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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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四百二十七 一弧編 「自分に合うやり方」

僕たちが山仁さんの家に集まる意味は一つじゃないっていうのを最近感じてる。


両親との関係が良好だったら実家に帰った時の安心感ってたぶんこういうものなんだろうなって気がするのもそうだし、お互いの傷と向き合うための場所っていうのもあるんだろうなっていうのも感じるようになった。


でもそれはきっと、最初からそうだったんだろうな。目的も意味も一つじゃない。それどころか、集まってるみんなそれぞれが別の目的や意味を感じてる可能性だってあると思う。だけど必要だからこうして集まってるっていう点ではみんな同じ。


そうなんだ。そこにどんな目的や意味を求めてくるのかも、自由なんだ。何も決めてない。規則もない。来るのも来ないのも好きにすればいい。すべてが自分の判断に任されてる。


けどそれって、実はすごく厳しいことなんだろうなっていうのも感じたりもする。だって、自分の問題が何も解決してなくても行きたくないって思えば行かなくてもいいんだから。その結果がどうなるとしてもそれは自分の責任だからって言われてるのと同じだって気がする。


強制も強要もされないということは、『生きるも死ぬも自分で決めればいい』って言われてるのと同じだと思うんだ。


いっそのこと命令されて縛り付けられる方が楽っていう場合もあるんじゃないかな。自分で考えることも自分で決めることもしなくていいんだから。命令してくるその人に判断を丸投げしてしまえばいいんだから。それでもし何かうまくいかなくたって、命令した人の責任なんだから。


自分が決められるっていうのは、自分が自分に対して責任を持つっていうことなんだろうな。


殴ったり怒鳴ったりしてその人の行動を制限したりするのは、実は厳しさじゃない。むしろ本人が自分で考えて判断するべきことを肩代わりしてるだけの甘やかしだって気さえする。判断とかが間違ってるのなら、その間違った判断が何をもたらすのかを本人に経験させてあげるのが本当の厳しさなんじゃないかな。


もちろんその間違った判断をそのままにしておくと命に係わるとか大きな事故になるとかだったらその場でやめさせないといけないけど、出し物が失敗するとかその場の空気が悪くなるとかその程度のことだったら、その結果を本人に突き付けることの方がよっぽど厳しい気がする。敢えて失敗させる厳しさって言うか。


実は、山仁さんのところの集まりにはそういう厳しさがあるっていうのも、今は感じてるんだ。


それを一番実感したのは、千早ちはやちゃんのお姉さんたちやお母さんに直接は何もしないところとか、波多野さんのご両親を直接助けようとしないところとかかな。


綺麗事を大事にする人だったら、千早ちゃんのお姉さんたちやお母さんのことも放っておかない気がする。


波多野さんのご両親にだって声を掛けて会合に顔を出すように働きかけたりって気がするんだ。でも、山仁さんもイチコさんも、そういうことは一切しない。来るのも来ないのも本人の選択だから。ここに来て千早ちゃんや波多野さんのように救われるのも、来なくて苦しみ続けるのも、本人が決めること。


冷たい。すごく冷たい。冷酷って言ってもいいくらいに冷淡な対応だと思う。


だけど同時に僕は知ったんだ。結局、自分を救うのも救わないのも自分自身なんだって。だって、以前にも言ったけど、僕たちはスーパーパワーを持つヒーローじゃないから。自分一人救えないのに他人を救うとかできるわけないから。


山仁さんのところの集まりは、自分で自分を救うためにほんのちょっとだけ支えてくれるだけなんだ。でもそのほんのちょっとの支えがすごく大きい。


そういうことなんだろうなあ。


僕が何を言ってるのか分からない人には分からなくていい。僕たちのやり方が合わない人にはお勧めしない。そういう人は自分に合うやり方を別に探してくれたらいい。それに尽きるってことかな。


だってそうだよね?。


『お前のやり方は認めないけど俺のことは助けろ』


なんて、それこそ何様だって話だし。


苦しいとか辛いとか思っててそれを何とかしてほしいと思ってるけど自分では何もしなくて誰かに助けてもらおうと思ってて、でもお前のやり方は気にくわないとケチをつけるとか、一体、どこのお偉い人なんだろうって思う。


きっかけは確かにあったけど、僕は自分の判断で、今、こうしてる。その判断ができた自分を誇りたいし、それが自信にも繋がってる。そして自分の判断で、今もこの集まりに参加してる。僕にとって必要なことだと僕自身が思うから。


こういう集まりを自然と作ってしまう山仁さんやイチコさんって本当にすごいな。と言うか、それを必要としてる人を自然と呼び寄せてしまうのかも。


いずれ僕にとってもこの集まりが必要なくなって来なくなる日がくるかもしれない。その時にもやっぱりいつもと変わらない感じで、


『よかったですね』


と穏やかに言ってくれるだけなんだろうなって気がしてる。泣いたり引き留めたりしてはくれなさそうだ。いるのもいないのも受け留めてくれそうだから。


なんて考えながらも金曜日も普段と変わらずのんびりとした感じで終わって、僕は沙奈子と一緒に家に帰った。


そう、のんびりとした感じなんだ。それぞれ大変なことを抱えてるのに、ここではみんなのんびりとした感じでいられる。辛いことも苦しいことも悲しいことも全部ひっくるめた上でのんびりと穏やかな気持ちになれるんだ。それは本当にすごいことだって僕は思ってる。


本当に、よくこんな出会いができたなって不思議だった。


運命って言ったらそうなのかもしれないけど、何だかそれだけじゃない気もする。だって、僕がそれを拒んだら強く引き留めたりされなかったはずだから。僕自身がそれを受け入れたからここにいるんだから。


そしてきっかけは玲那の事件だったかもしれなくても、みんなのためにまたここに来たいと思ってる僕がいる。千早ちゃんのために、波多野さんのために、田上たのうえさんのために、イチコさんのために、大希ひろきくんのために。もしかしたら必要ないのかもしれないけど、山仁さんのためにも。


僕にとってはそう思える人たちなんだ。


大切な人は守りたい助けたい救いたい力になりたい。だけどこの世のすべての人を救うなんて無理。自分にできることしかできない。そういうことをちゃんと態度で示してくれるから、僕はこの人たちを信じられるし力になりたいって思える。これがもし、


『世界のすべての人を救いましょう』


とか言ってる集団だったら僕はきっとその日のうちに逃げ出してる。決して関わろうとも思わない。逆に、


『悪人は許さない。片っ端からぶちのめせ!』


とか言ってる集団だったとしてもやっぱり逃げ出してる。


そういう、できもしないことをスローガンに掲げるような現実が見えてない人たちじゃないから一緒にいられるんだよね。



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