四百四 「救急対応」
千早ちゃんが中心になって作ったカレーは、すごく美味しかった。絵里奈の作り方そのままだから今はまだ『絵里奈のカレー』かもしれないけど、これから何度も作って完全に千早ちゃんの身についたら、そこからいろいろ工夫したり好みに合わせてアレンジしたりして、『千早ちゃんのカレー』になっていくんだろうなって思った。それが、これからの石生蔵家を支えていくことになるんじゃないかな。
千早ちゃんのお母さんは、今はもうほとんど料理をしないんだって。元々得意じゃなかったのが、元の旦那さんへの苛立ちをきっかけに全くしなくなってしまったらしい。石生蔵家の家庭の味っていうのは途絶えてしまったってことかもしれない。だけど、絵里奈の料理が沙奈子を通して千早ちゃんに受け継がれて、これから新しい石生蔵家の家庭の味として受け継がれていくとしたら、それはすごいことだって気がする。
昼食が終わって千早ちゃんたちが帰ってからも、僕はそんなことを考えつつ、絵里奈と玲那に会いに行く用意をしてた。
今日はまた、山下典膳っていう人形作家の人の常設ギャラリーに行くことになった。なんでも、新作の人形が展示されてるらしい。
「これまでは新作の人形を見に行くのに覚悟が必要だったんですよね。欲しくなってしまったらどうしようって。でも今は、ちゃんと沙奈子ちゃんのことが第一に思えるようになってますから、その心配もありません」
だって。いく度にそんな覚悟しなきゃならないとか、大変だなあ……。
なんてことも思いつつ、僕と沙奈子は二人に会うために家を出た。以前来た時と同じようにしてギャラリーに着くと、絵里奈と玲那がしっかり先に来てた。
で、ギャラリーに入るとやっぱり沙奈子と絵里奈は人形に夢中で、僕と玲那は喫茶スペースで話をすることになった。
『二人してすっかり夢中だよね』
玲那からのメッセージに、僕も頷くしかできなかった。
『でも、沙奈子と絵里奈が楽しめるんだったらそれでいいと思うよ。それに、こうやって玲那と二人でゆっくりできるし』
『それもそうか』
そう言って玲那も納得したみたいに笑った。
先週はあまり甘えられなかったから、彼女はその分を取り戻そうとするみたいに僕に甘えるようなメッセージをいくつも送ってきた。その時の表情がまた子供みたいで、可愛いと思った。
そんなことしてるうちに沙奈子と絵里奈も喫茶スペースの方に来て、僕たちはそのままお茶にしてからギャラリーを後にした。
さすがに暑いからこのまま散歩とか言う気分にもなれず、喫茶スペースで十分ゆっくりしてたから今日のところは帰ることにしてバス停へと向かって歩きだした。だけどその途中で、僕たちは何か人だかりみたいになってるところに出くわした。見ると、恰幅の良い中年男性が道路に倒れてるのが見えた。状況が掴めず僕たちも戸惑うことしかできなかった。
その時、
「どいて!、いい歳した大人が雁首揃えてなにをしてんの!?。早くしないと間に合わないよ!!」
とほとんど怒鳴るみたいにして言いながら、僕より少し年上っぽい、どこかきつそうな印象の女性が集まってた人を押し退けて倒れてる男性の脇に膝をついた。その女性は手慣れた感じで男性の呼吸と脈を確認するみたいな仕草をして、周りにいた人たちに言った。
「そこの寺にAEDがあるから持ってきて。早く!!。走れ!!」
僕たちはその現場から少し離れたところで見てたけど、思わずビクッと体が竦むくらいの迫力だった。だから女性に命令された人なんて、ホントに大急ぎですぐ近くのお寺に駆け込んで、AEDっていう、救命用の機械を受け取って戻ってきてた。
女性はそれを待つ間、倒れてる男性の胸に両腕を真っ直ぐに押し付けて、怖いぐらいの勢いで体重をかけてリズミカルに動いてた。心臓マッサージってやつだとすぐに分かった。それも、素人の僕が見ても分かるくらい、しっかりとした本格的な心臓マッサージだ。男性の肋骨が折れるんじゃないかって心配になるくらいの。
すぐ傍で見てた人もそう思ったみたいで、
「そんなにしたら骨が折れちゃう…!」
と声を上げたけど、心臓マッサージをしてる女性は、その人に振り向きもせずに心臓マッサージを続けながら、
「骨が折れるのと死ぬのとどっちを優先するかぐらい分かるだろ!?。黙ってろ!!」
と一喝してた。そしてAEDが届くと、少しも躊躇なくささっと用意をして、スイッチを入れてた。
「電気ショックを行います。離れてください」
って機械のアナウンスが流れて、心臓マッサージをしていた女性も、興味深そうに覗き込もうとするやじ馬に向かって、
「離れろって言ってるだろうが!、死にたいのか!?」
なんて感じでやっぱり怒鳴っていた。そのすぐ後で倒れてた男性の体がバンッて跳ねて、
「除細動に成功しました。すぐに医療機関で検査を受けてください」
というアナウンスが流れてた。
それを見てた絵里奈がハッとなった。
「達さん、あの女性、玲那が入院してた時に担当してた看護師さんじゃないですか?」
そう言われて、僕も思い出してた。確かにあの時の看護師さんだ。それに気付いた僕の耳に、救急車のサイレンが近付いてくるのが聞こえた。誰かが呼んでたらしい。
救急車が到着して救急隊員が下りてくると、心臓マッサージをしてた女性が救急隊員に向かっていろいろ説明してるみたいだった。その様子も堂に入っていて、でも看護師さんなら当たり前なのかと思ってしまった。
だけど、救急車が倒れた男性を収容して走り去ってしまうと、女性は意外なことを口にしたのだった。
「まったく、ほとんど職業病だよな。今日はせっかくの休みだってのに」
その発言も含めて、どこか投げやりな印象もある女性だった。そしてこの女性の名字も『石生蔵』。玲那が入院してた時に名札を見たから間違いないはずだ。もしかして…。
女性が本当に千早ちゃんのお母さんだったのかどうかは、やっぱり確認できなかった。だけど、口は悪いけど必要な処置を躊躇なく行えるのは、どこか格好良くも見えた気がした。しかも、見れば見るほど千早ちゃんに似てるようにも感じられる。
もしこの女性が千早ちゃんのお母さんとしたら、あんな感じで子供たちにきつく当たってたのかなとも思った。だけど同時に、看護師としての仕事は、休日にたまたま出くわした急病人についてもすごく完璧な対応だった気もするんだ。だからきっと、仕事の上では熱心で能力のある人なんだっていう印象もすごく受けた。そんな人が家庭が上手く行ってなかったのが解決されたら、すごく素敵なことなんじゃないかとも思えた。
だから一層、千早ちゃんのが上手くいってほしいと思ったのだった。




