四百五十五 一弧編 「誕生日と命日と」
『私のために怒ってくれたんだよね』
泣きはらした顔の玲那がそんなメッセージを送りながらふわっと笑ったことで、僕はますます戸惑ってしまってた。そこにさらにメッセージが届く。
『私も思ったんだ。それじゃ、こっちの香保理は私と出会ったから死んだみたいじゃないかって。
でもね、夢の中の香保理は言ってくれたんだよ。『あなたを救えたことでそっちの私は満足したと思う』って。『だから笑ってほしい』って。
もしかしたらそれは、私が都合よく香保理の気持ちを想像してしまってるだけかもしれない。
ううん。たぶんそうなんだと思う。
だけど、こうも思うんだ。私の知ってる香保理は、そういう人だったなって。香保理なら言いそうって。
お父さん。こんなこと思う私って、勝手な奴なのかな』
…玲那……。
僕は、玲那を真っ直ぐに見詰めてた。それで気付いてしまった。玲那自身が、自分がいたせいで香保理さんが亡くなってしまったのかもしれないって思ってしまって泣いたんだってことに。だから、僕が改めてそれを言うのは意味がないってことに。
「玲那は…、それで納得できたのかな……?」
僕の問い掛けに、彼女は静かに首を横に振った。
『納得なんてできないよ。そんな形で香保理が死んだことを納得したくない。
でも、そうだったのかなって思うことはできそう』
「そうか…。玲那がそう思えるんなら、僕もそれでいいよ。自分で受け止めることはできてるんだね?」
念の為に尋ねた僕に、玲那はしっかりと頷いてくれたのだった。
その一部始終を見てた沙奈子も、玲那の真似をするみたいに大きく頷いてた。玲那が受けとめたことを、この子も受け止めようとしてるのかなと感じた。
「じゃあ、香保理さんによろしくね」
そう言って、僕たちは改めて朝の用意をしたんだ。
玲那は落ち着いてたみたいだったけどさすがにその後も気になって、休憩時間ごとにスマホで玲那と連絡を取り合った。昼休憩中なんてそれこそずっと。だけど、あの子はすっかりいつもの感じに戻ってて、
『お父さん、娘に甘すぎ~。でもそれは絵里奈も同じだけどさ。
だけどおかげで私、二人に愛されてるんだなって思えるよ。お父さん、お母さん、ありがとうって』
なんてメッセージまで送ってきてた。
けれど、そのおかげで僕も安心できた。
ネットとかって良くない面も確かにあるけど、こうやっていつでもやり取りできるようになったことはすごく助かるって思う。きちんとそういう形で活かしていければ、きっと良い面も増えていくんじゃないかな。
分かってるんだ。ネットを使って玲那を攻撃してる人たちも確かにいる。でもそれと同時に、秋嶋さんたちみたいに玲那を守ろうとしてくれる人もいるし、何よりビデオ通話みたいなのができるっていうのはネットがあるからなんだからさ。ちゃんと道具として上手く使っていければ便利なものなんだよ。
午後からも休憩時間ごとに連絡を取り合う。仕事が終わってすぐに連絡を取ってみたら、絵里奈と一緒に香保理さんのお墓参りに行ってこれから帰るところだって写真付きでメッセージが送られてきた。まるで三人で並んでスナップ写真を撮るみたいに香保理さんのお墓を間に挟んだその写真は、人によっては不謹慎だと怒るかもしれないものでも、玲那にとっては必要なものだったんだとも僕は感じた。
香保理さん。僕はあなたに会ったことはないけど、絵里奈と玲那がここまで大切に想ってるってことで、あなたの人となりが分かる気がします。あなたはきっとすごく大きな器を持った素敵な人だったんでしょうね。あなたが大切にしてきた絵里奈と玲那を、僕も大切にしていきます。ですから見守っていてくださいね、香保理さん……。
玲那が送ってきたスマホの中の写真を見ながら、僕は心の中でそう香保理さんに話し掛けていたのだった。
亡くなった人にそんな風にいくら話しかけても届かないことは分かってる。亡くなった人は何もしないし何もできないからこそ、生きてるってことに意味があるんだっていうのも分かってる。だけど、僕たちが生きていくうえでそういう風に亡くなった人と心の中でやり取りするっていうのも必要なことなんだって今では思うんだ。それもまた、亡くなった人を悼むことになるんじゃないかな。そうやって亡くなった人のことを思い出すっていうのが、その人が生きていた証拠になるって気がする。
香保理さんは確かに生きていたんだ。そして絵里奈や玲那の中でそれぞれの香保理さんとして今も生きてて、それが今度は僕の中でも、僕の中の香保理さんとして生きていくことになる。たとえそれが、生きている僕たちの単なる気休めに過ぎなくても、香保理さんが生きていたからこそそう思えるっていうのも事実のはずなんだ。
たぶん、こうやって命が繋がっていくっていうのもあるんじゃないかって気がする。
山仁さんのところに行って、田上さんに「おめでとう」って言った。「ありがとうございます」って嬉しそうに笑いながら返してくれたその表情に、命を感じた。
毎日が、誰かが生まれた日であり、誰かが亡くなった日でもある。その中に僕が生まれた日もあり、沙奈子が生まれた日もあり、絵里奈が生まれた日もあり、玲那が生まれた日もある。
それと同時に、香保理さんが亡くなった日もあり、イチコさんのお母さんが亡くなった日もあり、僕の両親が亡くなった日もあり、玲那の両親が亡くなった日もあり、英田さんのお子さんが亡くなった日もある。そう思うと、ほんの少しだけ、僕の両親のことも気になってしまったりした。今はまだ割り切れないけど、今の状況が落ち着いたら、一度両親を参ってもいいかもしれないって思った。
両親が亡くなった時、僕はとてもお墓の管理とかする気になれなかったし、兄は行方も知れないしでお墓が放置される可能性が高いことは分かってたから、永代供養という形でお寺にお任せすることになった。正直、当時はそこまでするだけでも僕自身にとってはかなりの負担になった。金銭的には両親のなけなしの遺産で補填することになったけど、相続の手続きをすること自体が苦痛で、何度も放っておこうかと思ったりもした。あの両親のことで手を煩わされるのが心の底から嫌だったんだ。
あの家では、僕はペット以下の存在だったから。両親にとって僕は、勝手に住み着いた野良猫みたいなものだったから。育ててもらった実感なんかまるでない。僕が熱を出して寝込んでても、申しわけ程度に薬と水とスポーツドリンクを枕元にお供えみたいにして置くだけだったから。我ながらよく生きてたとさえ思う。
そんな両親のためにどうして僕がこんな手を煩わされなきゃいけないんだって思ってた。
でも今は、ほんの少しだけ、両親に感謝してないこともない。だってこうして生まれてこれたからこそ、沙奈子と、絵里奈と、玲那に出会えたんだから。
それは間違いなく事実なんだからさ。




