四百四十九 一弧編 「躾のつもりって?」
火曜日の朝。最近はすっかり玲那についてのニュースが流れなくなったことで、また少しだけテレビのニュースを見るようになってきた。
だけど相変わらず、悲しい事件、辛い事件は多かった。
「宿角健雅容疑者が、次男の頭を拳で数回殴り、頭蓋骨骨折の重傷を負わせた疑いで逮捕されました。次男は現在、集中治療室で治療を受けているところですが、命に別状はない模様。
なお、取り調べに対し健雅容疑者は、『躾のつもりだった。態度を改めないので腹が立った』と概ね容疑を認めているとのことです」
アナウンサーがそう淡々と原稿を読み上げる様子に、僕は何とも言えない気分になった。この事件で父親に殴られたっていう次男はまだ六歳だって。六歳の子供の頭を、頭蓋骨が骨折するまで殴れる神経って何なんだろうと思った。しかも、『躾のつもりだった』って……。
本当に、何か原稿でもあるのかっていうくらいに定番の言い訳だと感じた。躾だったらそこまで殴っていいと思ってるんだろうか……。
僕には理解できない。僕の隣で、同じように何とも言えない表情でニュースを見てた沙奈子に視線を向けて想像してみる。この子の頭を、思いっ切り殴るということを。
……無理だ。僕にはできない。少なくとも、正気の状態だったらまったくできる気がしない。でも、だからって自分が正気じゃない状態ですることが『躾』になるのかって言ったら、それも有り得ないとしか思えなかった。
だから分からない。とにかく意味の分からない行動だし言い訳だとしか感じられないんだ。
とにかく相手を殴る言い訳に『躾』って言葉を便利に使いすぎだって思う。そう言えば自分の行為が正当化されると思い込んでるとしか考えられない。
沙奈子を殴って何が教えられるんだろう?。
殴られる痛み?。そんなの、今さら僕が殴らなくてもこの子は十分すぎるくらい知ってるはずだ。
礼儀作法?。星谷さんも言ってくれてたけど、この子は一応、挨拶くらいはできる。別に殴ってそんなことを教えてもこなくてもね。
じゃあ、沙奈子じゃなくて千早ちゃんは殴ってでも礼儀作法を教え込むべき?。
それもまったくピンとこない。確かに品行方正とかってタイプじゃないかもしれなくても、あの子もすごくいい子だ。痛みも苦しみもよく分かってる。しかも、お姉さんたちやお母さんに殴られたりしなくなった今の方がずっと。
千早ちゃんのお姉さんたちやお母さんも、躾ってことで殴ってたらしい。それも、体が吹っ飛ぶくらい強く。だけどそんな風に殴られたりしてた頃の千早ちゃんは、刺々しい態度で言葉遣いも今よりずっと悪かったらしい。『死ねよ』とか『殺すぞ』とかいう言葉も割と普通に使ってたって。でも、僕は千早ちゃんがそんな言葉を使ってるところを見た覚えがない。沙奈子と仲良くなってくれてからそんなこと、ほとんど言ってないらしいんだ。
本当に、『躾』って何だろう?。僕は沙奈子を躾けてきたのかな?。ううん。そんなことをした覚えもない。感情的になってつい声を荒げてしまったのだって、ただ僕が未熟だっただけだ。上手く伝えられないから頭に血が上ってしまっただけだ。今から思い出しても、あんなの躾だなんて言えない。
僕は、沙奈子に『こういう風にしてほしい』って思うことがあったら、今ではまず僕がそういう風にするようにしてるつもりだった。誰かに優しくしてあげて欲しいと思うから、沙奈子に対してそういう風に接するようにしてる。その僕の真似をしてくれたら優しくすることになるように。だから沙奈子の前で悪い言葉を使わないようにしてるし、陰口も言わないように心掛けてるつもりだ。僕がそんなことをして沙奈子が真似したら嫌だから。
そうだよ。子供って、大人のやってることを真似していろんなことを覚えていくはずなんだ。他人に対する接し方とか態度とか言葉遣いも。小さな子はまだそういうのが上手く真似できなくてちゃんとできなくても、沙奈子くらいの年齢になったら大人の真似だってできると思う。だったら、他人に対して悪い言葉遣いとか乱暴な態度とかをとる子って、誰の真似をしてそんなことをしてるんだろう?。
千早ちゃんの場合は、間違いなくお姉さんたちやお母さんの真似だったはずだ。それが、星谷さんが丁寧に接してくれるようになったことで、ちょっとずつだけどその真似もするようになってきてる気がする。少なくとも乱暴な言葉遣いはしなくなってきてる。すごくフランクだったりするのは、星谷さんに対するのとは別に意味で好きって言うか波長の合う波多野さんの真似だったりかもね。それでも、わざと相手を傷付けようとするようなことは普段は言わない。それが良くないことだって千早ちゃんも分かってきてるんだと思う。だって、この集まりの中では、誰もそういうことをしようとしないから。千早ちゃんがその真似をしていってくれるなら、きっと大丈夫だ。
だから、真似をするように、真似をしたいと思えるようにしてあげれば、別に頭ごなしに押し付けなくたって子供だって同じようにしてくれるようになると思うんだ。僕は今、それを実感してる。
この集まりの中では、乱暴なことを言う必要もない。誰かを殴ったりする必要もない。必要なことは言葉で伝えるってことを、それぞれ実践してみせてるんだ。それを千早ちゃんは真似してくれてる。たぶん、沙奈子も大希くんもそうなんだ。
子供がわざわざ悪態を吐いて相手を怒らせる必要がどこにあるんだ?。相手に嫌われるようなことをして何の得があるんだ?。そういうことをするっていうのは、なにかそうしなきゃいけない理由があるからなんじゃないのか?。
沙奈子や、千早ちゃんや、大希くんを見てて僕はすごくそれを感じた。沙奈子や千早ちゃんや大希くんがそういうことをしないのは、その必要がないからなんだって。特に千早ちゃんがそういうことをしなくなったのは、する必要がなくなったからなんだって。
これは、綺麗事とかそういうのじゃない。もっと単純で、合理的なただの『理屈』だと思う。とにかく、『乱暴な真似をする必要がない』っていうだけの話なんだ。
子供を躾けるために殴ってたら、躾けるためなら殴っていいっていうのを子供が学んでしまう気がする。躾っていう言葉を使えば殴っていいってことを。僕はそこにすごく危険なものを感じてしまうんだ。
僕は、沙奈子にしてほしいことがあるなら、まず僕がそうしてみせて『こういう風にすればいいんだよ』って教えたいと思う。僕がやったのをそのまま真似をするだけでできるように。
『他人には優しくしなさい』って言うんなら、どうするのが優しくすることになるのか、具体的に子供自身に経験させてあげるのが一番確実だと思うんだ。




