえ掴むことができなかったとしか見えないし。


だから僕は何度も自分に言い聞かせる。たとえ大きな不幸の中にいたとしても、小さな幸せを自分たちで作り出すことを諦めないって。誰かが幸せにしてくれるのを待つんじゃなくて、自分たちで確かな幸せを作り出していくんだって。


他人からは惨めで無価値な人生に見えていたとしても関係ない。他人からは見えないような小さな幸せでも、そこにいる僕たちにとって確かな実感があるものであればいい。それを毎日毎日積み重ねて、一日一日を笑顔で過ごしていく。得体の知れない漠然とした大きな幸せなんて僕たちには縁がなくても、手の平に収まるくらいにちっぽけな幸せなら毎日確実に手に入れられる。お互いを大切にすることで。それで十分。


他人からは幸せそうに見えてても実際にはそうじゃないことも少なくない気がする。だったら他人から幸せそうに見えるのなんて別に要らない。地位とか名声とか財産とか、『他人からは幸せそうに見えるもの』なんて必須じゃない。他人からそう見えててほしいということに僕たちは幸せを感じない。何を幸せと感じるか、その部分で一致するから僕たちは集まった。その部分で噛み合う者同士で集まった。


僕たちの感じる幸せじゃ満足できないという人たちは、そういう人たち同士で集まればいいと思う。自分の思う幸せを押し付けないでいてくれるなら僕たちの方からも口を出したりしない。その結果がどうなったとしても。価値観の合わない人まで助けられるほどの力は僕たちにはないから。


『世界中のみんなで幸せになりましょう』なんて言えない。そんな力は持ってない。自分自身と自分の手の届く範囲内の限られた相手だけを支えることができる小さな小さなコミュニティ。


だけど、この小さなコミュニティをそれぞれで作れれば、大きな不幸の中でも小さくて確かな幸せを掴めるのになとは、どうしても思ってしまうんだ。


でもそれは、小さな幸せで満足できる人にしか届かない。大きな幸せを掴まないと幸せだとは感じられない人には届かない。


それもまた現実なんだって、沙奈子や絵里奈や玲那の笑顔を見るからこそ思ってしまうんだ。



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