三百九十三 「イチコさんの誕生日」
山仁さんの長女のイチコさんは、不思議な感じの人だった。お父さんである山仁さんにすごく似てると言うか、飄々としててどこか掴みどころのない印象を抱かせる女の子だった。
しかも短髪で、制服がスカートじゃなくスラックスだから、一見すると男の子に見えないこともない。だけどトランスジェンダーとかそういうのじゃなくて、ちゃんと女の子なんだ。単にスカートが好きじゃないっていうことらしい。
中学の時からずっと、制服はスラックスにしてるそうだった。山仁さんが『男は男らしく、女は女らしく』っていう考えを持たない人だから、『スカートは嫌』って言ったのをすんなり許したんだって。
学年で一人。全校でも三人程度しかスラックスを選んだ女子はいないらしいけど、イチコさんはそういうのもぜんぜん気にしなかったらしい。
『他の人はスカート穿いたらいい。だけど私はスカートは嫌』
ってことで堂々と、と言うか泰然自若としてたそうだ。
そんな感じだから友達は決して多くないものの、その代わり親しくなったら結びつきは強いってことだった。
星谷さん、波多野さん、田上さんは高校に入ってからの友人で、他にも、今ではそんなに頻繁に会うわけじゃないけど小学校の頃からの友人とも今でも交流があるとも言ってた。ただその子たちについては、波多野さんのことに巻き込むわけにはいかないっていう意味でも今では少し距離を置いてるのもあるみたいだった。
波多野さんが言ってた。
『イチコがいなかったら、あたし、とっくにほとんど家にも帰らない不良になってたと思う』
って。しかも、
『イチコがあたしとフミとピカを出会わせてくれたんだ。イチコはあたしの恩人なんだよ』
とも言ってたりした。
会合とかではあまり発言もしないで、でも波多野さんのことはいつも気遣ってる感じの大人しい女の子にも見えたりしつつも実は重要な立場にいるらしかった。
そんなイチコさんの誕生日パーティー。どんな風になるのかな。
絵里奈と玲那もあと十分くらいで着くっていう連絡があったから僕と沙奈子も家を出て、十時前にカラオケボックスの前に行くと、ちょうどイチコさんたちも着いたところだった。星谷さんに連れたられた千早ちゃんが沙奈子に声を掛けてくる。
「沙奈~、よっスよっス!」
沙奈子がちょっと照れ臭そうに小さく手を振ると、そこに絵里奈と玲那も合流した。
「お~し、行くか~!」
と音頭を取ったのは波多野さんだった。正直、今日のメインであるはずのイチコさん以上に楽しそうにしてるみたいにも見える。でもそんな波多野さんを見て、イチコさんも嬉しそうだった。
「カナが楽しそうだから私も楽しいよ」
だって。そう言った時の表情が、山仁さんにすごく似てる気がした。もうそれだけで、イチコさんがどれだけお父さんである山仁さんのことを信頼してるのか見える気さえした。
予約してあった部屋に入るとさっそく、
「イチコ、17歳の誕生日おめでと~!」
って波多野さんがイチコさんに抱き付いた。しかも、千早ちゃんが沙奈子にやるみたいに、ほっぺたを擦りつける。あ、なるほど。千早ちゃんはアニメの真似だけじゃなくて、この波多野さんの真似もしてるんだってピンときた。だけど当のイチコさんはいたって冷静に、
「私、そういう趣味ないから~」
と受け流してた。すると波多野さんが、両手を顎のところに引き寄せて握って、いやいやをするように体をよじってた。
「んもう!、ツレナイ人!」
その様子がまた慣れた感じで、普段からこんな感じなんだなっていうのが分かった。もう結構、イチコさんたちのことは見てきたつもりだったけど、やっぱり会合っていう普段とは少し違う場所での姿しか見てこなかったんだなって感じてしまった。
しかも今回は、千早ちゃんと星谷さんの誕生日パーティーと違ってイチコさんが主役だから、余計にイチコさんの素が出やすいのか。
「メンドクサイことは抜きで、行くぞ~!」
ただ、ノリノリの波多野さんが進行役で、誰の誕生日パーティーか分からなくなってるけど。
「私の誕生日パーティーなんだけどな~」
「固いこと言いっこなし~!」
とか、最初から無茶苦茶だ。だからもうその後は、みんなして歌いまくりの騒ぎまくりの状態だった。でもそれは、波多野さんのことをはじめ、いろいろ溜め込んでるものがあるからそれを発散しようとしてるのもあるかもしれない。みんないい子だから落ち着いてるように見えてても、はじけたい時もあるんだろうな。
主に波多野さん、田上さん、イチコさん、千早ちゃん、大希くんの五人が歌いまくって、玲那はタンバリンとか振って場を盛り上げて、僕と沙奈子、絵里奈、星谷さんは手拍子をしながら聞いてる感じになってた。
ピザとかジュースとかも注文して、歌って食べて飲んでってなってくるとますます盛り上がってくる。はしゃいでる玲那の様子を見てると、本当は歌いたいんだろうなっていうのも感じて少し胸が痛んだ。
だけど玲那は、それを自分に与えられた罰だとして受け入れてる。だからそのことでウジウジしたりしない。それがあの子の様子からも伝わってくるのが救いかな。
「楽しいですね」
沙奈子を抱きながら座ってた絵里奈がそう声を掛けてきた。
「そうだね」
って僕も頷いた。沙奈子も陽気にはしゃぐ訳じゃなくても楽しそうに表情が緩んでる。普段は割とクールな感じの星谷さんまで体を揺らしながら耳を傾けてるのが少し意外だったりしながらも、みんなが楽しめてるのならそれでよかった。
たっぷり三時間楽しんで、そろそろお開きの時間になった。
「は~い、それではお時間になりました~。これから帰って、千早ちゃんのケーキを食べま~す」
なるほど。また千早ちゃんがケーキを作ったのか。それを帰ってからみんなで食べるっていうことなんだな。でも僕たちはピザとかお菓子でお腹がふくれてたし、さすがにこういうのにはあまり慣れてなくて疲れてきたから、僕と沙奈子と絵里奈は家に帰ることにした。外に出ると、秋嶋さんたちと、玲那の友達の女の子のグループがすでに待機してた。
「こんにちは」
沙奈子がそう挨拶すると、秋嶋さんたちは明らかに嬉しそうな顔になって、
「こんにちは!」
って返してくれた。
今度は秋嶋さんたちと楽しむことになる玲那を残して、僕たちとイチコさんたちはカラオケボックスを後にした。それにしても、玲那ってばタフだなあ。あれだけはしゃいでたのにまた盛り上がるっていうのか。いやはや、小さい子供みたいなバイタリティーだな。
「またね~、バイバ~イ」
山仁さんの家に帰る千早ちゃんたちと別れる時、みんながそう言って手を振ってくれた。僕たちも手を振り返して応えた。沙奈子も手を振ってた。
こうして僕と沙奈子と絵里奈は、三人でアパートに帰ったのだった。




