四百二 「自分の罪」
土曜日。今日は千早ちゃんたちがカレーを作りに来るらしい。お姉さんのリクエストなんだって。お母さんの誕生日パーティー以降、なんだかまた一つ、千早ちゃんの家の雰囲気が良くなった感じがするみたいだ。順調に家庭を取り戻しつつあるってことかもしれない。もしそうなら僕も嬉しい。
もちろん、すぐに理想の家庭になるわけじゃないのは分かってる。そんなにうまくいくはずないっていうのは僕も言い聞かせてる。それでも確かに良くはなってきてるみたいなんだ。
お母さんやお姉さんたちがしたことを思えばそれで『良かった良かった』で済むことじゃないのかもっていうのも確かにある。だけどそれは、千早ちゃんに責任があることじゃないはずっていうのも間違いないんじゃないかな。千早ちゃんにとっての温かい家庭を取り戻すことは、誰に気兼ねする必要もないことだと僕には思えた。
午前の勉強を終えて四人でゆっくりしてるところに、千早ちゃんたちが来た。いつもの挨拶を終えてさっそくカレーを作り始める子供たちを見ながら、僕は星谷さんに話し掛けていた。
「千早ちゃんの家の方は大丈夫そうですか?」
大丈夫そうだとは感じつつも、やっぱり確信が欲しいからついそう聞いてしまう。それに対して星谷さんは丁寧に応えてくれた。
「はい、非常に順調だと言っていいと思います。怒鳴られることも、暴力を振るわれることも皆無だそうです。家庭内での会話も以前に比べると増え、穏やかな雰囲気になったというようなことも言っていました」
その言葉に、僕も改めてホッとする。星谷さんが言うんなら本当に大丈夫だって思えた。ただ、星谷さんはこうも言う。
「ですが、まだ安心はできません。この状態が何年も維持され、そして次の世代にもきちんと引き継がれるかどうかを確認してからでないと完全に再生されたと断定はできないと思います。
一度壊れてしまった家庭を再生するのは並大抵ではないと私も感じています。カナの家庭もそうです。私の力では再生させることはできないと思い知らされます。しかし、同じ壊れるにも傷が軽く済む壊れ方というのもあるはずです。今回のカナの家庭のケースについては、そちらを目指すことになるでしょう」
淡々と、でもその奥には熱心なものを感じさせる星谷さんの言葉に、僕は聞き言っていた。ビデオ通話の画面を見ると、絵里奈と玲那も僕と同じく聞き入っている。二人も千早ちゃんや波多野さんのことは気になっているからね。特に玲那にとっては決して他人事とは言えない境遇だし。
星谷さんは続けた。
「本当は、千早のお姉さんたちやお母さんのしたことについてその罪を購ってほしいという気持ちも私の中にはあります。以前ほどではなくなりましたが、私は今でも罪には徹底した厳しい罰で臨むべきという考えが自分の中に残っているということも感じています。
特に、千歳さんのしたことは許されるものではないでしょう。『躾』と称して同級生の女の子を追い詰めたことでその女の子が逆襲に転じ、そのことが、他の女の子の顔に生涯消えない傷を負わせることになったのですから。
確かに、怪我をした女の子も千歳さんと一緒になって同級生をイジメていたのですからそれを『自業自得』『因果応報』と捉える人が多いだろうというのは私も感じますし、正直申し上げて私もそう思う部分もあります。
しかし私は知ってしまったのです。私自身が千歳さんと同じようなことをしてしまっていたということを……。
当時の私は、今では恥ずかしくて思い出すのも苦痛なほどに独善的で思い上がっていました。私の行うことはすべて正しく、間違っているのは常に他人の方だなどと本当にたわけたことを考えていました。しかしそれが単なる思い上がりでしかないことをイチコから教わり、私は自身の過ちに気付くことができたんです。
ですが、それに気付いた時にはすでに私は何人もの人を傷付けてしまっていました。カナやフミも私が傷付けてしまった人の一人ですが、その時にクラスの委員長だった女の子を特に深く傷付けてしまっていたのです。彼女は私に憤り、カッターナイフで切りかかろうとしました。そう、千歳さんたちのイジメに耐えかねてカッターナイフを振り回した女の子と同じことを、彼女はしようとしたのです。私は、彼女をそこまで追い詰めてしまっていたのです。
それは私の過ちです。私が生涯背負っていくべき過誤だと思っています。刑事責任を問われることはありませんでしたが、私は確かに彼女を苦しめ傷付けていたんです。罪人を厳しく罰するべきだというのなら、私は、私自身を罰しなければいけなくなります。でも、どこまでどう罰せられるべきなのか、私には分からないんです。他人には厳しく当たりながら、いざ自分のこととなるとどうすればいいのか分からない。
私は自分が、どれだけ浅墓だったのかを思い知ることになりました。こんな私が他人を厳しく罰するなど、あまりにも恥ずかしく愚かな行いだと感じます。だから今の私は、罪人をどう罰すればいいのか分かりません。だからこそ現行の法律に即したものでいいと現在では考えています。法律以上の罰を与えるべきだとは思いません。今の私にそれを言う資格はないのですから」
そこまで彼女が一気に語ったそれは、以前にも聞いた話だった。星谷さんは自分のやったことを悔い、同じ過ちを繰り返さないようにしてるんだと僕は改めて感じた。
自分が間違っていたと認めるのは、とても勇気のいることだと思う。多くの人はそれができずに誰かの所為にしてイライラしてしまうんだろうな。自分のやってることは棚に上げて。
僕が星谷さんのことを信頼できるのは、彼女が間違いに気付いて自ら反省してるからっていうのもある気がする。何一つ間違いを犯さない人間なんていないと僕は思う。自分は何一つ間違ったことをしていないなんて思ってる人を信頼なんてできない。だってそれは、嘘を吐いてるっていうことだから。だからこそ今の星谷さんのように、自分の過ちを気付ける人でないと信頼できないんだ。
自分が犯した罪を棚に上げて、他人を罰するべきだと騒ぐ人を、どうやって信頼すればいいんだ。僕にはむしろそれが分からない。玲那を攻撃してる連中だって、波多野さんのお兄さんだけじゃなくその家族まで攻撃してる連中だって、きっと何か罪を犯しているはずだ。『自分は何一つ罪を犯したことなんてない』とか言えば、それはほとんどの人の場合、嘘になる。『自分が犯した罪なんて大したことじゃない』とか思ってるからそんなことが言えるんだ。でも本当にそうなのか?。他人を傷付け苦しめたことさえないのか?。それも嘘だよね。特に、今、波多野さんを苦しめてる連中なんてまさに、この時点、この瞬間に罪を犯してるはずだから。
ただ単に、自分で自分の罪に気付いてないだけなんだ。




