四百二十三 一弧編 「メンテナンス」
山仁さんとイチコさんと大希くんは、本当に不思議な家族だった。飄々としてて穏やかで気取ってないのにスレてない。イチコさんも大希くんも、すごくあどけない表情をすることもある子供らしい子供だった。
なんだろう。すごく『いい子』って印象なんだけど、それは決して大人にとって『都合のいい子』っていう意味じゃないんだ。人として真っ直ぐだとでも言えばいいのか。そう、他人を騙して欺いて裏をかいて何かしようっていうのを感じないんだ。裏表がないのかな。
そしてそれは、他人に見せてる顔を取り繕って自分を飾る必要がないからそうしてるんだって感じる。山仁さんが、いい子のふりをしなくても二人のことを受け止めてくれてるからそうなったんだろうなっていうのが僕の印象だった。
だからこそ、イチコさんも、星谷さんや波多野さんや田上さんのことを、上辺を取り繕っただけのそれじゃない関係として受け入れてるから、三人とも自分らしくいられるんだろうな。それが安心感になって、家族みたいに自分をさらけ出せるんだろうな。
そうなんだ。イチコさんの前では、みんな、仮面を被る必要がないんだ。そんなことしなくてもイチコさんは受け入れてくれるから。
それは、田上さんにとっては特に嬉しいことだったらしい。田上さんの家庭は、波多野さんのそれと違って今はまだ家庭としての体裁を保ててはいるけど、実態としてはもう機能してないって田上さんが言ってた。今の形を失うといろいろ困ったことになるからただ形としてそれを維持してるだけの『仮面家族』だってことだった。
それに対してイチコさんが言ったんだって。
『じゃあ、もう家にいられないってなったらうちに来たらいいんじゃないかな。うちだったら家の中でどんなにだらしない格好してたって大丈夫だよ。フミがフミらしくいてくれたらそれで大丈夫だし。
体裁なんて、家の外でだけ保ててたらそれでいいと思うんだ。お父さんも私に対してそう言ってくれてる。私は、お父さんの前では私でいられる。お父さんは私を受け止めてくれるし、私が友達だと思ってるフミのことだって受け止めてくれるよ。
家は、自分をメンテナンスする場所なんだってお父さんは言ってた。メンテナンスして不具合を直してそしてまた万全の状態で外に出られるようにするための場所なんだって。その家で外にいるみたいに自分を取り繕ってたら、どこでメンテナンスするの?。
フミの家がフミをメンテナンスするのに向いてない場所なんだったら、うちをそういう風に使ったらいいよ。フミだったら私も歓迎だし、お父さんも認めてくれるよ』
って。
それを聞いて田上さんは、イチコさんの家に『帰る』ようにしたそうだ。本来の自分の家には家族のふりをしに行くだけの、ドラマの撮影現場みたいなものって思うようにしたんだって。するとすごく気が楽になって、もういつキレてもおかしくなかったのが何とか持ちこたえられてるってことだった。
イチコさんは、星谷さんとは違う形ですごい人なんだなって僕は感じた。ただ、イチコさんの言葉を借りるなら、僕たちはあくまで僕たちの家がメンテナンスをする場所だから、イチコさんの、山仁さんの家ではそこまでする必要がない。だから僕たちは、田上さんがイチコさんを必要としてるほどは縋る必要がないってことで、イチコさんもあんまり僕たちを構う必要がないから話をしないだけなんだろうな。
だけど僕たちの存在がイチコさんにとって邪魔になってるかって言ったらそんな印象もない。イチコさんが僕たちのことを疎ましく思ってるっていう気配もまったく伝わってこない。本当に、ただ、話す必要がないから話さないだけって感じなんだと思う。
あと、僕たちが必要としてることを提供できるのは星谷さんだっていうのが分かってるっていうのもあるのかな。
イチコさんには、自分にできないことをできるふりをする必要もないんだろうな。僕は仮にも大人だから、高校生の自分があれこれ口出ししなくても同じ大人であるお父さんの山仁さんが必要なことを話してくれるっていうのも分かってるんだって気もする。イチコさんが話すことのほとんどは、山仁さんから学んだことだから。その山仁さんがいるところで自分が出しゃばる必要もないって感じかもしれない。それでも必要だと判断した時にはためらうことなくそれを口にする人だっていうのも感じてた。
本当にすごい人が集まってるんだな。
でもそれは、山仁さんたち自身が必要として、そして獲得してきたことなんだっていうのも分かってる。自分たちが穏やかに暮らしてそして小さな幸せを掴むには今の形になる必要があるっていうのが分かっててそうしてきたんだって思える。
他人を蹴落としたり、貶めたり、傷付けたりして自分が成り上がってそして何かを得るんじゃなくて、小さな力を集めてお互いに欠けているところを補い合って、自分たちで自分たちを守ることのできる『小さな優しい世界』を作り上げてきたんだって感じるんだ。僕たちもそこに加わることができただけ。
みんなが自分にできることをしてこの小さな優しい世界を守るために努力してる。それが分かる。ここで守られてる波多野さんや千早ちゃんだってそれぞれ努力してるのが分かる。
自分で自分が幸せになれるように、救われるようにそれぞれが努力してる。それが、みんなが集まっている山仁さんの家。誰もが、千早ちゃんや大希くんでさえただ一方的に守られてるだけじゃなく、他の誰かを守ろうとして努力してる場所。それがあそこなんだろうな。それが必要な人が集まってるんだ。
こういうのを馬鹿にする人もいるかもしれない。そんなことできるわけないっていう人もいるかもしれない。綺麗事で傷を舐め合ってるだけだって言う人もいるかもしれない。でも、そういう人たちにとっては何の価値もない場所に思えても、僕たちがそれによって救われてるのは紛れもない事実。無関係な他人にとっては無価値でも、僕たちにとっては実際に効果がある大切な集まり。それを得られなかった人たちがどう言おうと関係ない。実感できない人には分からない。僕たちだけのそれは、ある意味では『実家』みたいなものなのかな。
本当だったら実の家族でそれができるのが一番だと思う。だけど、自分の家でも着飾って仮面を被って体裁を整えるのが当たり前って考える人の家では、それは無理なことなのかも。でもそういう人たちって、どこで自分をメンテナンスするんだろう?。家族の前ででも素顔を見せないで、どうやってリラックスするんだろう。
僕には分からない。何か方法はあるのかもしれないけど、少なくとも僕にはできない方法なんだろうなっていうのは感じるんだ。




