三百八十一 「僕たちの勝利条件」
夕立ちが激しくて買い物には行けなかったけど、夕食の用意を始めた頃には収まってた。だから山仁さんの家には行くことにした。
かなりの雨だったからか結構涼しくなってた。ただ、湿度が高いから空気がまとわりつくみたいな感じはあった。その中を、沙奈子と手をつないで歩く。この子の手もしっとりと汗で湿ってる感じがする。でも、この子の手だから不快じゃない。
「いらっしゃい!」
「こんにちは!」
大希くんと千早ちゃんがいつも通りに迎えてくれた。まだ6時ごろだから外も明るくて夕方っていう感じもあまりしないから『こんにちは』の方が違和感がない。二人に沙奈子を任せて、僕は二階へと上がる。
「こんにちは」
挨拶をしながら部屋に入ると、みんなも「こんにちは」と返してくれた。
ビデオ通信で参加する絵里奈と玲那が映った僕のスマホをテーブルに立てると、いつものように会合が始まった。
ただ、他に適当な言葉が思いつかないから『会合』って僕は呼んでるけど、実際にはそんな堅苦しい感じじゃない。玲那の事件のことで集まってくれてた頃には確かにそういう雰囲気もあったかもしれなくても、今では部活で集まってるって言った方が近いかも知れないかなって気がする。
もちろん、波多野さんのために集まってるんだから真面目な会なのも間違いなかった。だけどそれと同時に、参加することを強要するような感じでもないんだ。あくまでみんなと会いたいから、みんなの顔を見たいから集まってるだけって感じなんだよね。だからこんな風に毎日集まっても飽きない。好きで来てるから。
「いよいよ、今度の木曜日にカナのお兄さんの判決が言い渡されます。ですが何度も申し上げる通り、今度のそれはあくまで通過点でしかないでしょう。なので私たちも気負いすぎず冷静に対処したいと思います」
星谷さんの言い方はいつも的確で簡潔で、大事なことをちゃんと言ってくれてると僕には思えた。彼女の話を聞いてるだけでもここに来る値打ちがある気もするんだ。僕も負けてられないなって。
…勝てないけど。
まあそれはさておき、波多野さんの様子を僕も注意深く見てた。この前みたいに感情が昂った感じはしなかった。
「へいへ~い。余裕ぶっこいていきましょ~い」
とか、彼女自身が言ってる通りに軽口を叩く余裕もあった。それがただのふりだとしても、そういうふりができるのはまだ余裕があるっていうことだとも思う。
波多野さんは今、この事件とこれからもどう付き合っていくかっていうのを模索中なんだろうな。きっと長い付き合いになるはずだから、どういう姿勢で、どういうテンションで、どういう気持ちで向き合っていくかを掴もうとしてるんだろうな。
本当は、そんなことしなくて済むのが一番だって僕も思ってる。事件になんか巻き込まれないで済むのが何よりだって思える。けど、こうして巻き込まれてしまった以上は仕方ないんだ。
被害者であり、加害者の家族でもある波多野さん。玲那と違って家族にとことん迷惑をかけてやろうって思ってそうなお兄さん。そんなお兄さんの思惑にまんまと乗せられて波多野さんの家族を追い詰めた世間。そして追い詰められてバラバラになってしまった家庭。
そういうものとこれからも対峙していかなきゃいけないんだな。彼女は。
それに比べれば、あとはもう、玲那の執行猶予が明けるのと、世間が忘れ去ってくれるのを待つだけでいい僕たちはよっぽど楽だって思える。これくらいで値をあげてちゃ波多野さんに顔向けできないって思える。だから玲那も、いろいろと今でも辛いものを感じながらでも頑張れるんじゃないのかな。
これから何年かかるかは分からないけれど、ううん、きっと判決が確定してお兄さんが少年刑務所とかに行くことになってもこれは続くんだろう。それどころか、もしかしたらお兄さんが刑を終えて出てきてからが本当の本番かもしれないっていう気さえする。
そうだよ。玲那だって判決が確定したからって終わったわけじゃない。今はまだ自分がやってしまったことと向き合っている真っ最中で、執行猶予が明けてからも、前科を背負って生きていくことになるんだ。ことあるごとにそれを蒸し返されたりするかもしれない。あれこれ言う人が出てくるかもしれない。そういうことと向き合って生きていかなきゃいけないんだよ。
自分の罪を認めて反省してるあの子でさえそれだから、自分の罪を認めようともせず、反省さえしようとしてないお兄さんが果たしてこれから波多野さんの人生にどれだけの影響を与えるのか、想像するのも怖いくらいだ。そんな波多野さんを僕たちは支えていくことになる。気を引き締めなくちゃ、簡単に潰されるだろうな。
星谷さんもいろいろ考えてくれてるみたいだけど、それがどこまで効果を発揮するのか、やってみなくちゃ分からないんだろう。と言うか、お兄さんが素直にそれに従ってくるのかさえ今はまだ分からない。
お兄さんにしてみれば、『死なばもろとも』でやりたい放題できる強みがある。逆に守らなくちゃならない波多野さんの方が不利な気もする。だけど負けられないんだ。折れちゃいけないんだ。他人を傷付けるようなことをしたお兄さんに波多野さんが負けちゃいけないんだ。自暴自棄になって何もかも滅茶苦茶にしてやろうとした人間の思い通りにしちゃいけないんだ。
そのために、僕も力になりたい。人を平気で傷付けようとする悪意に負けたくない。悪いことをしたお兄さんの尻馬に乗って波多野さんを傷付けようとする無自覚な悪意に負けたくない。
家族を滅茶苦茶にしてやろうとしてるお兄さんと、そのお兄さんにいいように操られて家族を攻撃する人間は、同じ穴の狢だとしか僕には思えない。そんなのに負けてたら、僕は大人として沙奈子に顔向けできない。こんなことがまかり通る世の中にあの子を放り出すとか、ありえない。
だから僕は見捨てない。玲那も、波多野さんも。二人がちゃんと幸せになれない世の中なんて、間違ってる。玲那は僕が幸せにする。波多野さんは誰が幸せにしてくれるのかまだ分からないけど、幸せになる手助けをする。決して見捨てたりしない。僕が玲那や波多野さんを見捨てたら、悪意が勝ったことになってしまう。それは嫌だ。正義のふりをした悪意が勝つなんて、僕は認められない。
真っ向からぶつかり合ったんじゃ勝てないにしても、小さな幸せを掴む手助けくらいならできるはずだ。悪意に潰されずに、玲那や波多野さんが小さくても幸せを掴めたら勝ちだと思う。そうだよ。負けなければ勝ちなんだ。潰されずにいられれば、それは僕たちの勝ちなんだ。
みんなで小さな幸せを掴もうとするこの集まりを維持できれば、それ自体が僕たちの勝ちなんだと、僕は思ったのだった。




