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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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三百九十二 「去年の今頃」

月曜日。今日から、朝は沙奈子を連れて家を出て、山仁さんのところで預かってもらって仕事に行くことになる。


「今日からまたよろしくお願いします」


出迎えてくれた山仁やまひとさんに改めて頭を下げて、僕は会社に向かった。朝から暑い。今日も大変そうだ。子供達の方は、7月中は学校でプールがあるから毎日行くことになるらしい。


仕事が終わって沙奈子を迎えに行くと、千早ちはやちゃん、大希ひろきくんの三人でやっぱり迎えてくれた。


ただいまのぎゅーは、正直なところ汗で大変なことになってるから、最近は軽くで済ましてる。


会合の方も、波多野さんが今のところは落ち着いてるから基本的には雑談メインになってるかな。豪雨災害の方もトピックスが上がってこなくなったのは復興が始まったっていうことなんだろうか。僕たちも裁判が終わってもまだぜんぜん過去のものどころか今もまだその真っ最中だし、復興が始まっても終わったわけじゃないんだろうな。


大変なこと、苦しいことはたくさんあるけど、それに飲み込まれてるだけじゃ前には進めない。それどころか、踏み止まることもできない。苦しい中、辛い中でも小さな幸せを掴みつつ、僕たちは生きていくんだ。


火曜日から金曜日までも、特に何事もなく過ぎていった。毎日暑くて大変だなっていうくらいか。ああでも、火曜日に沙奈子が作ってた人形のドレスが完成して、土曜日に玲那に渡して出品作業をしてもらうことになった。それで小さい人形用の服作りも始まった。割と凝ったデザインのいろんな服を作ってるみたいだ。それに比べるとさすがに最初の頃の出来は拙さを感じさせる。でもそれは沙奈子の技術の進歩を表してるわけだから、素直に喜んであげたい。ただ沙奈子自身がさすがに恥ずかしいのか、初期の頃の服はタンスに仕舞ったきりほとんど出してこない。


そう言えば紙で作ったドレスはそれこそ見当たらないな。紙製だからすぐにぼろぼろになってしまったし、沙奈子が自分で捨てたんだろうな。僕としてはそういうのも取っておきたかったかなと思ったりしないでもない。これも、子供の絵とか工作をついつい取っておく親の心理なのかも。でも子供からしたら恥ずかしい過去だったりするのかもね。


熱中症とかにも気を付けつつ無事に乗り切ってたどり着いた土曜日。今日は予定してた通り、カラオケボックスでイチコさんの誕生日パーティーだ。十時に近所のカラオケボックスに集合ってことになってる。しかも玲那はそのパーティーの後で同じカラオケボックスで、秋嶋あきしまさんたちとのオフ会をすることになるんだって。だから玲那だけは夕方までカラオケボックスに居座ることに。


大丈夫なのかなと心配になってくるけど、玲那自身は『よゆーよゆー』だって。去年までは十二時間耐久カラオケなんてのもざらにやってたらしい。すごいなあ。


沙奈子は、月曜日から山仁さんの家で夏休みの宿題をほとんど終わらしてしまったらしかった。後は日記と工作と歯磨きのチェックシートだけだ。だから今はまたここまでやったことの復習をしてる状態だった。ちょっと自信のないところを彼女が自分でやり直してるんだ。何て立派なんだろう。


ふと思い出す。この子は、2年生の時から4年生に上がる時まで父親に連れられてあちこち転々としてて学校に通わせてもらえなかった。だから勉強はその分まるまる遅れてて、最初は算数さえおぼつかないくらいだった。


でもこの子は、僕が買ってきたドリルを毎日頑張ってやって、どんどん追いついていったんだ。そうだ。ちょうど去年の夏休みに入ったばかりの頃に始めたんだ。沙奈子にしてみたら、たとえ勉強でも自分のことを見ててくれるのが嬉しかったんだと思う。それが励みになって、勉強を楽しめたみたいだ。それに、やればやるほどいろんなことが分かってくるのも楽しかったらしい。本当に手探りだったけど、上手くいったっていう実感がある。絵里奈と玲那の協力が得られるようになってからはさらに捗ってたな。


勉強をさせてもらえなかったから僕と一緒に勉強できるのが楽しかったなんて皮肉な話だよ。学校に通って勉強するっていう、他の子にとっては当たり前のことがこの子にとっては当たり前じゃなかった。だけどその当たり前のことを、僕は今、この子に与えてあげられてるんだ。それが少し誇らしい気持ちにもなる。


そんなことを考えてると、まるで連想するみたいに思い出した。そうだ。この子と一緒に初めて水浴びしたのも、一緒にお風呂に入り始めたのも、僕の膝に座るようになったのも、おねしょをするようになっておむつを使い始めたのも、去年の今頃だった。そういういろいろで沙奈子との距離が一気に縮んだんだ。それまでお互いに感じてた壁みたいなものがすごい勢いでなくなっていったっていうのもあった気がする。


絵里奈と玲那が、会社の食堂で僕に話し掛けてきたのも、沙奈子の夏休みの最中だったな。あの時は二人がすごく馴れ馴れしく感じられて第一印象は最悪だったっけ。


そうか。あれから一年経つんだ……。


あの頃は今よりもっと手探りでどうしていいのか分からなくておろおろしながらっていう毎日だったと思う。本当に、よく上手くいったものだと感心してしまう。夏だけどそれこそ薄氷を踏む思いだったかな。


あと、いろいろ事件もあったな。千早ちゃんにきつく当たられた沙奈子の様子が少しおかしいと感じたのもこの頃だっけ。それと、ベランダに干してたはずのパンツがなくなって、それからしばらくして子供の下着を中心に盗んでたっていう人が逮捕されたってこともあった。


そうだ。それで、その犯人の親戚だった女の子が学校を転校することになったりしたんだ。事件のせいでその子のお父さんが仕事を続けられなくなって引っ越すことになって……。


事件とか起こせば自分の身の回りの人も苦しむことになるっていうのは、その時にはもう分かっていたはずだった。だけどそれでも、今にして思えばまだどこか他人事だった気がする。自分に降りかかってくることなんてないって思ってた気がする。けれど、そうじゃないんだよな。こういうことは、本当に突然、思いがけない形で降りかかってくることなんだ。


転校することになってしまった子は、今、どうしてるんだろう。辛い思いをしてなければいいんだけど……。そう思いながらも、それを確かめる手段は僕にはない。もし、波多野さんみたいに僕たちの手の届くところにいてくれたらまだ何かできたんだろうか。できるものならそうしたかった。塚崎つかざきさんが感じたかもしれないもどかしさが、少し分かる気がした。


それでも僕たちは全ての人を救えるヒーローじゃないっていうのは忘れちゃいけない。自分の身近な手の届く人を確実に支える以外にできることはないんだって、改めて自分に言い聞かせるしかなかったのだった。



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