表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
426/2601

四百二十六 一弧編 「新たな認識」

月曜日。今日から沙奈子の学校が始まる。僕が通ってたころと違って8月いっぱい夏休みってわけじゃないのがなんだか不思議だけど、沙奈子自身は別に気にしてないようだから僕もあまり考えないようにしてた。それに、夏休みが早く終わる代わりなのか、『夏休み中の登校日』っていうのがなかったし。


宿題も完全に終えられてて、普段の登校日とそんなに変わらない感じで余裕を持って用意をしてた。夏休みの工作として用意した人形の服も、結局は五着持っていくことにしたみたいだった。それを飾るためのセットとして、去年と同じペーパークラフトのドールハウスキットを買ってきて組み立てて、そこに沙奈子が作った人形の服を吊るした。


紙でできたドールハウスを上手く畳んで手提げ袋にお道具箱と一緒に入れて持っていくようにした。学校についてから改めて組み立てるようにしたんだ。これならかさばらないからね。でもそれを思うと、千早ちはやちゃんと大希ひろきくんのどんぐりのオブジェは持っていくのが大変そうだなっていう気がした。


「じゃ、いってきます。沙奈子も気を付けていってらっしゃい」


いつものようにそう言いながら『いってきますのキス』を交わして、ドアを開ける。これからまた平凡で何もない穏やかな毎日を繰り返すことになるのが嬉しかった。いろいろとイベントがあるのも楽しいけど、正直、僕は何もない平凡な毎日の方が好みかな。


ドアを閉める前にちらっと机の上に視線を向けると、大きな人形の莉奈りなを中心にぬいぐるみとかが並んでた。改めて見るとすごい存在感だと思う。相変わらず全体的にはそんなに荷物も多くなくて殺風景な感じさえする僕の部屋だけど、そこだけは『子供がいる部屋』とか『女の子がいる部屋』っていうのを主張してる気がする。それが何だか面白い。


人形やぬいぐるみたちにも心の中で『いってきます』と告げて、僕は仕事へと向かった。


で、会社ではそれこそ特に何も話すこともなかった。退職した英田あいださんの代わりに入社した真崎しんざきさんもすっかり慣れた感じで、しかもすごく英田と似た雰囲気を醸し出してた。僕を始めとした同僚たちとも余計な話はせずに、淡々と自分の仕事だけをこなしてた。結局、この職場はそういう人が一番適応できるんだろうなって気がした。


ただ、英田あいださんのその後の情報が何もないことが少し気になった。硫化水素の事故で一時意識不明の重体になって、何とか意識は取り戻したっていうことだったはずだけど、その後はどうなったんだろう……。


僕が気にしても仕方ないのは分かってる。僕と英田さんとの人生はもう交わらないんだろうなって気はしてる。結局、何もできないっていうのも分かってるんだ。だけどやっぱり心のどこかでは引っかかってた。何もしてあげられなかったことが悔しかった。でもどこまで行っても『思ってるだけ』なんだよな……。


そういう葛藤もありつつ、僕は淡々と毎日を過ごした。


火曜日、水曜日と何事もなく過ぎていく。でも木曜日の朝は、なんだかやけに涼しくて、少し肌寒い気さえした。台風が近付いてるらしいから、それが涼しい空気を運んできてるのかも知れないと思った。台風そのものはこの辺りの天気まではそんなに影響を与える感じじゃないらしい。進路に当たるところは大変でも、それ以外のところではやっぱりこういう感じなんだろうな。


仕事が終わって山仁やまひとさんの家に沙奈子を迎えに行って、会合にも顔を出した。波多野さんもすっかり落ち着いた感じで安心した。イチコさんは相変わらずみたいだ。今日で8月も終わり。すると田上たのうえさんが、


「来週はカナの誕生日だよね。こんな時だけど、こんな時だからこそちゃんとお祝いしなきゃね」


と波多野さんを見詰めながら言った。それに対して波多野さんも、


「ありがと。フミにそう言ってもらえると嬉しいよ」


だって。誕生日パーティーはその次の土曜日にすることになるらしい。しかもそのケーキをまた千早ちゃんが作るんだって。本当にそのうちプロ級の腕前になりそうな気もするなあ。


「それでは、今日も皆さんの無事を確認できたということで目的は果たせました。ありがとうございました」


星谷さんの締めのコメントで解散となった。僕は沙奈子を連れて家へと帰る。


今までと何も変わらないんだけど、その『変わらない』ということが大事なんだと改めて思った。ドラマティックなことがないという安心感とでも言えばいいのかな。イベント好きで刺激を求める人には全く退屈で仕方ないんだろうけど、僕にとっては今年の夏休みの内容でも、これが毎年ってなってくると慣れるまで大変だなって気がしてしまう。沙奈子や玲那や波多野さんのためって考えるからできるけど、そうじゃなかったらたぶん参加してない。


でも同時に、決して嫌だったわけじゃないんだ。こういうことが必要な時にはこれからもちゃんと参加したいと思う。強要されたり強制されたりしないなら。そういうことをされないっていう安心感も、この集まりにはある。


たぶん、イベントへの参加を強制されたりしたら、いの一番でイチコさんが抜けるんだろうなっていう印象があった。以前は逆だった。イチコさんは大人しいから最後まで参加するんだろうなって何となく思ってた。だけど、星谷さんたちの話を聞いてるうちに変わってきたんだ。ゆるくて穏やかで、必要なくなればいつでも解散してもいい。だけど不思議な強さを感じるこの集まりの中心にいるのがイチコさんなんだって分かってからは。


来る者は拒まない。去る者は追わない。他人がそこにいることをただ肯定する。他人の選択をただ受け留める。そういう器がそこにはあるんだろうな。


とは言え、ほとんどの人はこの集まりに参加しようとは思わないだろうなっていう気もする。なんて言うか、この独特の雰囲気について行けないって感じかな。だって、


『自分を苦しめている何もかもを受け留めて、それを昇華する』


のもこの集まりの目的だから。


イチコさんはお母さんを亡くした悲しみを、星谷さんは自分が未熟だったという事実と向き合わされる痛みを、波多野さんと田上たのうえさんと千早ちゃんは自分が抱く憤りに振り回されないようにするという重圧に耐える苦しみを、そういうの全てを自覚した上で乗り越えていくための集まりだから。


そうなんだ。みんながすごく優しいから勘違いしてしまいそうだけど、これは実際にはお互いの傷を舐め合うための集まりじゃない。お互いの傷から目を背けないようにするための集まりなんだ。自分が抱える悲しみや痛みや苦しみを受け留めるために支えてくれる場所なんだ。


でも同時に、それを強要もしない。できないんだったら他を当たってくれたらいい。


それがイチコさんの考えなんだなっていうのを、僕は感じてたんだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ