三百七十一 「甘えられる相手」
波多野さんが抱えてる重いもの苦しいものの一端を見ることができて、僕はまた、彼女のことも支えてあげたいと思った。もちろん沙奈子や絵里奈や玲那のことが優先だけど、その上でね。
ああやって感情を爆発させて素直になれるのならまだ大丈夫っていうのを僕は学んだ。それを受け止めてくれる人、受け止めてもらえる環境があればそれを拠り所にして自分の心を支えることができるって学んだ。僕も今、沙奈子や絵里奈や玲那の前では素直になれる。
家族なんかいらない、一人でいいと強がっていた頃と違って、この家庭を守りたい、三人と一緒にいたい、このぬくもりに触れていたいっていう気持ちに正直になれるんだ。だから僕は落ち着いてられる。
甘えるのは決して悪いことじゃない。一方的に甘えるだけなのはダメでも、まったく甘えることを許さないというのは、他人のことを受け止めたくない、自分以外の誰かが甘えるのが許せない、自分が大変なんだから他人も同じように苦しむべきだという甘えだと今は感じる。
自分が甘えたいと思うのなら、他人が甘えることを許さなくちゃいけないと思う。僕は、沙奈子や絵里奈や玲那に甘えたい。三人のぬくもりに触れていたい。それを許してもらうために、沙奈子が、絵里奈が、玲那が僕に甘えることを許したい。それに、甘えてもらえるのが嬉しいし。
波多野さんは僕にとっては家族とまでは言い難いけど、家族の次に大切な人の一人だと思う。だから感情を爆発させて弱音を吐いて甘えることを許したい。自分がそれを受け止められる人間になれたことが嬉しい。
それに波多野さんには玲那のことで支えてもらった。そのお返しができるのなら、こんな嬉しいことはない。
波多野さんが落ち着いたのを確認して、僕と沙奈子は家に帰った。彼女が抱えているものを確かめた上で、また明日から僕にもそれを支えさせてほしいと再度思った。
沙奈子と一緒にお風呂に入って、一緒にとろけたお餅になって、この子のぬくもりに触れさせてもらった。このぬくもりがあるから僕は頑張れる。その対価としてこの子が僕に甘えたいのなら、それを拒む理由は僕にはない。
お風呂の後でエアコンを効かせた部屋で涼みながら寛ぐ。僕の膝の上でドレスを作る沙奈子の存在を感じて満たされる。波多野さんもいつか誰かとこうなれることを願いたい。
寝る時になって、僕はこの子に聞いてみた。
「波多野さん泣いてたけど、一階ではどうだった…?」
すると沙奈子はちょっと首をかしげる仕草をして、
「私たちをぎゅーってして『ありがとう』って言ってた…」
って。
そうなんだ。そんなことがあったんだ。
抱き締めてくれた大希くんだけじゃなくて、心配してくれたこの子や千早ちゃんにもちゃんと『ありがとう』って言ってくれたんだ。それができる波多野さんと、できないご両親との差がすごく現れてる気がした。
ご両親がもし、助けを求めてきたら、山仁さんや星谷さんはどうするだろう…?。きっと見捨てたりはしないんだろうな。特に星谷さんは今でも嫌がらせとかに対処するための弁護士を用立ててるくらいだし、そういう形でいろんな支援をするんだろうな。
波多野さんのために。
だけどご両親は差し伸べられた救いの手を掴もうとはしなかった。それが遠慮なのか強がりなのか警戒してるのかは分からない。他人に弱味を見せるのが怖いだけかも知れない。でもその結果として自分たちではどうすることもできなくてバラバラになってしまった。それを僕たちはただ見てるしかできなかった。
差し伸べた手を掴もうとしない人を救えるほどの力は僕たちにはないっていうのを実感してしまった。山仁さんでさえ、星谷さんでさえ、そこまでの力はないんだ。
そうだよな。こっちから一方的に助けるなんてことをしてたら、この世の苦しんでる人たち全員を助けないといけなくなってくる。そんなこと、誰にもできるはずがない。神様とかだってそういう人全員を救ったりしない。じゃあ、ただの人間の僕たちにはそんなことできるわけがないんだ。波多野さん一人を支えるだけで精一杯なんだ。
だけど同時に思ってしまう。波多野さんのご両親にも、山仁さんや星谷さんみたいな人がいたら。そういう人と知り合えていたら。そういう人とお互いに支え合うことができていたら……。
たらればを言っても仕方ないのは分かってても、ついそう考えてしまう。そして、そういう人と知り合えたことを大切にしたいと思った。そして、僕自身もそういう人を支えられるようになりたい。
そんなことを考えながら、僕の腕の中で静かに寝息を立てる沙奈子を感じながら、僕は眠りに落ちていったのだった。
月曜日、今日からまた一週間が始まる。水曜日には絵里奈が個人懇談に行ってくれる。今週も何もない一週間でありますように。
火曜日を無事に終えて水曜日の個人懇談も無事に終える。家に帰って絵里奈から個人懇談のことをいろいろ聞いた。『沙奈子さんはすごくいい子ですね』って言ってもらえたのがよっぽど嬉しかったのか、絵里奈は何度もそれを繰り返して話して終始ニヤニヤしてた。でもその気持ち、僕もよく分かるよ。
だけど木曜日の朝、トピックが上がっていた。九州で、豪雨により大変な被害があったって……。
ニュースの動画を見ると、その大変さが改めて感じられた。こっちでも結構雨が強かったりしたけど、被害っていうほどのものはなかったと思う、なのに、別のところではこんなことが起こってたんだ。
地震ももちろん怖い。だけど災害はそれだけじゃないんだっていうのを改めて思い知らされた。分かっていても、ついつい忘れがちになってしまう。こういうこともちゃんと想定しないといけないんだな。
この辺りは大きな災害は聞いたことがない場所だった。近くに一級河川があってその堤防がもし決壊したらこの辺りまで水がくるかもしれないのはあっても、それがどれほどの災害になるのか具体的な想定を聞いたことがなかった。そういうことを考えながらも、今起こってることについても考えてしまう。
本当に、人生っていうのは何が起こるか分からない。こんな風にして突然何もかも失われてしまうこともあるんだっていうのを再び思い知らされた気がした。
被害が大きくならないことを祈りながら、一人でも助かる人が増えるのを祈りながら、朝の用意をした。沙奈子も悲しそうな顔をしてるのが分かった。被害のことを想像してしまったんだと思う。そういうことを想像できる子だっていうのを感じながらも、この子がそれを想像して辛さを感じているのに胸が痛んだ。
だからと言ってこういう現実が起こっていることから目を背けるのも違うと思う。こういうことがあるのを分かった上で、僕たちは生きていくしかないんだ。




