四百五十九 一弧編 「玲那の涙」
日曜日。今日は千早ちゃんたちは来ない。星谷さんと波多野さんと田上さんの四人で、僕たちも行ったあの旅館に日帰りでお風呂に入りに行くから。
山仁さんとイチコさんと大希くんは、お墓参りだ。
『千早ちゃんが来ないと、なんか変な感じだね』
お昼前、いつもなら千早ちゃんたちが来て料理を作ってるところなのにそれがないから、玲那がそうメッセージを送ってきた。
「ほんとだね」
僕が応えると、沙奈子も頷いてた。本当に、ほとんど毎週必ずと言っていいほどにあったそれがないとなると、すごく不思議だ。時間の経過にメリハリがなくて違和感が半端ない。完全に日常の一部になってたんだなっていうのを実感する。
僕たちは基本的に、同じことの繰り返しが苦痛にならないタイプなんだって分かる。同じことを繰り返すのが苦手な人には分からないかもしれないけど、変化がないことが安心感なんだ。
沙奈子のドレス作りも玲那の管理作業も、何となく捗らない印象もあった。千早ちゃんたちが来るまでにある程度進めておかないとっていうのが集中力を上げてくれてたのかもしれない。
いつもより早めに午後の勉強を終わらせた時点で、沙奈子と一緒に買い物に行く。ちょっと気持ちを切り替えようと思ったんだ。
買い物は何事もなく終えられたけど、部屋に戻ると玲那が待ち構えてたみたいにメッセージを送ってきた。
『この前の香保理の夢の話だけどさ』
ああ、あの別の世界の香保理さんと夢の中で会ったっていう話のことかとピンときた。しかも、画面の中で伏し目がちな様子に僕は姿勢を正す。
『この前は受け止められてるって言ったけど、でもやっぱり、こっちの香保理が私と出会ったから死んだんだって思うと今でもたまらない気分になるんだ。
だからしばらくの間、それを思い出して泣いちゃったりするかも知れないけど、お父さんは呆れたりしないでいてくれるよね』
そのメッセージに、僕はすぐ応えた。
「もちろんだよ。僕だって同じだ。今でもそんな風には考えたくないって思う。だけど僕は、玲那が夢の中で会ったっていう香保理さんの言葉を信じたい。『玲那を救えて満足だったと思う』っていうのを信じたい。玲那の中にいる香保理さんを信じたい」
玲那の夢に出てきた香保理さんというのは、きっと、玲那の中にいる香保理さんなんだろうなって僕は思う。別の世界と話ができるとかっていうのはさすがにどうかなとは思ってしまう。自分が救われたくて自分の中のその人にそんな風に言わせてしまうというのもあるのかもしれない。でも、それは生きていくためには必要なことだとも思うんだ。
人間は誰でも身勝手でどうしようもない一面を持つのかもしれない。亡くなった人をいいように利用しようとしてしまうことだってあるのかもしれない。だけどそういう綺麗事じゃない部分があるのが人間ってものなんじゃないかな。
僕はどのみち、立派で清らかな人間じゃない。自分の親が死んでも『清々した』と思ってしまうような、薄情で冷酷で薄汚い人間だ。だから玲那が香保理さんが亡くなったことの苦しみを少しでも紛らわせようとして夢の中に登場させてしまうことを非難できるような立場にないことは承知してる。
『ありがとう、お父さん……』
そうメッセージを送りながら、玲那は泣いていた。ぽろぽろと涙をこぼしながら唇をかみしめていた。僕と沙奈子が買い物に出てる間にいろいろ考えてしまったんだろうなって思った。もちろん買い物に出てる間もメッセージアプリは繋いだままにしておいた。それでも、こうして顔を合わせて話をしてなかったことで、香保理さんのことを思い出してしまったんだろうな。
去年は、絵里奈の方が取り乱してる感じだった。でもそれは、絵里奈が先に取り乱してしまったことで玲那は落ち着かざるを得なくなっただけなのかもとも思う。本当はこんな風に泣きたかったんだろうなって気もする。
「玲那…、泣きたいときは泣いたらいいよ。思いっきり泣いて、気の済むまで泣いて、それから次のことを考えたらいい。僕はいつまででも待ってるから……」
僕の言葉に、沙奈子が続いた。
「お姉ちゃん。私も待ってる。お姉ちゃんが元気になれるまで待ってる……」
それが限界らしかった。沙奈子にそう言われて、玲那は『はぁあぁぁぁ…!』って大きな口を開けて泣き出した。もう、泣き声さえ普通に出せないことを思い知らされる、ただ空気が漏れるだけの音だったけど……。
いくら平気そうに見えても、受け止められてるように見えても、何かのはずみで苦しさや悲しさや辛さがぶり返してしまうこともあると思う。そういうことを何度も繰り返しながら、少しずつ本当に受け止められるようになっていくんじゃないかな。
『いつまでもめそめそするな』とか『過ぎたことは忘れろ』とか言う人もいるかもしれなくても、僕はそれは言いたくない。自分の中で納得いくまで、涙も出なくなるまでしっかり泣いて、そうしてようやく一歩を踏み出せるんだろうなって今では思うから。中途半端で我慢するから、いつまでも踏ん切りがつかなくて引きずるんじゃないかなって今では思うから。
玲那。僕の可愛い大切な娘。傍にいて抱き締めてあげられないことは僕にとっても辛いことだけど、そうやって僕の前で素直に泣けるようになったことが嬉しいよ……。
十分ほどそうやって泣いて、玲那はようやく落ち着いたみたいだった。タオルで顔を拭きながら、「えへへ」って感じで照れくさそうに笑った。
『お父さんの言うとおり、泣きたいときは思いっきり泣くのがいいみたいだね。何だかすっきりした。
沙奈子ちゃんもありがとう。沙奈子ちゃんと家族になれて本当に良かった』
そのメッセージを受け取った沙奈子の目にも、涙が光ってた。
そうこうしてるところに絵里奈が帰ってきて、
「玲那!、どうしたの!?」
って、泣きはらした顔を見て驚いたみたいに声を上げた。事情を話すと、
「そう…、それは辛かったね……」
と、僕の代わりに玲那をそっと抱きしめてくれた。僕が言わなくてもそんな風にしてくれる絵里奈がすごく頼もしくも思えた。
そうだ。僕たちは家族でこうやって補い合いながら生きていくんだ。自分にできないことは素直に頼って、でもいつかは自分でそれができるように努力するんだ。それが僕たちにとっての『家族』っていうものなんだ。
去年は、玲那が絵里奈を支えてた。今年は、絵里奈が玲那を支える。そうやってお互いに支え合ってきたんだっていうのがよく分かる。そこに、今では僕と沙奈子も加わった。それを十分に活かしていきたい。
もし、完全に玲那を一人きりにしてたら、何が起こるか分からないっていう不安もある。あの子にはまだそういう危うさが残ってる。だから僕たちはちゃんとあの子の危うい部分もしっかりと見守っていきたいんだ。
だって、家族なんだから。




