四十四 沙奈子編 「共有」
「と言っても、別にちゃんと研究とかして調べたものじゃなくて、あくまで叔父さんが現場で子供とその親に接してて感じたっていう話だけですけど。叔父さんがよく言ってたな。『聞き分けのない子供と聞き分けのない親の扱いならもう慣れたよ』って」
山田さんの話は、そこで終わった感じだった。すると、
「あ~、何か分かる気がするわぁ」
それまで山田さんの話を黙って聞いていた伊藤さんが、不意にそう言った。
「でも、やたら怒鳴りまくる親の子って、また別のパターンの厄介なのがいるよね」
その時の伊藤さんの顔は、何かすごく嫌なことを思い出した感じの顔だった。
「私が知ってるパターンは、一見するとすごく真面目で優等生って感じだったんだけど、とにかく何か気に入らないことがあるとすぐキレる奴で。しかもそのキレ方が尋常じゃないの」
そこまで言ったところで、頭を押さえて「はあ~」って深い溜息を吐いた。さらに山田さんが、
「あ、それ叔父さんも言ってた。そういうパターンもあるって。あれこれ言われるのが嫌だから表面だけはいい子ぶってるんだけど、急に癇癪起こすって感じ」
って言ったところに、ハッとなったみたいに指で宙を指して、
「そうそうそれそれ。私の中学の同級生にまさにその感じのがいて、それに目を付けられてほんと地獄でした。しかもそういうのに限って教師とかの前ではいい顔してて、贔屓されるんです。だから教師に相談しても私が悪いってことにされて、まともに話も聞いてもらえませんでしたよ。しかも私の父まで、『お前が弱いからつけ込まれるんだ。もっと強くなれ』みたいなこと言うだけで…」
そう言って今度は、どこか悲しそうな顔になった。さらにその次には、
「強くなれって言うんなら具体的に何をどうやって強くなればいいのかヒントくらいくれてもいいのに、ただ、『強くなれ』としか言わないんですよ。だから私は思ったんです。ああこれは、具体的なことは何も思い付かないけど、とりあえずアドバイスっぽいこと言っておいたら親としてのメンツが保たれるって考えてるやつだって。だから私は、今でも父のことが苦手です。口ばっかりのダメ男の見本みたいなものですね。母の方はまだ慰めたりとかしてくれましたけど、基本的に父の言いなりのイエスマンだから、尊敬はできません」
と、苦笑いを浮かべながら肩をすくめたのだった。だけどそのまた後で、
「でもこんなこと言ってても、自分も結婚して子供を育てたら両親と同じことをしてしまうんだろうなあっていう予感もあるんです。だから、結婚とか子供を持つことにちょっと不安もあって…」
って言いながら目を逸らした。すると山田さんも、
「それは私も思います。子供って結局は親に似ちゃうんだろうなっていうのがすごくあるんです。だから親と同じ失敗をしそうなのが分かっちゃって、なんか結婚とかに積極的になれないんですよね。それでも、親が失敗しても周りの誰かがフォローしてくれたらギリギリ何とかなる感じだと思います」
なんて言って、伊藤さんも、
「そうそう、私の場合は従姉のお姉さんがいろいろ話を聞いてくれたことで救われました」
と言ったかと思うと今度は二人で口を揃えて、
「そんなわけで私達の好みの男性のタイプは、口下手でも不器用でも気弱でも、実行力がある人ですね。山下さんみたいな」
って。なぜそうなる!?。
…うん、そう言ってくれるのは悪い気はしないけど、たぶん僕は、この二人のどちらと一緒に暮らしても上手くいかない気しかしなかった。悪い人達じゃないんだけど、僕が思ってる穏やかな生活を過ごせるイメージが全然湧かない。とにかくこう、ペースが合わないんだな。他人が一緒に暮らすってことは難しいんだって、改めて実感させられた。
しかもこの時、親に似てしまうから結婚に積極的になれないと言ってた二人に対して、僕はその親を反面教師にしてるから今は何とかなってるって言っても良かった気がするけど、何故か言葉にはできなかった。それを言ってしまうと、二人の気持ちを受け入れることになりそうな気がして…。
もちろん考えすぎだとは思う。それに自意識過剰だっていう気もする。するんだけどやっぱり言えそうになかった。
今回もいろいろ戸惑わされた二人との一時だったなというのが正直な印象だった。でも初めの頃のことを思えば随分と変わってきた気もする。特に今日のは、意外な一面を見られたと思った。
そうだよな。誰だっていろんな経験して過去を持って生きてるんだよな。二人が僕に初めて話しかけてきた時はまだ沙奈子のことは知らなかったはずだからまだちょっと合点のいかない部分もあったりはしても、今もこうして僕と話をしようとしてくれてるのはなぜかってことは分かった気がした。
それでも今はまだ沙奈子の傷痕のことまではまだちょっと話せる感じじゃなかった。話したところで仕方ないし。
…あ、でも、海に行った時、沙奈子は二人と一緒にシャワーに入ったんだよな。僕は相手が女の子だからっていう遠慮もあって、体までは見てるようで見てなかったから今まで気付かなかったっていうことはあったとしても、女性同士の気軽さで実はもう気付いてたりする?。気付いてて言わないようにしてくれてる?。
いや、むしろそうなんじゃないかっていう気がしてきた。でないと、一度一緒に海水浴に行っただけの沙奈子にこんなに気を遣ってくれる説明がつかない。もしそうだとしたら、何だかすごく申し訳ない気がする。そこまで気を遣わせてしまうとか。
だけど一方で、そう考えると沙奈子の傷痕の秘密を抱えてるのが僕だけじゃないって気がして、なんだか少し楽になった感じもした。実際のところはどうか分からないにしても、気持ちの上で負担が減るのは正直助かるのも事実だった。このまま僕だけが傷痕のことを知ってる状態でどうしていいか分からずにもやもやしてたら、どこかよそよそしい感じで沙奈子と接することになってしまってたかもしれないし。
現にこの日、家に帰った時には僕は自分でも分かるくらい今まで通りに沙奈子に接することができてたと思う。
「今日は石生蔵さんとはどうだった?」
こんな聞き方ができるのも、それでも大丈夫だって思えるからだし。
「……」
そんな僕の問い掛けにも黙って首をかしげて応えてくれるのも、それが彼女の普通の状態だってちゃんと分かる。しかも、今はまだそういう風にしかできないのが彼女にとっては普通の状態だっていうことが分かるのも、僕に心の余裕が戻ったからだっていうのも感じる。
虐待の証拠のような傷痕を見付けてしまったことで浮足立ってしまうあたり、自分の未熟さを改めて痛感させられる。そうやって毎日毎日、自分のダメなところを思い知らされて、でもそのダメなところを毎日毎日乗り越えようとすることで、人間は成長するのかも知れない。それと同時に、これまでにも何度も意識させられてきたことだけど、ゲームなら経験値が増えれば自動的にパラメータも上がっていってくれても、人間はそうじゃないっていうこともまた、改めて思い知らされたのだった。




