三百六十六 「再確認」
今日は結構疲れたし、帰ってから沙奈子が少し熱っぽかったから、念の為、会合は僕も星谷さんのスマホを使ってビデオ通話での参加にしておいた。星谷さんからの提案だった。
『毎日の参加は大変でしょうから、今後はビデオ通話での参加でもいいと思います』
と、玲那の裁判が確定した後に言ってもらえてたんだ。だけど僕はなるべくちゃんとみんなの顔を見たかったから、土日もできるだけ直接参加するようにしてた。でも、沙奈子に無理をさせたら意味がないからね。今日はお言葉に甘えさせてもらおうって。それに今日も、特別何か進展があった訳じゃなかった。画面越しとはいえ、波多野さんと田上さんの様子にも大きく変わったところはなかった気がする。
あと、千早ちゃんが今日こなかったのは、山仁さんの家で、星谷さんやイチコさんたちとケーキを作ってたからだって。来月、お母さんの誕生日なんだそうだ。それに向けて、星谷さんが用意してくれてたケーキの材料もまだ残ってのもあって確実に作れるようになりたいってことだった。だけど今回は二回失敗して、三回目に上手くいったって言ってた。コツを確実に掴むにはもう少し練習が必要なのかな。
それにしても、お母さんのためにケーキを作りたいか…。
千早ちゃん頑張ってるんだなって、胸が熱くなるのを感じた。
もちろん沙奈子が頑張ってることも分かってる。今だって、新しいドレス作りに夢中になってる。さっきまでは少し熱っぽい感じだったけど、幸い、本格的に体調を崩したりしなくて、お風呂の後はそれこそ普通にしてたからホッとした。こうして膝に抱いてても熱っぽさは感じない。
ただ、さすがに最近は膝に抱いてると暑いので、先々週くらいからエアコンを使い始めた。あと、この頃ようやく梅雨っぽくなってきた気がする。雨の日が多くなり湿度も高くなってきて熱中症の心配も出てきたし、電気代は節約したいところだけど無理に我慢はしないようにしたんだ。
僕の膝でドレスを作る沙奈子の後姿を見る。しみじみ、沙奈子が成長してきてるのを感じる。こうやって膝に座ってくれるのもいつまで続けてくれるかは分からないけど、この子がそれを必要としなくなるまで続けたいと思った。こんな風にして自分が満たされてれば、他人に八つ当たりする必要もないし他人を妬む必要もなくなると思う。他人に満たしてもらおうとして依存したり執着したりもしないで済むと思う。そんな風に思えるのは、今の僕がまさにそうだから。沙奈子と絵里奈と玲那に満たしてもらってるから会社でのことを誰かに八つ当たりせずに済んでるし、他人を妬む必要もないし、家族以外の誰かに満たしてもらう必要も感じない。他の女性のことが気になってしまうとかそういうのも含めてね。
せっかく家族に満たしてもらってるのにその家族を苦しめてバラバラにしようなんて少しも思わない。だから僕は他人を傷付けたりして恨まれるようなこともしないでおこうと思うんだ。だから沙奈子にもそうなってほしい。そうすれば、別に我慢とかしなくたって他人を傷付けたりしないようになれると思うから。
千早ちゃんだってそうらしい。星谷さんが受け止めてくれて甘えさせてくれて満たされてるから、結果として他の子に意地悪する必要がなくなった。波多野さんも、イチコさんたちと一緒にいることで救われてるから落ち着いていられる。田上さんもそうだって言う。だったら僕はそれを続けたい。今の状態が守られれば僕自身も守られるから。そのためには、やっぱり事件とか起こしちゃいけないんだって実感する。
だから僕は自分が沙奈子を追い詰めるようなことはしないと心に決めた。すごく辛くて苦しいことがあった時には誰かに八つ当たりとかするんじゃなくて僕のところに来てもらえればそれを和らげてあげるから。大人になってからでも、仕事でイライラすることがあってもそれを理由に他の人に意地悪しなくても僕が受け止めてあげるから。僕が沙奈子にこうして癒してもらってるのと同じように。
他の人たちがどういうやり方をしてるのか知らないけど、少なくとも僕たちはこれでいこうと思うし、僕はこのおかげで耐えられてるんだ。
日曜日の朝。昨夜も北海道と九州で強い地震があったってトピックスに出てた。何だか立て続けで不安になる。自分たちも油断しないように気を付けなくちゃと思った。
ミネラルウォーターの買い置きも十分にある。非常用持ち出し袋の中身も再度確認した。とりあえず必要そうなものは揃ってると思う。
「沙奈子。もし大きな地震があった時は?」
僕の問い掛けに、彼女も真っ直ぐに見て応えてくれた。
「学校とかの安全なところに避難して、お父さんが迎えに来てくれるのを待つ。お父さんを探しに行こうとしない」
ちゃんと覚えててくれたんだ。ありがとう沙奈子。
「その通りだよ。必ず僕が迎えに行く。それまで待ってて」
と言う僕に向かってしっかりと頷く彼女の姿に、頼もしささえ感じてしまった。成長も感じる。一見大人しそうに見えるこの子の中にある激しさは、僕たち大人がきちんと見守ってあげてたらこの子自身の強さになるはずだとも感じた。その激しさを他人に対する攻撃に向けるんじゃなくて、困難に立ち向かっていくための力に変えていけるようにしてあげたい。
僕はこの子からたくさんのものを学んだ。だから僕もこの子にたくさんのものを返していきたい。
それと同時に、余力があれば波多野さんや田上さんのためにも使いたいんだ。
でもまあ、その前に朝食かな。気持ちを新たにしたら空腹を感じてしまった。
二人で着替えて朝食の用意をする。沙奈子のおねしょはまた止まってた。やっぱりあの人形が怖くてお漏らししてしまったんだなと思った。幸せ過ぎて始まった沙奈子のおねしょは、家族が離れて暮らしてるっていう好ましくない状況のおかげか止まってしまった。そんな皮肉さも人生っていうものなんだなと今は思える。このまま彼女の体が成長して大人に近付くことで、結果としておねしょもそのまま治ってしまうのかもしれない。それはそれでありがたいことなんじゃないかな。細かいことは気にしない。今の状況を受け止めて対処していけばいい。そうして僕たちは毎日毎日をやり過ごすんだ。
未来に何が起こるかなんて誰にも分からない。去年の今頃だって、毎日毎日、家に帰って沙奈子の無事な姿を確認するまで不安で不安で仕方なかった。毎日毎日、最悪の事態を覚悟しながら部屋のドアを開けてた。この子が血まみれで死んでいる光景を想像してしまったこともある。でもそれは毎日毎日、杞憂で終わらせてきた。児童相談所でのこととか、玲那の事件とか、思いがけないこともあったけど、それも人生の一ページだと思う。そういうことの中ででも、僕たちは小さな幸せを見付けながら生きていくんだ
それを僕は、改めて胸に刻んでいたのだった。




