四百五十三 一弧編 「新たな予約」
『でもね~、美穂ってば、佐久瀬さんと付き合ってるんだよ~。びっくりだよね~』
と玲那からのメッセージが。
佐久瀬さん…?。佐久瀬…、佐久瀬…、って、…あ!?。
「ひょっとしてカメラの人…!?」
「はい、ごめんなさい…!」
思わず声を上げた僕に、木咲美穂さんが小さくなって頭を下げた。
「あ、いや、別に木咲さんが謝ることじゃないから…!」
と、逆に僕も慌ててしまう。
そう、佐久瀬さんっていうのは、以前、僕の部屋に向けて監視カメラを設置した、うちのアパートの住人の一人だった。本人からも一応、直接正式に謝罪はしてもらってるけど、今でもあんまり気分は良くないっていうのは正直なところかな。
ただ、それはあくまで僕個人の気分の問題なんだっていうのも分かってるんだ。佐久瀬さんも勇気を出して謝罪してくれた。それに、玲那の事件の時にはすごくお世話にもなった。そして何より、もうカメラを仕掛けたりとかしてない。ちゃんと自分のやったことを反省してくれてるんだっていうのは頭では分かってる。でも何となくわだかまりは消えてくれないっていうだけなんだ。
実際に実害もなくなってるのに単に気分だけで悪く言うのは恥ずかしいことだと僕は思ってる。沙奈子にそんな真似をしてほしくないから口には出さないようにしてる。
だから、佐久瀬さんと付き合ってるっていう木咲さんに対してもあれこれ言うつもりもなかった。そういうのをちゃんと分けて考えられる姿を沙奈子の前で示したい。
それに何より、木咲さんはとてもいい人だし。
玲那が事件を起こしたことで、離れていった友達も何人もいたっていう。その中には、玲那の写真とかを晒したと思われてる人もいるらしい。その人しか持ってない筈の写真がアップされてたらしいから。そういった人たちが去った後で残ったのが、木咲さんをはじめとした今の友達なんだって。
そんな風にして残ってくれた友達がいただけで玲那は十分らしかった。写真が晒された件にしても、あくまで『そうかも』っていうだけの話だから今さら蒸し返すつもりもない。そして玲那がそう思うなら、異論を述べる気は僕にはない。
しかも木咲さんと佐久瀬さんはとてもうまくいってるって話だった。すごく波長が合って、ずっと昔から付き合ってたみたいな自然さがあるって。それって、僕が絵里奈に対して感じてるのと同じようなものなのかな。だとしたら、幸せになってほしいな。
なんてことを僕が思ってると、フリマサイトに出品してもらうために持ってきた人形のドレスを袋から出して、玲那が木咲さんに見せていた。
「すごい!。写真とかは見せてもらってたけど、実物を見たらもっとすごいね。これ、沙奈子ちゃんが作ったんでしょ?。もう市販品って言われても疑わないよ!」
興奮して声を上げる木咲さんの様子に、沙奈子は恥ずかしそうに俯き気味で頬が赤くなってた。でも悪い気はしてないんだろうなっていうのも感じる。
こうして、玲那がいろんな人たちに支えられてるんだっていうのを改めて実感しつつ、僕たちは、ゆったりのんびりした時間を過ごすことができたのだった。
「すごく良かったです。お客さん、たくさん来てくれるといいですね」
帰り際、僕は改めて女将さんにそう言ってた。正直な気持ちだった。とは言っても、それで本当にお客さんが来るかどうかは僕たちには分からない。分からないけど、ほんとにたまにしか来られないと思うけど、また来たいっていうのもウソじゃないから、沙奈子も気に入ったみたいだから、これからも続いていってほしいなっていうのも本音なんだ。
女将さんと木咲さんに見送ってもらって旅館を出て、バス停へと歩く。
「やっぱりいいですね。あの感じ、私は好きです」
絵里奈がしみじみと言う。すると沙奈子が、
「私も好き」
って絵里奈を見上げながら言った。その姿がまた微笑ましくて僕は頬が緩んでしまう。
バスを待つ間も、
『月一回くらいは行きたいんだけどね~』
と玲那がメッセージを送ってくる。
僕もそう思う。ただ、収入がね。
なんて苦笑いをしてる間にバスが来て、絵里奈と玲那が先にそれに乗っていった。もちろん、その前に絵里奈とキスを交わしたけど。すっかり当たり前にできるようになったなあ。
帰りのバスの中で、沙奈子は僕の体にもたれて目を瞑ってた。最近、こうやって帰りのバスの中で目を瞑ってても実際には寝てないことが多くなってきた気がする。出掛けたりすることに慣れてきたのかなって気もした。
今でも酔い止めは飲んでもらってるものの気分悪そうにしてることもなくなってきたかな。単純に薬が良く効いてるだけかもだけどね。
それにしても、自分がこんな風にして旅館を利用することになるとかっていうのも、やっぱり不思議だなあ。
日曜日。今日はいつものように千早ちゃんたちが来て、肉じゃがを作ってた。
その間、星谷さんと話をする。
「実は昨日、家族で旅館に行ってたんです。日帰りの入浴プランってことで。沙奈子も気に入ってくれたんですけど、その旅館も集客には苦労してるみたいで。難しいですね」
「そうですね。両親を見ていても経営というのは一筋縄でいかないというのを感じます。特に母はエステサロンを経営してますが、競合他社がひしめき合う中でいかにして生き残るかということにはいつも頭を悩ませてるようです。
ですが、そこは強固なリピーターを掴むことに力を入れてるとのことです。奇抜なサービスよりも丁寧な接客を心掛けて、もし他のところに試しに行かれても『やっぱりここが一番安心する』ってことで戻ってきていただけるようにというのを大切にしているとのことでした。私は、そんな誠実な経営を心掛けている母を誇りに思います」
う~ん。相変わらず大人な話し方だなあ。星谷さんのご両親が彼女の前でもこういう丁寧な対応をしてるんだろうなっていうのを感じるよ。こんな星谷さんでも、ご両親に自分を認めさせたい一心で暴走してしまうんだから、僕も沙奈子のことをしっかりも見守ってあげないといけないなって改めて思い知らされる。
すると星谷さんが、
「山下さんと沙奈子さんが気に入ったというのは、私も興味をそそられました。一度、利用させていただきたいと思います。連絡先を教えていただけますでしょうか?」
って。思わぬ反応に僕も、
「あ、はい。ブログから予約できるそうなので、ちょっと待ってください」
と、PCの画面に旅館のブログを表示させる。
「すいません、それでは少しお借りします」
そう言って星谷さんは手際よく手続きを始めたのだった。
「イチコや千早と寛ぎに行きたいと思いまして。
私の別荘でもいいのですが、スケジュールの調整がなかなか……」
だって。これでもし星谷さんが気に入ってくれたら、もしかしたらもしかするかもと思ったりもしたのだった。




