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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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四百二十五 一弧編 「承認欲求」

つくづく、他人のことって本当に上辺の一面しか見えないものなんだっていうのを、僕は思い知らされていた。


星谷ひかりたにさんの告白にも改めて驚かされたし、イチコさんのことを、飄々とした不思議な雰囲気は持ちながらも、基本的にはただ大人しくて穏やかな気性の人だって、正直思ってた。誤解を恐れず言うなら、影が薄いって思ってたんだ。


だけど本当は、星谷ひかりたにさん、波多野さん、田上たのうえさんにとってとても大切な中心的な存在だった。星谷さんも波多野さんも田上さんも、山仁やまひとさんを慕って集まってるのかなってなんとなく思ってた。だけど実際は、あくまでイチコさんの友達としての繋がりだったんだな。


分かってたつもりだったけど、実は分かってなかったんだっていうのも思い知らされる。


けど、人間ってそういうもんなんだなっていうのは分かってるんだ。ついつい分かってるつもりになってしまいがちな生き物だっていうことはね。沙奈子のことだって絵里奈のことだって玲那のことだって、僕は完全には分かってないと思う。そしてそれは、僕のことも百パーセント完全には分かってもらえることはないっていうことでもあるんだ。そして、分からないからこそ分かろうと努力して、だけど完全には分からないからこそ自分のことを分かってもらえなくてもそれを恨んだりしないってことなんだ。


僕が完全には分かってないのに、僕のことを分かってもらえるのを期待するとかおかしいと思うし。


そんな風に思えると、自分のことを分かってもらえないことでいちいちくよくよする必要もなくなるから気持ちがすごく楽になる。と言うか、僕は実際にそれで気持ちが楽になった。


このこと自体は、もう中学かその辺りで身に付いたことだという気がする。両親に自分の気持ちが分かってもらえないことで悶々とするのをやめることができた覚えがある。それ自体はただの諦めとかの消極的なものだったのかもしれない。けれどそれが僕自身を支えてきたことも確かだって思える。


他人に自分のことを分かってもらえない。自分を評価してもらえない。自分を見てもらえない。そういうことに苦しめられて追い詰められるのを回避できたのは、本当に幸運だった。それがなかったら、僕も何か事件を起こしてしまってた可能性がすごく高いって気もするんだ。


沙奈子との暮らしでも、あの子のことが理解できなくて、どうしていいのか分からなくて戸惑ってた時でも、それが僕の根っこの部分にあったから、自分の思い通りにならないことに酷く苛々せずに済んだんだとも思えるんだ。


他人のことを罵ったりせずにいられない人の多くが、自分は他人のことを分かってないのに自分のことは分かってもらおうとして、でも当然そんなことは上手くいかなくて、それで苛々して八つ当たりしてるんだろうなって気がしてる。だってそうじゃないと、他人を罵る理由が無いはずだし。


他人を罵って誰かを不快にさせて、それが何の得になるんだ?。そんなの、自分が嫌われる原因を自分で作ってるだけじゃないか。同じ相手を罵る人間からは共感を集めるかもしれなくても、そうじゃない人からは嫌われたり軽蔑されたり疎まれたりするだけじゃないか。しかも、同じ相手を罵ってる者同士で共感してたって、別の相手には同じように罵ったりできないかも知れない。そうなったらまたそこで仲間が減って、そういうことを繰り返すうちに結局は自分一人になってしまう。


それでどうやって幸せになるつもりなんだろう?。他人から嫌われて軽蔑されて疎まれて、どんな幸せを掴めるんだろう?。


僕には分からない。なるべく他人を罵ったりしないようにはしてきたつもりでも、同時に誰とも関わろうとしなかった頃の僕は、自分を不幸だとは思ってなかったけど幸せだという実感もなかった。『不幸じゃないんならたぶん幸せなんだろうな』程度の、実感も何もない空虚な存在だった。


それはそれで、本人がいいと思ってるのなら他人が口出しすることじゃないとは思う。他人を妬んで罵ったりしないんならね。だけど他人を罵ったりして関わろうとするのなら、自分も他人から何かを言われるのは覚悟するべきなんじゃないかな。そこで、『相手が先に言ってきた!』とか言って自分を正当化しようとする人も多いかもしれない。でも、スルーしなかった時点で負けなんじゃないかな。


『やられたらやり返す』って言ってる人の多くが、実は『やられる原因』を自分から作ってるって気がするんだ。しかも、そのことに自分で気付いてない。いつだって悪いのは自分以外の誰かで、自分は常に被害者だって思ってる感じがする。


こんなことを言ったらきっとまた反発されるんだろうな。でも、僕自身にそういう部分があったのを実感するからこそ、そう思うんだ。これは、昔の、ううん、本当は今もまだ僕の中にある、『わざわざ自分から不幸になりに行こうとする僕』に対する戒めなんだ。


僕が『やられたらやり返す』っていうのを選ばないのは、決して綺麗事を言いたいからじゃない。それをして実際に不幸になっていく人を目の当たりにしてきたことから学んだ現実だからなんだ。


他人が僕に都合よく動いてくれることなんてない。だから僕にとって余計なお世話でしかないことを言ってきたりして心を掻き乱されるなんていうのもよくあることだ。だけど、他人が自分に都合よく動いてくれるわけないんだから、それすら当然のことなんだ。だったら、そんなのにいちいち構って苛々して『やられたらやり返す』ってしてたらキリがないじゃないか。自分が言い返したら、当然、相手もまた言い返してくるんだから。そうしてるうちに、どっちが先に言いだしたのかすら分からなくなってしまう。


そういう時は大抵、『相手が先に言いだした』って、両方が言うんだろうな。そしてまた責任を擦り付け合って揉める。


そこまで行ったらもう、そもそもの原因なんて関係ない気がする。自分からそれをやめようとしない時点で両方とも同罪なんじゃないかな。僕はそう思うからやり返さないようにしてる。『逃げるが勝ち』って感じかもしれない。


イチコさんの飄々とした感じは、たぶん、それが身に付いてるからなんだろうなって今は思う。影が薄く思えるのも、無駄に自分の存在を主張して目立とうとする必要がないんじゃないかなって。だって、自分の存在をアピールして認めてもらおうとしなくても、イチコさんはお父さんの山仁やまひとさんに完全にその存在を認めてもらってるみたいだし。もうすでに承認欲求が満たされてるから、他の誰かに承認してもらう必要がないんだろうな。


それは、僕が沙奈子との関係で目指したい理想の親子関係って感じてる。他の誰かに媚びたり、場合によっては自分の体を提供したりして承認してもらう必要がないようにしてあげたいんだ。そうすることで余計なトラブルを招かないようにね。



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